憲法改正について03


③日本国憲法の前文は「コピペ」で成り立っている。

 日本国憲法の草案は連合国総司令部の軍人たちによって急いで作られたために、その「前文」は、歴史上のさまざまな有名な文書の「コピペ」で成り立っているという指摘があります。例を挙げると以下のようになります。

憲法改正について図⑤

 そもそも、日本国憲法の前文はアメリカ合衆国憲法に書き出しの部分が非常によく似ています。「われらとわれらの子孫のために」とか、「自由のもたらす恵沢を確保し」とか、「この憲法を確定する。」という文言は、アメリカの憲法と同じです。ですから冒頭部分はアメリカの憲法にそっくりなのです。また、リンカーンの有名な演説である「人民の、人民による、人民のための政治」を意訳したような部分があると言われています。

憲法改正について図⑥

 マッカーサー・ノートというのは、マッカーサー元帥がGHQのなかで日本国憲法草案を作成するように命じるにあたって、これだけはいれるようにと指示したものですが、その文言を修正したものが日本国憲法前文の中に入っています。さらにテヘラン宣言の中にある「専制と隷従、圧迫と偏狭」という言葉がそのまま使われています。

憲法改正について図⑦

 さらに大西洋憲章の中にある「恐怖と欠乏から解放されて」という言葉もそのまま使われています。またアメリカ独立宣言からひっぱってきたと思われる部分もあります。

 どうしてこのような「コピペ」の文章になってしまったのかと言えば、やはり時間がなかったからであると思います。GHQ民生局で「前文」を担当したのは、アルフレッド・ハッシーという当時44歳の海軍中佐でした。彼はハーバード大学を優秀な成績で卒業し、バージニア大学ロースクールを修了し、入隊前は弁護士や裁判官として活躍していた俊才でした。しかし、いかに俊才であっても、他国の「憲法の顔」というべき前文を数日間で完成させるのはやはり不可能でした。そこで既存の歴史的文書の良いところを寄せ集め、張り合わせて、何とか格好をつけたということなのです。

 私がアメリカに留学していたころに、論文を書くときに一番やってはいけないことは盗作であると教えられました。あっちこっちから「コピペ」して論文を作ってはいけないと言われました。しかし、いかに秀才と言えども、短期間にあまりにも重大な仕事をしなければならなかったために、そうせざるを得なかったのだろうと思います。

 このようにしてできた前文なので、日本の歴史、伝統、文化、国柄などに一切言及しておらず、「日本国の顔」が見えない文章になっています。いかにも英文を翻訳したような口調であり、しかもあまりうまい訳ではありません。もともと英文で書かれたものを日本語訳したので、語句や文法上の誤りがあると指摘されています。日本国憲法はそもそも日本語としておかしいのではないかという指摘です。

④日本国憲法の前文は日本語としておかしい

 こうしたことを最も強烈に主張した人が、衆議院議員と東京都知事を務めた石原慎太郎でした。彼は作家でもあったので、言葉の問題にはとりわけ敏感でした。「民族の感性をそこなう憲法である。全文を書き直すべき。」「およそ日本語らしさを感じられない現在の憲法は文化の破壊に他ならない。」などと痛烈に批判しています。

憲法改正について図⑧

 たとえば、「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と言っているのですが、日本語なら普通は「制定する」と言うべきだろうと批判しています。さらに、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」と言っているのですが、日本語なら普通は「信義を信頼し」と言うべきだろうとも言っています。普通の日本語なら、「君を信頼して金を貸す」と言うのであって、「君に信頼して金を貸す」などとは言わないだろうということです。

 なぜこんな表現になったのかと言えば、“trusting in”というもともとの英文に引きずられたのではないかと言っています。

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