リフトン自身が否定した「洗脳」の有効性


 


 

マインドコントロール批判の第二部・理論編ということでお話をします。実はいままで私、この問題についてさまざまな著書や論文等を書いておりまして、いままでこれに関係する仕事としては、増田善彦先生が書いて光言社から出ている、『「マインドコントロール理論」その虚構の正体』(1996)という本があります。増田先生が最終的に出されたんですが、基盤となるような調査作業というものをやらせていただきました。これが、この問題に関わる最初のきっかけですね。

私の著作の中に『神学論争と統一原理の世界』(1997)というのがあります。この中で簡単に触れております。それから、1999年に出した『統一教会の検証』という本がありますが、この中ではかなり詳細に「マインドコントロール理論」について批判をしておりますので、興味のある方は読んでいただければと思います。

「洗脳」ということがあります。実は統一教会は「マインドコントロール」ということで非難される前に、昔は「洗脳」という非難を受けておりました。この「洗脳」という言葉は、さきほど島田裕巳のブログのなかにもあったように、アメリカにおいて“Brainwashing”という言葉で最初に紹介されて、朝鮮戦争の捕虜収容所で行われた思想改造についてCIAが報告書を出したのがきっかけとなりました。ジャーナリストのエドワード・ハンターという人が、中国共産党の洗脳テクニックについて著書で紹介して以来、一般によく知られるようになったわけです。

これについてさらに、心理学者の本格的な研究がなされたのが、リフトンという人が書いた『思想改造の心理』という本で、これが洗脳理論の古典として知られるかなり大きな著作です。これは基本的には収容所帰還者、すなわち中国共産党の収容所にいた帰還者への詳細な聞き取り調査に基づいて、リフトンが「洗脳」のテクニックとはいったい何なのかということをまとめたものですね。

リフトンは、「洗脳」のテクニックは全部で8つの要素があると、その手法をまとめております。①環境コントルール、②密かな操作、③純粋性の要求、④告白の儀式、⑤「聖なる科学」、⑥特殊用語の詰め込み、⑦教義の優先、⑧存在権の配分。ちょっと分かりにくいかもしれませんが、いちいち説明している暇はありません。こういうような具体的手法を用いて、人を操ることができるんだと。これらのテクニックを用いれば、いとも簡単に人の心を操れるという神話が、この本によって生まれまして、敵に対する非難や冗談に多用されるようになったわけです。

確かにリフトンはこのように「洗脳」のテクニックを分析したわけでありますけれども、結論として「洗脳」が可能であると言っているかというと、実はそうではない。洗脳の効果について、リフトンは「彼らを説得して、共産主義の世界観へ彼らを変えさせるという観点からすると、そのプログラムはたしかに失敗だと判断されなければならない」(Lifton 1979, p.253)ということで、ほとんど本当に共産主義者になった人はいなかった。拘束して、かなり激烈な思想改造をしても、抵抗したということだったんですね。

実は「洗脳」や「マインドコントロール理論」を唱える論者のほとんどは、「マインドコントロール理論」の先駆的業績として、このリフトンの研究を参照しています。しかし、「洗脳」の有効性を否定するリフトンの結論については触れずに済ませている。こういう研究があると言いながら、「洗脳は失敗したんだ」ということは言わないということなんですね。敢えてそこに目をつぶって、引用しているということになるわけです。

ここで、いわゆる「洗脳」と「マインドコントロール」はどう違うのかと言いますと、「洗脳」というのは、物理的監禁や、拷問、薬物や電気ショックなどを含めた強制的な方法で人の信念体系を変えさせる手法を指しています。しかし、どの研究報告も、「洗脳」は「一時的な、行動上の服従しかもたらさなかった」というふうに結論をしております。ですから、それだけ強制的な方法を用いても、実は人の心を変えるのは難しいという結論が出されているわけですね。

じゃあ「マインド・コントロール」と呼ばれているものは何かというと、身体的な拘束や拷問、薬物などを用いなくても、日常的な説得技術の積み重ねによって、しかも本人に自分がコントロールされていることを気付かせることなく、強力な影響力を発揮して個人の信念を変革させてしまう、「洗脳」よりもはるかに洗練された手法を「マインド・コントロール」と言うんだと、このように言われているわけですね。

これだけ「洗脳」のような強烈なやり方でやっても、人の心というのは変えられずに、人間は抵抗するものなのに、日常的な説得技術の積み重ねで人の心がはたして操れるものなのか? この点がはなはだ疑問であるということになるわけですね。

この「マインド・コントロール理論」をアメリカで主張した代表的な理論家が、マーガレット・シンガーという人でありました。2003年に亡くなっておりますけれども、「詐欺的で間接的な説得と支配の方法」ということで、英語の頭文字では「DIMPAC」と呼ばれるものを主張して、いろんな裁判で証言を行いました。この「DIMPAC」の内容は、もともと、1983年に米国心理学会(APA)の委嘱で研究を開始したわけでありますけれども、1987年になって米国心理学会は彼女の主張は科学的裏付けがないということで、報告書を否定しております。

この「DIMPAC」、マーガレット・シンガーの理論が争われたのが、実はアメリカにおける統一教会を相手取った元信者の裁判、つまりアメリカ版の「青春を返せ」裁判のようなものだったんですね。この原告のモルコとリールは統一教会の元会員で、強制的に誘拐され、強制改宗を受け、教会を離れた。彼らは統一教会に対して、不当な勧誘、洗脳、不当な監禁などを理由に訴訟を起こしたわけですね。

これがカリフォルニア州の上級裁判所、控訴裁判所、最高裁判所と争われていったわけでありますが、1987年にカリフォルニア州最高裁判所に米国心理学会(APA)と米国キリスト教協議会(NCC)が、法廷助言書を提出したと。専門家として「マインド・コントロール理論」というものを法廷で認めていいのかどうかをアドバイスするための文書を出したということなんですね。

この文書を出した人の中の代表的な学者の一人に、アイリーン・バーカーという人がいます。実は、こういう文書が出されるようになる背景には、ヨーロッパやアメリカなどの西洋においては、統一教会に対してかなり精密で客観的で価値中立的な研究がなされているということなんですね。このアイリーン・バーカーという宗教社会学者は、“The Making of A Moonie: Choice or Brainwashing?”という本を1984年に書いています。日本語に直すと、「ムーニーの成り立ち:選択か洗脳か?」という意味になります。日本語訳は出ておりません。

これは当時、統一教会が「洗脳」を行っているらしいという噂があったので、宗教社会学者として厳密な調査を行って、本当に「洗脳」が行われているのか、それとも個人の自由意思による選択なのかを見極めるための調査を行ったわけですね。1970年代後半のイギリス統一教会を中心に、参与観察とインタビューを中心に調査をしました。これは現在統一教会に反対している櫻井義秀という北海道大学の教授も、この本の内容はさすがにけなせないわけです。宗教社会学において古典の地位を占める非常に優れた研究なんだと、そして調査は社会学的調査としては極めて周到であると認めざるをえない研究だということですね。で、このアイリーン・バーカーが行った調査などに基づいて、本当に「マインドコントロール」「強制的な説得」が統一教会によって行われているのかということを法廷助言書で論じたわけです。

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