北村サヨと天照皇大神宮教シリーズ11


 先週まで、北村サヨと天照皇大神宮教に関する研究シリーズをの10回にわたって掲載してきた。第10回を最終回として一度書き上げたのだが、振り返って論じ足りなかった点を発見したので、補足の投稿を行うことにした。これまでの投稿できちんと論じていなかった点は、天照皇大神宮教の「来世観」である。これを統一原理との比較において論じてみたい。

<霊の存在>

 春加奈織希(本名ではなくウェブ上の匿名)による「遥かな沖と時を超えて広がる 天照皇大神宮教」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~harukanaoki/index.html)と題するサイトを見ると、天照皇大神宮教では霊や霊界の存在を認めており、その霊が人間の生活にさまざまな影響を与えていると教えていることが分かる。以下、同サイトからの引用である。
「天照皇大神宮教のお祈りには、悪霊(救われていない霊。すなわち、霊界の地獄にいる霊、および、幽霊や地縛霊)を済度する力、すなわち法力があります。」
「悪霊(あくれい)とは、救われていない霊、すなわち、霊界の地獄にいる霊、そして、幽霊や地縛霊のことでしょう。」

 こうした考え方は、教祖である北村サヨ(大神様)の言葉を根拠としている。
「大神様は、『わしゃあ、よう生きちょる(=よく生きている)人間と幽霊とを見間違えることがあるよ』『幽霊が、生きちょる人間の三十六倍もいる』『文明が進んで幽霊が出んようになったんじゃない。人間に幽霊を見る目がなくなったんじゃ』などなど、お説きになりました。(『天聲』、第337号、紀元37年1月、53頁)」
「悪霊、邪神、生霊(いきりょう)について、大神様は次のように教えておられます。『邪神は己の邪念、邪念に邪神がとりついて飛ぶのが生霊よ。悪霊とは救われていない霊』(『生書』第二巻、第3版、紀元65年、454頁)。」

 統一原理においても、神は人間を霊と肉の両側面をもつ存在として創造されたと説いている。そして、肉身の住む世界として地上界(有形実体世界)を、霊人体の住む世界として霊界(無形実体世界)を創造されたとしている。統一原理の特徴は、ただ単に霊界があるということを直感的に説いているのではなく、その目的をも明確にしている点である。神は肉身生活を有限なものとして創造され、地上での生を終えた人間の霊が永遠に住む世界として霊界を創造されたので、霊界の存在には創造原理的な根拠がある。天照皇大神宮教と家庭連合は、どちらも人間の霊魂や霊界の存在を認めている点では共通しているが、その存在意義について体系的に説明しているかどうかという点では異なっている。

 霊的な存在に関する統一原理と天照皇大神宮教の教えの違いは、動物をはじめとする万物に霊があるかないかという点にもある。天照皇大神宮教では動物や物にも魂があり、それが人間に憑いて悪さをすることもあると教えている。以下、前述のサイトからの引用である。
「また、大神様は、動物にも物にも魂がある、と教えておられます。同志は、物を買って初めて使うときは、『名妙法連結経』と感謝のお祈りをしてから使い始めます。使い終えて廃棄するときも、『名妙法連結経』を唱えます。」

 動物の魂に関しては、タコの魂が子供に憑いて、それが因縁となって子供が病気になった話や、魚や鳥や虫の魂が憑くというような話も、大神様の教えとして語られている。そこで同志たちは蚊やハエやゴキブリを駆除しても、「名妙法連結経、名妙法連結経、名妙法連結経、・・・・・・。今度生まれてくるときは 神国(みくに)のお役に立ちますように」と唱えるのだと言う。

 一方、統一原理では霊的存在とされるのは人間と天使だけであり、それ以外の動物、植物、鉱物などは霊的側面を持たないとされる。これに対しては、「霊界には動物はいないのか?」などの素朴な疑問が生じることと思うが、参考までに「シリーズ・ズバリ解決天宙大学」に掲載された記事を紹介する。この内容は、家庭連合の子供向け雑誌『ムーンワールド』に連載されている「ズバリ解決天宙大学なんでも質問コーナー」に掲載されたものである。子供たちの純粋でユニークな質問がこのシリーズの読みどころになっている。

Q「教えてください。すずめが以前、死んじゃったのですが、動物は霊界に行けますか?」(小5女子・愛知県)
A:動物は人間の心の中に記憶されて霊界へ行く
 人間は霊人体があるので、死んでも霊界で永遠に生きることができますが、動物には霊人体がないので、その動物は死んでも霊界には行けません。しかし、私たち人間がすずめを愛した愛の心が残っているので、霊界に行ってから、「すずめよ、出ておいで」と言えば、霊的要素でつくられたすずめが、地上で生きていた時と同じ形で現れてきます。だから地上生活でたくさんの動物や万物を愛すれば、霊界に行っても、その時の動物や万物に囲まれて生きられるのです。

<地上の人間に対する霊の影響、先祖の因縁>

 日本の新宗教の中には「先祖の因縁」を説くものが多い。具体的に言えば、霊友会、大本教、真如苑、解脱会、世界真光文明教団、阿含宗、GLAなどを挙げることができるであろう。これらの教団は多くの場合、宇宙を目に見えるこの世界(現界)と、目に見えない神や霊の世界(霊界)の二重構造からなると考え、それら二つの世界の間には密接な交流影響関係があるとしている。すなわち現界で生起するさまざまな事象は、実はしばしば目に見えない霊界にその原因があるのであり、その働きは「守護霊」や「守護神」などによる加護の働きだけにはとどまらず、「悪霊」や「怨霊」などによって悪影響が及ぼされることもあるととらえられている。むしろ実際に霊界の影響がクローズ・アップされるのは、苦難や不幸の原因について説明するときの方が多いくらいである。

 この場合、現界に生きる人間に対して影響を及ぼす霊は、その人と何らかの縁があると考えられるケースが多い。したがって、血縁(親や先祖)、地縁(家や家敷)、その他の個人的な縁を介して、その人と何らかのつながり(因縁)のある霊が、その人に大きな影響を及ぼすということになる。このうち特に重視され、しばしば言及されるのはやはり血縁者(親や先祖)の霊的影響である。そしてこれらの新宗教にはこのような悪因縁を除去するために、除霊や浄霊の儀礼を行うものが多く、それは「先祖供養」(霊友会系教団)、「慰霊」(松緑神道大和山)など、さまざまな呼び方をされているが、いずれも信者の基本的実践として重要な位置を占めていることには変わりがない。

 天照皇大神宮教もまさにこうした教えを有する日本の新宗教の一つであり、悪霊による霊障を取り除くことを「悪霊済度」と呼んでいる。以下、前述のサイトの引用である。
「悪霊(あくれい)(救われていない霊)の後ろ控えによって、人と人は喧嘩をし、国と国とは戦争し、病や悩みが生じている。世界平和のために、悪霊を済度(さいど)する(霊を救済し、あの世に送る)法力(ほうりき)ある祈りを祈れ。」
「霊視ができるとか、霊体験があるかどうかは、魂を磨くこととは関係がありませんが、悪霊の作用で様々な問題が起きていると知り、悪霊済度の法力ある祈り・名妙法連結経を唱えることの大切さを知ることは、非常に重要です。」

 『原理講論』の中で最も「先祖の因縁」の概念に近いと思われる描写は、第五章「復活論」における「悪霊人の再臨復活」の説明の中に見いだすことができる。これは基本的にある地上人が、その人自身あるいは祖先が犯した罪を清算するために、悪霊人から直接・間接に苦痛を受けるという現象である。これはその人もしくは先祖の罪に対する罰として起きる現象なので、それを甘受することによって罪が清算され、悪霊人たちも救われていくことになる。

 この教義に基づいて、家庭連合の信徒たちは身の周りに起こる事故や病気などの苦難を霊障、すなわち先祖の罪などの霊的な原因によって引き起こされる災いであるととらえたり、人間関係の軋轢や家庭の問題を先祖の罪の影響ととらえ、こうした出来事を甘受して乗り越えていくことを通して罪の清算(蕩減)をしようとするのである。

 天照皇大神宮教でも、身の回りの出来事の原因を霊界や先祖の因縁に求め、その解決法としては感謝することを教えている。「恨みが感謝に変わったとき、初めて神行の道に入っている」という神言に基づき、「これも自分に与えられた行」「前世の行か、または、先祖からの因縁か」と受け止めて行じ抜くと、相手に対する憎しみや恨みは消えていく、と説いているのである。

 霊界と私たちの実生活との関係について、家庭連合と天照皇大神宮教の教えは多くの共通点を有するが、これらはこの二つの宗教の共通点にとどまらず、日本の新宗教や世界の伝統宗教に広く共有された世界観であると言ってよいであろう。

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