シリーズ「霊感商法とは何だったのか?」15


蕩減と因縁(3)

また日本には年忌(ねんき)と言って、毎年まわってくる死者の祥月(しょうつき)命日があり、この日に死者供養の仏事が行われる。これには1周忌、3回忌、7回忌、13回忌……とあり、通常は33回忌をもって一応の区切りをつけ、これを「弔い上げ」といって、それ以後は仏事をすることがない。この習俗は日本の祖霊信仰と仏教が複雑に結びついて発展したものである。すなわち、日本では年忌を重ねるたびに霊は神または仏に近づくと考えられたのであり、33回忌をもって死者の霊魂は一家の守護神としての祖霊の仲間入りをする、または完全に成仏するととらえられたのである。

このような背景を知ってみれば、仏教における「因縁」や「因果応報」の考え方が、日本では先祖との関わりの中でとらえられるようになったのは、至極当然のことであったと思われる。現世における業が自分自身の来世において報われるという輪廻の考え方は、多分に個人主義的であると同時に、現世の一時的な人間関係には何らの永続的な価値を見いださないものであるために、血統的なつながりを重要視する日本人にとっては魅力のないものであったかもしれない。したがって祖先の業が子々孫々に受け継がれていくことを「因縁」や「因果応報」ととらえたのも無理からぬことであった。

しかし先祖は崇拝の対象であり、ホトケでありながら、「先祖の因縁」というと何やら先祖の積んだ悪業が子孫の身に降り掛かってくることであるかのようにとらえられているというのは、明らかに矛盾をはらんでいる。これは日本古来の御霊(ごりょう)や怨霊(おんりょう)という観念が影響したものと思われる。これらは崇りをなす神のことであるが、崇道(すどう)天皇や菅原道真(すがわらのみちざね)のように、恨みをもって死んだ者は怨霊になると信じられていた。このような怨霊は、天災や疫病などをもって人々を苦しめると考えられたため、丁重に祀られたのである。したがって恨みをもって死んだ先祖が十分に供養されないうちは、子孫に悪影響を及ぼすという観念が生じたとしても不思議ではない。(注1)

 

北斎怨霊

「葛飾北斎画『近世怪談霜夜星』に登場する怨霊(左)」

 

もともと日本には、死霊は祖霊として安定する前段階の存在であり、ときとして災いをもたらすものであるという観念があった。したがって、まだ死んで間もない先祖は完全に成仏しておらず、「弔い上げ」をすることによって真のホトケになるのであり、それまではその悪因縁を避けるためによく供養しなければならないという観念が生まれたのも、日本においてはごく自然なことであった。

このような祖先崇拝と仏教の習合は、徳川幕府がいわゆる寺請制度によって社会の隅々にまで寺壇関係を確立させたことによって、一層濃密に庶民の間に普及することとなった。すなわち寺請制を介して成立させられた近世の寺壇制度は、葬式、年忌法事、善供養をその主内容として祖先崇拝と仏教の結合を庶民の間に普及させ、檀家にとって寺は祖先の祭り場、寺僧はその祭司という正確を濃厚にさせたのである。このような「家」と仏教との結びつき、および寺と檀家との関係は明治維新の後にも生き続け、都市化や人口移動によって脅威にさらされているとはいえ、今日に至るまで生き続けている。そして急激な人口移動によって壇那寺との関係が切れた人々の心の中にさえ、先祖を尊ぶ心や、先祖の因縁という宗教的観念は生き続けているのである。

その証拠に、日本の新宗教の中には「先祖の因縁」を説くものが多い。具体的に言えば、霊友会、大本教、真如苑、解脱会、天照皇大神宮教、世界真光文明教団、阿含宗、GLAなどを挙げることができるであろう。これらの教団は多くの場合、宇宙を目に見えるこの世界すなわち現界と、目に見えない神や霊の世界すなわち霊界の二重構造からなると考え、それら二つの世界の間には密接な交流影響関係があるとしている。すなわち現界で生起するさまざまな事象は、実はしばしば目に見えない霊界にその原因があるのであり、その働きは「守護霊」や「守護神」などによる加護の働きだけにはとどまらず、「悪霊」や「怨霊」などによって悪影響が及ぼされることもあるととらえられている。むしろ実際に霊界の影響がクローズ・アップされるのは、苦難や不幸の原因について説明するときの方が多いくらいである。(注2)

この場合、現界に生きる人間に対して影響を及ぼす霊は、その人と何らかの縁があると考えられるケースが多い。したがって、血縁(親や先祖)、地縁(家や家敷)、その他の個人的な縁を介して、その人と何らかのつながり(因縁)のある霊が、その人に大きな影響を及ぼすということになる。このうち特に重視され、しばしば言及されるのはやはり血縁者(親や先祖)の霊的影響である。そしてこれらの新宗教にはこのような悪因縁を除去するために、除霊や浄霊の儀礼を行うものが多く、それは「先祖供養」(霊友会系教団)、「慰霊」(松緑神道大和山)、「悪霊済度」(天照皇大神宮教)など、さまざまな呼び方をされているが、いずれも信者の基本的実践として重要な位置を占めていることには変わりがない。

このように日本の宗教伝統を概観してみるときに、「先祖の因縁」という宗教概念が、極めて広範囲に人々の間に広まっていたことは疑う余地がない。

 

(注1)横井清「御霊信仰」(同上、p.677-8)

(注2)井上順孝、孝元貢、対馬路人、中牧弘允、西山茂編『新宗教事典』弘文堂、1990年を参照

 

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