国連を舞台とする米中の動向と日本06


 「国連を舞台とする米中の動向と日本」と題するシリーズの第6回目です。私が事務総長を務めるUPFは、国連経済社会理事会の総合協議資格を持つNGOであるため、国連の動向に対しては関心を持たざるを得ません。最近の国連において最も懸念すべき問題は、中国の影響力の増大と米国の国連離れです。このシリーズでは、国連の成り立ちから始まって、米中が国連を舞台にどのような抗争を繰り広げているのかを解説します。その中で日本の立ち位置も考えてみたいと思います。

 前回は国連における中国の「外交的勝利」とアメリカの「国連離れ」について説明しました。トランプ政権下において、アメリカの国連離れは加速しましたが、アメリカがこういう状況だと、日本はどうしたらいいのでしょうか?

 ここで日本の安全保障と国連の関係について基本的なことを説明したいと思います。戦後日本の「安全保障」の基本構造が何であるかと言えば、敗戦によって日本は軍隊を解体し、憲法第9条によって「不戦の誓い」を世界に対してなしました。日本国憲法の第9条は、日本は「戦争と武力行使を永久に放棄する」「交戦権を認めない」と明記しています。これを「平和憲法」というわけですが、日本が再び軍事的に台頭するのではないかという懸念を米国およびアジアの近隣諸国から払拭する上では、日本の平和主義は一定の役割を果たしたということができます。この日本国憲法ができる過程において、1946年に吉田茂首相の国会答弁のなかで、憲法第9条について「自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄した」と解釈して答弁しています。いまは違います。いまは個別的自衛権と集団的自衛権というものがあって、その両方とも行使できるんだということになっていますが、当時は日本という国は自衛権さえも持たない国なんだと考えられていました。しかし、自衛権のない国がどうやって自分の国を守るのでしょうか。

 実はこれが国連と深く関係していたのです。国連憲章は1945年6月26日にサンフランシスコにおいて調印され、1945年10月24日に発効しています。一方、日本国憲法は1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行されています。この2つの文章が出来た時期は非常に近いわけです。この2つはお互いにリンクしあっているということになります。有名な日本国憲法の前文には、「日本国民は、・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書いてあります。これは大変なことでありまして、自分の国を自分の国で守るのではなくて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、自分たちの平和と安全を守るんだと、日本の憲法は言っているわけです。これが何を意味しているかというと、実は日本が侵略されたら国連軍が守ってくれるという前提に立っているから、こう書かれているわけです。もともと国際連合は、国連軍によって世界平和を実現しようとする、「集団安全保障体制」だったわけです。ですから、国連初期の理想が日本国憲法に反映されているのだということになります。

 しかし問題は何かというと、本来国連にあるべき「抑止力」が、現実には存在しないということなのです。国連の抑止力とは何かというと、本来は「国連軍」が組織されることなのですが、いままで一度も「国連軍」ができたためしはなかったのです。なぜできないのでしょうか。それは安保理常任理事国が「民主主義」対「共産主義」の理念で分裂したからです。国連軍というと、1950年の朝鮮戦争のときに「国連軍」ができたじゃないかという人がいるかもしれませんが、あれとて正式な国連軍ではなく、カッコつきの国連軍です。ソ連が安保理をボイコットしていたので正式な手続きを踏んでいない多国籍軍に過ぎないというものを、あえて「国連軍」と呼んでいるのです。

 それでは、日本は軍隊を持たずに、国連が守ってくれるはずだという前提にもかかわらず、実際には国連軍が機能しない場合にはどうすることになったかというと、米ソの冷戦構造のもとで日本は、日米安全保障条約を結ぶことによって、米国の抑止力に頼り、米国に自国の安全保障を託すことによって生き残っていく道を選んだということです。

 この日米安保条約は「片務条約」と呼ばれています。片務条約の意味とは、アメリカには日本を守る義務がありますが、日本にはアメリカを守る義務がないということです。そういう条約なのです。アメリカ側から見てそんな条約を結ぶことに何のメリットがあるのかと思うかもしれませんが、この当時は実は“Win-Win”の関係にあったのです。なぜかといいますと、アメリカは日本が再び軍事的に台頭してくることを恐れていました。ですから日本の軍隊を解体して、日本から一切の軍事力をなくそうとしたわけです。しかし一方で東アジアにおいて共産主義との対立が激しくなってくると、日本に米軍を駐屯させることによって、来たるべきソ連との戦い、共産主義との戦いにおいて、日本を反共の砦にしようとしたのです。それが“Win-Win”の関係ということであり、日米安全保障条約の本質であったわけです。

 ただし、米軍を日本に駐留させることだけでは不足なので、1950年に警察予備隊というものをつくって、これはやがて自衛隊になっていきます。そして51年には日米安保条約が署名され、60年に改定ということになって、この2つ、すなわち自衛隊と日米安全保障条約によって日本の平和と安全を維持してきたのであって、憲法第9条があるから日本の平和と安全が守られてきたわけではないのです。

挿入画像12=国連を舞台とする米中の動向と日本

 このころ、日本の外交3原則というものを作った人がいます。岸信介が1956年に発表しているのですが、その3原則の1番目が何かというと、日本は西側自由主義陣営の一員であるということです。これは具体的にはアメリカとパートナーシップを結んでやっていくことを意味しています。2番目がアジアの一員、アジアの近隣諸国と仲良くやっていくということです。3番目が国連中心主義であり、この3つの柱を立てたわけです。これはいまでも基本的には変わらずに継承されています。当時の国連は安保理も総会も米国主導で動いており、日米関係の延長線上に国連があったわけです。まだ国連における中国の議席は台湾の蒋介石政権が占めていたので、この頃は1番目のアメリカとのパートナーシップと、3番目の国連中心主義との間には何の矛盾もなかった時代だったわけです。

挿入画像13=国連を舞台とする米中の動向と日本

 日本の外交は安全保障の観点からは、2つの原則によって成り立っていると理解することができます。この2つの柱のうちの1つが日米同盟です。これは日米安全保障条約によって日本の平和と安全を守るということです。2つ目が国連中心主義です。国連の集団安全保障体制によって日本の平和と安全を守るということです。これを2大原則としているわけですが、これはアメリカと国連が何の矛盾もなく、協調している場合には両方同時に成り立つということになります。しかし、もしアメリカと国連が矛盾し、齟齬が生じるようになったら、日本はどうするのでしょうか? その場合には日米同盟が本音で、国連中心主義が建前ということにならざるを得ません。なぜかというと、国連には日本を守るだけの実力がないので、こうならざるを得ないわけです。

 結論として、日本の立場としては、日米同盟が日本の安全保障の基本なので、日本の政策は基本的に米国に歩調を合わせざるを得ません。そして米国が国際協調を重要視し、国連とうまくっている状態が理想なのですが、現実はそうでないことが多いです。だからといって日本も米国みたいに「ジャパン・ファースト」と言っていいかというと、それはできません。なぜかというと、日本は自国の力だけで国を守ることはできないからです。そもそも軍隊を持たないので、孤立主義や自国中心主義を取ることはできません。

 もし憲法を改正すれば、もう少し違ったスタンスが取れるかもしれませんが、いますぐはできないので、いまのところは平和主義と国際協調を基本に、日本独自の役割を果たすということになります。もし米国が単独行動や国際協調を乱す行動をとった場合には、どうしたらいいのかというと、日本はそういう米国でも補佐し、他の国との「橋渡し」の役割をしなければなりません。いってみれば荒ぶる夫をなだめる妻のような役割です。実は安倍首相はその役割を極めて上手にやったということになります。

挿入画像14=国連を舞台とする米中の動向と日本

 では今後がどうなるかといえば、バイデン政権の外交政策がどうなるかにかかっています。トランプ政権で評価すべきところは、対中強硬路線です。これだけはっきりと中国に対してものを申して、毅然とした姿勢を示した米国大統領はいなかったので、そこは評価すべきでありますが、しかし国際協調はめちゃくちゃにしてしまいました。バイデン政権はもう少し国際協調を重視するかもしれませんが、トランプほど中国に対して毅然とした姿勢を示せるかどうかはクエスチョンということになります。ですから、今後のバイデン政権の外交政策を注視しながら、それに合わせて日本の行くべき道を決定していかなければらない、というのが基本的立場になります。

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