国連を舞台とする米中の動向と日本02


 前回から「国連を舞台とする米中の動向と日本」と題する新しいシリーズの投稿を開始しました。私が事務総長を務めるUPFは、国連経済社会理事会の総合協議資格を持つNGOであるため、国連の動向に対しては関心を持たざるを得ません。最近の国連において最も懸念すべき問題は、中国の影響力の増大と米国の国連離れです。このシリーズでは、国連の成り立ちから始まって、米中が国連を舞台にどのような抗争を繰り広げているのかを解説します。その中で日本の立ち位置も考えてみたいと思います。

 国連ができていく初期の段階における最大の失敗は何だったのかといえば、やはりアメリカのトップであったルーズベルトが、自由民主主義国家群の革命を目指しているソ連を国連創設のパートナーとして信頼してしまったということです。それに乗じてスターリンは国連が創設されたときに多数のエージェントを送り込んで、主導権を握るようになったのです。

挿入画像06=国連を舞台とする米中の動向と日本

 そのようなエージェントの1人がアルジャー・ヒス(1904-1996)という人物です。この人はルーズベルトの側近であり、アメリカの国務省の高官だったのですが、実はソ連のスパイだったのです。この人は共産主義のスパイであることを否定した偽証罪で1950年に有罪になっておりますが、こういう人物がヤルタ協定の草案を作り、国連憲章草稿を作った中心人物になったということですから、かなり初期の段階から国連に共産主義思想が入り込んでいたということになります。

挿入画像07=国連を舞台とする米中の動向と日本

 もう一人がエレノア・ルーズベルトです。この人はフランクリン・ルーズベルトの夫人です。彼女はルーズベルト政権の女性やマイノリティに関する政策に大きな影響を与えました。夫の死後、第1回国連総会のアメリカ代表に指名され、国連人権委員会の初代議長となり、世界人権宣言を自ら起草して1948年に採択させています。一貫して「女性問題」を扱ってきたわけですが、この人の別名が「エレノア・ザ・レッド」です。進歩的なアメリカの偶像的存在ということで、彼女の左翼的な思想は当時のアメリカ人からも「エレノア・ザ・レッド(赤のエレノア)」と呼ばれるほどであったということです。

 彼女の周辺にはアメリカ共産党員やコミンテルン関係者が集まっており、その人脈がルーズベルト政権と国連に侵入して「赤のネットワーク」を構築していったのです。つまり、アメリカのトップであるルーズベルトがまず自分の家庭の中に、そして国務省の中に、さらに国連の中に共産主義の侵入を許してしまったということが、その後の国連の問題点となっていったのです。

 これが国連が創設直後に抱えた大きな問題、すなわち「機能不全」に直結していくことになります。国連は6つの大きな機構からなっていますが、その中でも最も重要な2つが総会と安全保障理事会と言われております。国連総会は、国連加盟国全てが参加している組織ですが、この総会の勧告には拘束力がなく、当事国にたびたび無視され、紛争解決の役に立たないことが多いのが現状です。したがって総会がやっていることは、議論をして決議を通すことだけであり、何の権威もないという現実があります。一方で安全保障理事会は5カ国の常任理事国と10カ国の非常任理事国で構成されていますが、その勧告には全加盟国が従わなければなりません。無視すると、非軍事制裁措置の後に、軍事行動をも発動することができる強力な権限を安保理は持っているのです。したがって国連で一番力のある組織は安全保障理事会ということになるのですが、この安保理もまた、機能不全に陥ってしまうわけです。

 なぜそうなったかというと、例の「拒否権」を認めたからということになります。5カ国のうち1カ国でも反対すると決議が通らないのです。では、これまでにどの国が最も多く拒否権を使ってきたのかというと、ソ連とその後継者であるロシアがトップであり、全部で127回になります。このうち106回までが1965年以前に発動したということですから、冷戦が激しかったころにソ連は拒否権を乱発していたということになります。その次がアメリカで83回ですから、結局はアメリカとソ連がお互いの国益にかなわないものはどんどん拒否していったので、この拒否権によって安保理は機能しなくなってしまったのです。

 これまで述べてきたように、国連は第二次世界大戦の結果としてできたものであり、その戦争の過程と大きな関係があります。第二次世界大戦において日本が戦った主要な国はアメリカでありますが、より正確に言うと「連合国」ということになります。この連合国の名前を“The United Nations”といいました。この名前が実はそのまま国連の名前になったのです。この連合国の中心的な国がアメリカ、イギリス、フランス、中国、ソ連であり、この5カ国が後に国連の安全保障理事会の常任理事国になっていったのです。しかし、この「中国」の部分が問題でありまして、日本が戦った「連合国の中国」と「今の中国」は、実は違う国です。場所としては同じ中国なのですが、政権や国のあり方がまったく違うということです。

 日本は「中国と戦争をしていた」わけですが、これをより正確に言うと、大日本大国と「中華民国」という国が、1937年から1945年まで「日中戦争」という戦争をしていたということになります。ではこの「中華民国」という国がどういう国かというと、1912年に建国された国です。それまで中国には「清」という王朝があったわけですが、その清を倒して「中華民国」という共和制の国を作ったのだということになります。この中華民国の政権は袁世凱、孫文、蒋介石と継承されてきました。孫文のときに国民党という政党が作られまして、その後継者が蒋介石ですから、日中戦争における中国の敵は蒋介石の国民党政権であったということです。

 ところが、第二次世界大戦が終わりますと、中国国内で本格的な内戦が起きるようになります。毛沢東率いる中国共産党が、蒋介石率いる政府軍に対してクーデターを起こします。毛沢東はソ連から援助を受けたりして、そのクーデターを成功させます。蒋介石は海を渡って台湾に逃げて、台湾にそのまま中華民国の政府を移しました。実は「台湾」というのは国の名前ではなくて、楕円形の島の名前でありまして、ここに蒋介石が逃げ込んで中華民国の政府を移したのだということです。

 一方で大陸のほうは、蒋介石を追い出すことによって中国共産党が完全に支配するようになり、1949年に「中華人民共和国」を建国することになります。したがって中国を場所だけで考えると中華人民共和国が中国なのですが、政府として考えると台湾に逃げた中華民国の方が実は本来の中国の政府なのだという、ちょっと複雑なかたちになるのです。

 いまはどうなっているかというと、大陸を支配している中華人民共和国が圧倒的に力が強いので、一般的にはこちらが「中国」ということになります。その中国の主張していることは、「台湾は国ではない。国ではないのに国であると勝手に言っているだけだ」ということで、これを「One China Policy」と言います。あくまでも中国は一つであるという意味です。日本も中華人民共和国と国境を結んだ以上は、台湾とは国交を結ぶことはできません。したがって、台湾には日本の大使館はありません。その代わりに日本台湾交流協会という連絡機関が設置されています。このことから分かるのは、いまの中国は日本が日中戦争で戦った国ではないし、そもそも国連の常任理事国になった国でもないということなのですが、この「2つの中国」が国連で大問題になるわけです。

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