神道と再臨摂理シリーズ13


 これまでは神道に関する基礎知識を解説し、古代から現代にいたるまでの神道の歴史を概観してきました。今回からそれらの知識をもとに、本題である神道と再臨摂理のかかわりについて解説します。

 まず、家庭連合と神道を比較してみれば、宗教としての普遍的価値観を共有する部分もありますが、だからと言って類似点を過度に強調することもできません。なぜなら、両者には明確な違いが存在するからです。主な相違点を一覧表にすると以下のようになります。

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 神道は日本民族固有の宗教であり、それ以外の民族に広まっていくことは基本的にありませんが、家庭連合はあらゆる国や民族に広まっています。ここでいう「自然宗教」とは特定の創設者によらず、自然発生的に生じた宗教のことを言いますが、神道はまさにそうした宗教です。一方で家庭連合は、文鮮明師という特定の創設者によって生じた宗教です。

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 さて、神道と再臨摂理の間には不幸な過去があります。それは日本が韓国を植民地化したことに伴い、韓民族を日本人に教育する「皇民化教育」の一環として、国家神道が朝鮮にも導入されたからです。1925年(大正14年)には天照大神と明治天皇を祭神とする「朝鮮神宮」が建立され、朝鮮総督府は「皇民化政策の一環」として神社参拝を奨励しました。

 日本政府の論理によれば、神社参拝は「国家の宗祀」であって、愛国心の発露のようなものであり、宗教ではないので、これを同じ「皇国臣民」である朝鮮の人民に要求することは当然であり、信教の自由の侵害には当たらないというものでした。しかし、韓国のクリスチャンたちの神社参拝に対する態度は妥協と抵抗の二つに分かれました。カトリックと監理教(メソジスト教会)は、神社参拝が単純な政治的行動に過ぎないという立場を受け入れて、これと妥協しました。一方、長老教会はこれに抵抗し続け、日本政府の激しい迫害を受けました。しかし、1938年の第27回総会で、神社参拝がキリスト教信仰に背馳しないことを決議し、最終的には妥協することとなります。これで、一つの教派として神社参拝に抵抗するキリスト教会はなくなりました。

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 しかし、それでも抵抗を続ける一部のクリスチャンはいたのです。その代表が朱基徹牧師です。彼は朝鮮長老派教会の牧師で、神社参拝は偶像崇拝であるとして拒否し、4度投獄され、5年間獄中にありました。そして、日本による凄まじい拷問の末、1944年4月21日に平壌刑務所で死亡します。49歳でした。この迫害により平壌神学校は閉鎖され、200余りの教会が閉鎖され、2000余名の信徒が投獄され、50余名の殉教者が出たと言われています。

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 そして、黄海道で神社参拝を拒否して投獄された70余名のうち、50名が監獄で殉教し、残りの20名が解放後に出獄しました。彼らは、日本の迫害を耐えぬいたということで、「出獄聖徒」と自称しました。彼らは出獄した後に平壌の章台峴教会教会に集まり、韓国教会再建運動を展開したということなのですが、これがお父様のみ言葉の中に出てくる「再建教会」のことです。実は、崔先吉女史とその母親は、再建教会を信じていたということですから、第一の奥様とその母親は、キリスト教の中でも「獄中派」の教会に属し、その信仰を篤く持っていたことになります。そしてこの崔先吉女史自身も、牢獄を体験するくらい、激しく戦ったということです。

 実は、お父様は1946年に北朝鮮にわたり、この章台峴教会から十数名を復帰しているのです。このときに入教したのが玉世賢ハルモニとか、池承道ハルモニとか、金元弼先生の叔母さんに当たる金仁珠先生などです。この方々は「獄中派」のクリスチャンの伝統の中から復帰された人々です。ですから、こうしてみると本来ならば、「獄中派」の信仰を持っていた崔先吉夫人とその親族がお父様の基盤にならなければならなかったし、再臨主を信じた初期の信徒たちは、この「獄中派」のクリスチャンの中から出てきたと言えるわけです。このように、神社参拝に命がけで抵抗するクリスチャンから再臨摂理が出発したということは紛れもない事実であり、その意味で再臨摂理と神道は不幸な関係にあるのです。神社参拝に関するお父様のみ言葉を少し引用してみましょう。
「日帝末期に、日本人は圧迫を加重して、キリスト教徒たちに神社参拝を強要しました。篤実なキリスト教徒たちは、神社参拝を拒否して地下に隠れました。ある人々は満州に行き、ある人々はソ連に行き、ある人々は山に行って隠れて生活しました。神様を信じながら、日本から解放されるその日を渇望する多くの人々がいました。日本政府と内通していたキリスト教の牧師たちも、たくさんいました。彼らは、日本の指示に従って行動しました。しかし一方では、地下で、山で、変わらずに信仰を守り、解放のその日を待ちながら戦った、愛国的で篤実なキリスト教徒たちが、たくさんいたのです。」(真の御父母様の生涯路程2, p.29-30)
「ところで、外的に神社参拝していた既成教会の代表がみなどのような者たちかといえば、外国に留学した人たちです。皆、日帝の手先のような者たちです。結局は米軍政府が生じたとき誰が通訳官になったかといえば、牧師をしていた人や、牧師と関係して神学を勉強した人々が、通訳官として入っているのです。通訳官として入って、神様のみ旨の中において、アベル圏の宗教集団形成をしてくる歴史的基盤を無視して、彼らは国を中心として一つになってしまったのです。韓国キリスト教の混乱はこの時から始まったのです。」(真の御父母様の生涯路程2, p.63)
「韓国の大統領になる人は、アベルの代表にならなければならないのです。天に侍るアベル的な立場から、神社参拝した牧師を使ってはならないのです。そのような牧師は除去して、獄中や地下で苦労した人々をアベル的教団に立てて、再教育して国を立てることができる業をしなければならなかったのです。」(真の御父母様の生涯路程2, p.66)

 これらのみ言葉から明らかなことは、日本の神社参拝に屈服しなかった信仰的なクリスチャンが李承晩の基盤になるのが天の願いであったということです。再臨主の基盤となる人は、愛国反日の立場でなければならなかったのです。その意味で、再臨摂理と神道の間には一種の「怨讐関係」があるのは事実であり、それは歴史的な事実として否定できません。

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