神道と再臨摂理シリーズ12


<教派神道>

 明治政府が確立しようとした「国家神道」は、初期の段階では「大教宣布の詔」(明治3年)が発布されたり、神祇官や宣教使が置かれるなど、国家公務員が積極的に神道の教えを国民に説教して回るという形で展開されました。しかしこれが行き詰ると、神社とその祭祀は「国家の宗祀」であって、「神社は宗教にあらず」という解釈に変わりました。こうなると、官社の神官たちは国民の教化活動から撤退し、葬儀に関与することも禁止されるようになりました。

 すると、神社は「国家の宗祀」であって宗教ではないとする考え方に反発して、独自に教団を組織して神道の布教を始める動きが出てくるようになりました。このようにして出現した教団のことを「教派神道」と言い、戦前には以下の13の教団が「教派神道」として公認されていました。

 ①黒住教、②神道修成派、③出雲大社(おおやしろ)教、④扶桑(ふそう)教、⑤實行(じっこう)教、⑥神習(しんしゅう)教、⑦神道大成(たいせい)教、⑧御嶽(おんたけ)教、⑨神道大教(たいきょう)、⑩禊(みそぎ)教、⑪神理(しんり)教、⑫金光(こんこう)教、⑬天理(てんり)教。

 ただし、天理教と金光教は自らが教派神道に分類されることを拒否しています。現在、天理教については文化庁による『宗教年鑑』においては教派神道系ではなく諸教に分類されるようになっています。このように戦前は「教派神道」と呼ばれて神道の一種であると分類されていた新宗教には、必ずしもそのカテゴリーに収まらないような教えを説くものがあったのです。

 幕末維新期に誕生した新宗教には、従来の神道の神観を越えて一神教に近づいたものがありました。こうした「日本的一神教」の例を挙げれば以下のものがあります。
①如来教:開祖・きのは1802年に神憑りして生き神となりましたが、彼女に乗り移ったのは宇宙を創造した如来の使者、金毘羅大権現であるとされました。
②黒住教:開祖・黒住宗忠(むねただ)は1810年に天照大御神と一体化するという神秘的な体験をしましたが、これは単に天皇家の祖神にとどまらず、万物の命の本源としての神であるとされました。
③天理教:開祖・中山みきは人類を創造した親神である「天理王明」の社に選ばれました。天理教は創造主と創造神話を持つ一神教としての性格を持っています。

中山みきと天理教本部

 天理教の時代には。現代のような「信教の自由」が存在しなかったため、教祖中山みきが受けた啓示そのままに「天理王命」を祀る宗教としては、政府の認可を受けることができませんでした。そのため、京都神祇管領吉田家に願い出て布教認可を受けたり、高野山真言宗へ願い出て、光台院末寺の金剛山地福寺のもとに「転輪王講社」を結成するなど、既成宗教の門下に入ることにによって公認を得ようとしたのです。みきの死後、天理教は東京府より神道の一派として「神道天理教会」として公認されましたが、引き続き神道本局のもとに置かれ、1908年になってようやく神道本局から別派として独立し、教派神道となりました。これは教団を守るために、ある意味では教祖の教えを曲げて既存の宗教伝統の門下に入ることを意味したので、戦後になると天理教は、教祖・中山みきの教えに基づく本来の天理教の姿に戻る「復元」という過程を通過しなければなりませんでした。

<敗戦と神社本庁の設立>

 明治政府が確立した「国家神道」は、日本の敗戦とともに終わりを告げるようになります。昭和20年8月15日、昭和天皇による終戦の詔書によって日本国民は敗戦を知らされ、日本は連合軍の統治下に置かれるようになります。そしてGHQが「神道指令」を発令し、神祇院ならびに国家と神社の関係を定めた諸法令が廃止されることによって、「国家の宗祀」としての神社の位置づけが消滅しました。これは国家神道の終焉を意味しましたが、神社そのものはその後も存続することになります。

神社本庁

 神職たちは、神社を宗教法人として存続させることを選択しました。昭和21年に宗教法人神社本庁が設立されると、神社本庁は宗教法人法のもとで、(伊勢)神宮を本宗と仰ぎ、全国約8万の神社を包括する団体となったのです。これによって神道は、国家によって賦与されていた特別な地位を失い、仏教やキリスト教と並ぶ諸宗教の一つとして日本に存続することとなったのです。

 ここで、「国家神道」をどのように理解すべきかについて整理しておきたいと思います。国家神道は、宗教としての神社神道が政権を握って、権力によって自らの信仰を国民に強要したのではなく、むしろその逆であり、政府が国民の統合と教化のために伝統的な神社神道を利用したというのが実態であったと言えます。したがって、「国家神道」がもたらしたさまざまな弊害や問題を、神道そのものの罪過として非難するのは誤りであると言えるでしょう。

 国家神道は、神道の長い歴史の中で見ればごく一時的な現象に過ぎませんでした。そして第二次世界大戦中は、ほぼすべての宗教団体が戦意高揚のために政府に利用されたのです。日本の伝統宗教はもとより、キリスト教も新宗教も大半はこれに順応したというのが事実です。政府に逆らったのは、大本やキリスト教無教会派など、一部の例外に過ぎなかったのです。その意味では、神道だけを特別に罪悪視することはできません。

 神道が世界に誇ることのできる「普遍的価値」としては、以下のようなものを挙げることができます。
①清明心(きよきあかきこころ):私欲や穢れのない澄み切った心の状態を理想とする
②「禊」や「祓」によって清浄を重要視する
③自然の中に霊性を認め、畏敬をもって自然をみつめ、自然と共に生きようとする姿勢
④宗教的な視点から環境保全に対するメッセージを発信できる可能性
⑤祖先を敬い、感謝し、共に生きようとする姿勢
⑥人間同士の絆を深め、共同体として生きる姿勢

 我々は、日本文化の根底をなすものとして神道を積極的に評価し、世界平和実現のために友好的で協力的な関係を構築すべきです。

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