憲法改正について05


4.日本国民の意思が問われたことが一度もない

 憲法改正が必要な4番目の理由が、この憲法の是非について、日本国民の意思が問われたことが一度もないということです。

 日本国憲法には「上諭(じょうゆ)」と呼ばれる部分があります。「朕は」で始まりますので、天皇陛下のお言葉ということになります。以下のような内容です。
「朕は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三條による帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」

 これは日本国民の総意に基づいて、帝国憲法第73条に基づき憲法を改正したことを認め、公布するという意味です。さらに日本国憲法第1条は以下のようになっています。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」

 これらが何を意味するかと言うと、日本国憲法は形式上、明治憲法第73条に基づいて改正されたことになっています。しかし、実際には改正にあたって国民の意思が問われたことは一度もないのです。ですから、「日本国民の総意に基づいて」と書いてあるこの上諭と第1条は、真っ赤な嘘なのではないかという疑念があるのです。これは現在の憲法の正当性に関わる問題です。

 それでは新憲法に対して国民の意思を問うという考えや試みが全くなかったのかと言えば、そうではありませんでした。実は極東委員会はこの憲法を「保護観察」する必要があるとみなしていたのです。

 そもそも極東委員会は、GHQ主導のもとに進められていく憲法改正に不快感をいだいていました。オーストラリア代表は、「日本国で施行される憲法は、暫定憲法であると考えるべきである。暫定期間の終了時に、国会の特別会議か憲法制定会議が暫定憲法を審査し、新憲法または改正憲法を国民投票に付すべきである。」と主張していたのです。

 さらに1946年10月17日の極東委員会の政策決定で、「極東委員会は、日本国憲法が日本国民の自由な意思の表明であるかを決定するにあたり、国民投票または憲法に関する日本国民の意見を確認するためのその他の適当な手続きをとることを要求できる」と定められました。しかし、実際に国民投票が行われることはなかったのです。ですから、日本国民はこの日本国憲法に対して「イエス」とか「ノー」とかいう意思を表明したことは一度もないのです。

5.自衛隊が憲法違反の存在にされてしまっている

 憲法改正が必要な5番目の理由は、もう少し具体的な内容になります。それは自衛隊が憲法違反の存在にされてしまっているということです。これは憲法第9条に関する問題です。憲法改正といえば第9条の改正というくらい、最も頻繁に議論される問題です。憲法第9条を改正すべきだという世論は、着実に高まっています。

憲法改正について図⑩

①憲法9条改正の世論は高まっている

 毎年憲法記念日になると、各新聞が憲法改正についての世論調査を行います。今年(令和5年)の読売新聞では、憲法改正の必要性についても、9条2項の「戦力不保持」の部分の改正についても、自衛隊の根拠規定を明記することに対しても、過半数が賛成をしております。毎日新聞の世論調査でも、自衛隊の根拠規定を明記することに対して55%が賛成しています。

 左寄りの朝日新聞の場合には、憲法9条の改正に対しては賛成37%、反対55%となっているのですが、朝日新聞でさえ賛成は昨年の33%から37%に上昇しているのです。自衛隊は災害復旧作業等で活躍しており、国民から幅広い支持を得ているのに、違憲の存在にしておくのは申し訳ないという思いから、この部分に関しては改正した方がよいという世論が高まっているのです。

②憲法第9条をめぐる解釈

 それでは憲法第9条の解釈はどうなっているのでしょうか。日本国憲法第9条は以下のような文言になっています。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」この第1項は「戦争放棄」を定めた部分です。
「2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」この第2項は「戦力の不保持」を定めた部分です。

 憲法9条の解釈の最大の問題は、いくら日本が戦争をしないんだと言っても、日本がどこかの国から侵略を受けた場合、自衛権の行使として武力で侵略を撃退できるかどうかということです。

 これに関してはさまざまな解釈が可能でしょうが、司法の解釈としては最高裁の判決があります。最高裁判所は、日米安保条約の合・違憲性が問われた事件(砂川事件)の判決で、次のように述べています。
「(憲法第9条により)わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。(中略)わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」(1959年12月16日)

 一方で政府の解釈は、「自衛のための抗争は放棄していないが、陸海空軍その他の戦力の保持は認められない。『戦力』にいたらない『自衛力』によって、自衛権を行使することは可能である。」というものです。しかし実際には戦力と自衛力をどこで線引きするのかは難しいわけですから、その場しのぎの苦しい解釈になってしまっています。憲法の文言と現実の間に齟齬があるので、分かりにくくなってしまっているのです。

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