書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』176


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第176回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。第169回から中西氏がA教会で発見した任地生活の女性信者に向けた「15ヶ条の戒め」と呼ばれる心構えの分析に入った。中西氏はこれを、日本人女性信者の合理的な判断力を抑圧し、信仰的な発想しかできないよう仕向けているかのようにとらえているが、そこで述べられている戒めは世界の諸宗教が伝統的に教えてきた内容であり、同時に人間が幸福に生きていくための心構えと言えるものも含まれている。先回は⑬自分の家庭が誰に対しても模範となること、を紹介し分析したので、今回はその続きとなる。

14.報告生活を熱心にすること
 統一教会の信仰を持たない一般の人々にとっては、「報告生活」という言葉の意味は分かりづらいであろう。統一教会の信仰生活指導の中では、「報告・連絡・相談」(略して「報連相」)という言葉がよく用いられる。この言葉は統一教会の特殊用語ではなく、一般的なビジネス用語としても用いられてきた。1982年に山種証券社長の山崎富治が社内キャンペーンで始めたことが広く知られており、彼の著書『ほうれんそうが会社を強くする』がベストセラーとなることによって世間一般に広まったと言われている。統一教会における「報連相」は、『原理講論』には出てこない言葉であり、宗教用語というよりは、組織内部の円滑なコミュニケーションを図るために習慣的に使われている言葉であると理解してよいであろう。

 だからと言ってこれがもっぱら世俗的な概念であるかと言えばそうではなく、信仰生活のかなり本質的な部分に関わる言葉であると言える。それは特に、カインとアベルの関係において実践的な用語として使われてきた。『原理講論』は、アダムの家庭において「実体基台」がつくられるためには、カインは「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てなければならなかったと教えている。それは、人間が堕落性を持つようになった経路と反対の経路をたどることによって実現するとされる。

 第一に、「神と同じ立場をとれない堕落性」を脱ぐためには、天使長の立場にいるカインは、アダムの立場にいるアベルを神と同じ立場で愛さなければならない。第二に、「自己の位置を離れる堕落性」を脱ぐためには、天使長の立場にいるカインがアダムの立場にいるアベルを仲保として、神の愛を受けなければならない。第三に、「主管性を転倒する堕落性」を脱ぐためには、天使長の立場にいるカインがアダムの立場にいるアベルに従順に屈伏して、彼の主管を受けなければならない。そして最後に、「罪を繁殖する堕落性」を脱ぐためには、天使長の立場にいるカインが、自分よりも神の前に近く立っているアベルから善のみ言を伝え受けて、善を繁殖しなければならない。

 信仰生活の中で、このカインとアベルの関係は、具体的な人間関係の中で展開される。自分の牧会者、上司や先輩などは、自分からみてアベルの位置に立っているため、自分はカインの立場で信仰生活をしなければならない。この時、上記の4つの蕩減条件を立てるための具体的な方法が、アベルに対する「報告・連絡・相談」なのである。カインはアベルを仲保としなければ神の愛を受けることができないのであるから、日々の信仰生活の出来事をアベルによく報告し、連絡しなければならない。またカインはアベルに従順に屈服し、そのアドバイスを受けなければならないのであるから、重要な決定事項に関してはアベルに相談をして判断を仰がなければならないのである。これを怠ると、カインはアベルにつながることができず、結果的に神につながることができないので、報告生活が重要になってくるということである。

 なお、この「報告生活」はアベルとカインという人間関係にのみ適用される言葉ではなく、神と人間の関係にも適用される言葉であることは留意する必要がある。現在の家庭連合においては、祈祷は神に対する「報告」であるとされ、祈りの最後の言葉も、「お祈り申し上げます」ではなく、「ご報告申し上げます」と結ぶように指導されている。その意味では、「報告生活」は「祈祷生活」であるとも言えるのである。

 こうした「報告生活」の意義や重要性は、『み旨の道』に収録された文鮮明師の以下のような言葉の中にも見出すことができる。
「天国生活は相談し報告する生活である。」
「集会のときには証と報告の時間をたくさんもちなさい。」
「毎日毎日なされたこと、なしたことを父母に報告し喜ばせてあげようとするところに発展がある。」
「報告を徹頭徹尾しなければならない。悪いことから先にしなければならない。」
「自分たちだけで話し合ってうまくやったとしても、それだけでは絶対に神様の前に出られない。報告と連絡で神様の前に通達され、認定されねばならない。常に神様を中心とした四位基台を造成して、働き生活しなさい。」
「祈りというのは率直に報告する生活である。」
「朝の敬拝式は神様の前に生活を報告する儀式である。」

15.霊的な問題を解決すること
 統一教会では霊界の存在を信じ、われわれの日々の生活には霊界からさまざまな影響があると考えている。地上で起きるさまざまな問題の背景には霊的な問題があるので、それを解決しない限りは根本的な解決にならないと考えているのである。こうした考え方は統一教会に固有のものではなく、多くの宗教が人間の生命は肉体の寿命が尽きるとともに完全になくなって無に帰してしまうのではなく、何らかの形で死後も生命が継続すると考えてきた。

 また、日本の新宗教の中には「先祖の因縁」を説くものが多い。具体的に言えば、霊友会、大本教、真如苑、解脱会、天照皇大神宮教、世界真光文明教団、阿含宗、GLAなどを挙げることができるであろう。これらの教団は多くの場合、宇宙を目に見えるこの世界すなわち現界と、目に見えない神や霊の世界すなわち霊界の二重構造からなると考え、それら二つの世界の間には密接な交流影響関係があるとしている。すなわち現界で生起するさまざまな事象は、実はしばしば目に見えない霊界にその原因があるのであり、その働きは「守護霊」や「守護神」などによる加護の働きだけにはとどまらず、「悪霊」や「怨霊」などによって悪影響が及ぼされることもあるととらえられている。むしろ実際に霊界の影響がクローズ・アップされるのは、苦難や不幸の原因について説明するときの方が多いくらいである。

 この場合、現界に生きる人間に対して影響を及ぼす霊は、その人と何らかの縁があると考えられるケースが多い。したがって、血縁(親や先祖)、地縁(家や家敷)、その他の個人的な縁を介して、その人と何らかのつながり(因縁)のある霊が、その人に大きな影響を及ぼすということになる。このうち特に重視され、しばしば言及されるのはやはり血縁者(親や先祖)の霊的影響である。そしてこれらの新宗教にはこのような悪因縁を除去するために、除霊や浄霊の儀礼を行うものが多く、それは「先祖供養」(霊友会系教団)、「慰霊」(松緑神道大和山)、「悪霊済度」(天照皇大神宮教)など、さまざまな呼び方をされているが、いずれも信者の基本的実践として重要な位置を占めていることには変わりがない。

 統一教会では伝統的に、日々の信仰生活を通してこうした「先祖の因縁」が徐々に解決され、霊的問題の解決を通して、日常生活における具体的な問題も解決されると考えてきた。しかしながら、現在の統一教会において「霊的な問題を解決する」方法としては、清平役事が圧倒的な位置を占めている。清平の先祖解怨式と先祖祝福式を通して自分自身の抱える血統的な罪の問題を解決しようという信仰実践は、今日の統一教会においては広く浸透しており、①霊障からの解放、②先祖の救いと解放、③病気の癒し――などの効果があると信じられている。したがって、上述の「15ヶ条の戒め」に含まれている「霊的な問題を解決すること」が、具体的には清平の修練会に参加することを勧めている可能性は大である。

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