書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』192


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第192回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国で暮らす日本人の統一教会信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。今回は「五 A郡・B市・ソウルの信者達」の内容を扱うことにする。これは一言でいえば、統一教会の在韓日本人信者の信仰における地域差を扱った部分である。A郡は農村であるが、B市はソウル近郊の都市であり、ソウルの中心部はまさに首都のど真ん中である。こうした地域の違いが信者の信仰生活にどのように影響しているのかを中西氏は分析している。結論的に言えば、韓国における信仰生活の地域差は日本よりもはるかに大きいということになる。

 まず学歴であるが、A郡とB市に比べてソウルの信者は高学歴である。性別においては、ソウルには男性信者もいるがA郡とB市は女性のみである。農村であるA郡においては、日本人と言えば統一教会信者しかいないため、彼女たちが信者であることは近隣の人々は誰もが知っており、彼女たち自身も信者であることを隠そうとはしていない。彼女たちは地域社会に対して「統一教会で結婚したので韓国に来た」とはっきり伝えており、統一教会の「看板を背負っている」ようなものだという。したがって、「生活自体が伝道。仲のいい家庭を築くことが伝道」であると思っている。彼女たちは頻繁に教会に集まり、信者同士の結びつきは非常に強い。このように、信仰をはっきりと明示しても地域社会から受け入れられているのが、A郡における信仰生活の特徴である。

 ソウル近郊のB市は、2000年のデータで人口約250万人ほどの市である。ソウル近郊でこれだけの人口を有する市と言えば仁川以外にはないのだが、本書では市の名前は伏せられている。B市でも、仕事が不安定な夫がいるという点ではA郡とあまり変わらないという。ここでは、家計を支えるために家庭日用品等のネットワークビジネス「アムウェイ」の仕事をしている日本人女性信者たちが中西氏の調査対象になった。アムウェイの仕事をしていると、日曜日に所属教会に行って会う信者仲間よりも、同じ仕事をする信者仲間の結びつきが強くなる傾向にあるという。そして会社の同僚や顧客の中にはクリスチャンもいる可能性があるので、彼女たちは統一教会の信者であることを積極的に明かそうとはしていない。統一教会信者であることが自明であるA郡とは勝手が違うようだ。教会との距離感も、A郡ほどには密接な関係ではない。

 一方で、ソウル中心部にあるC教会の日本人信者はA郡やB市と比べて社会的階層が高い。韓国の大学で教員をしている者や会社経営者がおり、同様に韓国人信者の社会的階層も比較的高いという。ソウルには韓国人女性と祝福を受けた日本人の男性信者がいるのが特徴的で、これは農村のA郡には見られないことだという。大学で教員をしている男性信者は、仕事に支障が出ることを恐れて、統一教会の信者であることを隠しているという。

 中西氏がインタビューした1962年生まれの6500双の男性信者は、私とほぼ同世代(2歳年上)であり、経歴も一部重なっている。「一九八八年に祝福を受け、大勢の信者がまとまってソウルの教会所属になる。三ヶ月間、語学堂(大学付属の日本語学校)で韓国語を学び、その後、日本に戻り四〇日間のマイクロをして再び渡韓した。『世界日報』が創刊されたときで、任地生活をしながら一日に二〇〇部の配達を担当した。支局(『世界日報』の販売店)を任されると同時に家庭出発をする。このとき所属教会でくじ引きをして、そのまま韓国にとどまることになった。」(p.510)というものである。

 私も1988年に6500双の祝福を受けて「コリア人」(渡韓した日本人に対する当時の呼称)として渡韓しており、語学堂で韓国語を学んだり、『世界日報』の配達をしたりした部分はまったく同じ体験をしている。私の場合には、ソウルの城東区にあった城東(ソンドン)教会に40名ほどの日本人信者が共同生活をする中で活動した。当時は24歳であった。毎朝4時に起床して『世界日報』を配達し、昼間は新聞の拡張と伝道をし、週に3回は語学堂に通って韓国語の勉強をした。当時は全体で約4000名の日本人が渡韓し、『世界日報』の配達を担当したと聞いている。世界日報の配達は1989年2月1日から始まったが、夏になると突如として4000名の日本人のうち3000名が日本に帰るようにという指示が出され、私も8月にはソウルを後にして東京に戻り、日本で活動することになった。韓国で活動した期間は実質で7カ月ほどに終わった。私の所属していた城東教会でも10名ほどが残ることになったが、私は帰国組になった。このときに残った者と帰国した者を分けた基準が何であったかは分からないが、少なくとも城東教会ではくじ引きは行われなかった。韓国で『世界日報』の配達や伝道活動を行いながら、具体的にケアーすべき伝道対象者が韓国にいた者、あるいは相対者が韓国人であり、今後韓国で生活することを前提としている者などが残ったと記憶している。私の場合には相対者が日本人であったため、日本人同士で韓国で生活する必然性が薄かったことも、帰国組になった理由の一つであったかもしれない。

 中西氏がインタビューした日本人の男性信者が韓国に残ったのも、『世界日報』の支局を任されるなどの責任が大きかったことと、相対者が韓国人の女性であったことも理由としてあったのではないかと推察される。韓国に残ったこの男性は、日本語学校で教師の職を見つけて経済基盤を作っていく。日本人男性が韓国で職に就くのは容易ではなく、誰もが上手に日本語を教えられるわけでもない。この男性信者はとりわけ能力が高かったために、韓国社会に適応して500万ウォンもの月給を手にするようになったのであろう。韓国における代表的な成功例と言えるのではないだろうか。しかし一方で、勤務先の同僚には自分が統一教会の信者であることを明かしてはいない。韓国でも都市部では社会に順応するために信仰を隠す必要があることを意味している。

 中西氏は自分が調査した三つの地域を比較したうえで、「信者であることが農村部では顕在化し、都市部では潜在化するということになる。顕在化、潜在化によって信者としての日常生活は異なり、顕在化のA郡であれば、毎日が統一教会の看板を背負っているようなものである。・・・B市やソウルの信者と比べるとA郡のような農村の日本人女性信者は日常生活と信仰生活が一体化している。潜在化のB市やソウルでは仕事に差し支えないように日常では隠さねばならず、多少の緊張感をもって暮らすようになる。」(p.512)と結論している。

 こうした地域による信仰の違いは、日本では見られないものだ。日本国内において、北海道、東北、首都圏、中部、関西、中四国、九州では、それぞれの地方の文化の違いのようなものはあるだろうが、統一教会の信仰生活そのものが大きく変化するわけではない。同じように、韓国の全羅道、慶尚道、忠清道、京畿道、江原道で土地ごとの文化の違いがあったとしても、信仰生活そのものが大きく変化するわけではないが、信仰の顕在化・潜在化という点では大きな違いが出るというのである。農村部のA郡では信者であることを明かさずとも周囲の韓国人は「日本人女性=統一教会信者」と認識しているが、B市やソウルでは言わなければ分からないし、むしろ隠す傾向にあるということだ。日本における統一教会の信仰では、韓国のA郡のような状況は存在しないか非常にまれであり、全国的にB市やソウルのような状況にあるということになるだろう。

 中西氏の研究は、三つの地域における統一教会信者に対してインタビューを行った結果を客観的に分析したものであり、特段に事実が歪曲されたものであるとは考えられない。ただし、彼女の分析は在韓の日本人信者を対象としたものであり、韓国人を含めた韓国統一教会の全体像をとらえたものではないことは留意しておかなければならない。すなわち、信者であることが農村部では顕在化し、都市部では潜在化するという傾向は、日本人信者には当てはまるかもしれないが、韓国人信者にも同じことがいえるとは限らないということである。韓国の農村にお嫁に来た日本人女性は、ただでさえ地域社会で目立つ存在である。その理由を問われれば、統一教会の信仰を明かさないわけにはいかないであろう。しかし、田舎であったとしても地域社会に溶け込んでいる韓国人の統一教会員がことさらに信仰を顕在化する必要があるとは思えない。

 日韓を本格的に比較するのであれば、同じ韓国人と日本人のカップルであっても、日本に嫁いだ韓国人女性の信仰生活のあり方と日本社会との関係、さらに日本在住の韓国人男性の信仰生活のあり方と日本社会との関係、およびその地域差などを合わせて比較すれば、面白い研究になるかもしれない。しかし中西氏はそこまで問題を掘り下げることなく、韓国における日本人信者の信仰生活と、自らは直接調査していない日本における統一教会の信仰生活を比較することで終わっているため、研究に深みがなくなってしまっている。この点に関しては次回扱うことにする。

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