2.日本人が自主的に制定した憲法ではない
憲法改正をすべき2番目の理由は、日本人が自主的に制定した憲法ではないからです。そこでしばらく、日本国憲法がどのようにつくられたのかについて解説したいと思います。
①日本国憲法はどのようにつくられたのか?
1945年8月14日に日本政府がポツダム宣言を受諾し、連合国側に終戦を通告します。その翌日の「玉音放送」を通じて日本人は敗戦を知ることになります。日本が敗戦しますと、連合国総司令官としてマッカーサーが日本にやってきます。
1945年10月11日に、マッカーサー元帥が当時日本の首相であった幣原喜重郎に対し、明治憲法の改正を示唆します。「国の形を変えるには、まず憲法から」というのがマッカーサーの意図でした。
そこで幣原首相は、憲法問題調査委員会(いわゆる松本委員会)を設置しました。これは松本烝治国務大臣を委員長とし、東京帝大、東北帝大、九州帝大の憲法担当教授などの専門家で組織されていました。松本委員会の憲法改正作業は厳重な秘密のうちに進められていたのですが、1946年2月1日、『毎日新聞』の第1面に突如「憲法問題調査委員会試案」なるスクープ記事が掲載されたのです。松本委員会の案では、天皇の地位と権能は明治憲法をほとんどそのままにしていました。この憲法草案を「あまりに保守的、現状維持的」とした『毎日新聞』によるスクープ記事は、GHQが日本政府による自主的な憲法改正作業に見切りをつけ、独自の草案作成に踏み切るターニング・ポイントとなりました。松本委員会の案があまりにも保守的だったので、マッカーサー元帥はそれを受け入れられないと判断し、最良の方法は総司令部で憲法草案を用意することであるという結論に達したのです。
そこで、大急ぎで極秘のうちに、連合国総司令部による憲法草案作成の作業が進められました。わずか10日間で草案を書き上げたと言われています。そして同年2月13日に、総司令部によって作成された日本国憲法草案が、民政局長ホイットニー准将の手で吉田茂外務大臣と松本国務大臣に渡されることとなります。憲法草案を渡された両大臣は茫然としました。まず連合国総司令部のアメリカ人たちが日本の憲法の草案を書いたという事実に対して、そしてその草案の内容にも茫然としたのです。そのくらい、当時の日本人にとっては受け入れがたいことだったのです。
ところがホイットニー局長は、「この草案に沿った憲法改正案が示されなければ、天皇の身体に責任をもてない」と語り、政府に大きなショックを与えました。1946年2月と言えば、まだ東京裁判が始まる前です。天皇陛下が戦犯として裁かれるかどうか、まだハッキリしていなかった頃のことです。天皇陛下をお守りするためにも、これに従わなければならないのではないかと思わざるを得なかったと思います。
同年2月22日に幣原首相がマッカーサー元帥と会談します。元帥の態度は硬く、結局、大枠はマッカーサー草案に依拠することとなったのです。その結果、日本の文化や歴史をよく知らず、法律の専門家でもない外国の軍人たちが作成した草案が、ほぼそのまま日本の憲法になったのです。この「ほぼ」というのは、日本側の抵抗で修正された部分もあったという意味ですが、骨格はマッカーサーの原案のままだったのです。
②マッカーサーはなぜ新憲法の制定を急がせたのか?
それではなぜマッカーサーは新憲法の制定を急がせたのでしょうか? その理由の一つに、極東委員会の存在があります。1946年2月26日、戦勝国11か国(米国、英国、ソ連、中華民国、オーストラリアなど)で構成される極東委員会がワシントンで第一回目の会合を開きました。同委員会は、「日本の憲法構造または占領管理制度の根本的改革」に関する最終的な決定権を持っていました。そして極東委員会の中には、天皇の戦争責任を国際軍事法廷で問うべきだと主張している国もありました。
しかし、マッカーサー元帥はこの極東委員会とは異なる考えを持っていました。彼は天皇を守り、天皇制を存続させるべきだと考えていたのです。彼が日本国憲法案の起草を急がせたのは、天皇を存続させるためにも、極東委員会が動き出す前に、既成事実を作っておく必要があったということなのです。事実、極東委員会はマッカーサー主導で進められていく憲法改正過程に反発していました。
マッカーサーが新憲法の制定を急がせた理由については、別の解釈もあります。それが2021年に上映された「日本独立」という映画の中で描かれています。この映画は日本国憲法の成立過程を描いていますので、関心のある方は視聴をお勧めします。
この映画は白洲次郎と吉田茂を軸に、日本国憲法がドタバタの中でどのように作られたかを描いています。私はこの映画を劇場で見ましたが、「一国の憲法がこんな拙速なやり方で決められていいのか?」というのが率直な感想です。
この映画の中で描かれているマッカーサーが新憲法の制定を急がせた理由は、じっくりと議論していては、米国が主体となっている日本の占領政策にソ連が口出しをしかねないからというものでした。それでGHQは新憲法案の即決採用を強く求め、そのようなマッカーサーの意思を吉田茂が受け入れて、新憲法が制定されたというストーリーになっています。
この映画の中では、吉田茂はとりあえずGHQの言うとおりに憲法を制定しておいて、日本が独立して米軍がいなくなってから自分たちで憲法改正したらいいじゃないかと考えていたように描かれています。早く米軍にいなくなってもらい、主権回復すれば憲法はどうにでもなるということです。映画の中で吉田茂が身内に語った冗談に、「GHQとはどういう意味か知ってるか?」「General Head Quartersの略じゃないの?」「いや、Go Home Quicklyの略だ。」「やだー。逮捕されるわよ~。」というやり取りが非常に印象的でした。