神道と再臨摂理シリーズ03


 「神道と再臨摂理」シリーズ3回目です。今回は、神道の根本である「祭」と、神道の経典である「神典」について説明します。

<祭とは何か?>

 神道や神社の根本は「祭」であると言えます。「祭」の語源は「奉る(捧げる)」という言葉と関係が深いと言われます。神に食事や酒など(神饌)を捧げ、それを下ろしてきて共食共飲することにより、神と人、人と人を結ぶ行為が「祭」です。

 「まつり」という言葉の起源としては、「まつろう」=神の霊威に服従し、奉仕するという意味と、「待つ」=神の訪れを持ち、神託を乞うという意味など、諸説あります。祭は、日常的な人間の意識を無の状態にし、そこに神霊の力を取り込んで、心身ともに別の新しい人間に生まれ変わる行為であるといえます。こうした神祭を行うための場所が神社なのです。

 祭祀の分類に関してですが、以下の4つに分けることが可能です。

①宮中祭祀:天皇に関する祭で、即位に伴う大嘗祭から新嘗祭、神嘗祭など。以下に述べる神宮祭祀とも関係が深い祭祀です。

第125代天皇(上皇明仁)の大嘗祭(1990年11月22日)

第125代天皇(上皇明仁)の大嘗祭(1990年11月22日)

②神宮祭祀:皇室の祖神・天照大御神を祀る伊勢神宮に関する祭祀。

伊勢神宮の式年遷宮

伊勢神宮の式年遷宮

③神社祭祀:全国の神社で行われる。神社本庁が定めた規定によって大祭、中祭、小祭に区分される。

香取神宮の御田植祭

香取神宮の御田植祭

④家庭祭祀:各家庭で行われるさまざまな祭のこと。主として神棚や祖霊舎を中心に行われる。

一般家庭における神棚

一般家庭における神棚

<神道の経典について>

 神道には、仏教の諸経典やキリスト教の聖書、イスラム教のコーランのような聖典はありません。日本の神々の出来事や神事などを記録した書物が多く存在し、それらを「神典」と称します。神典の中でも「記紀二典」としてとりわけ重視されているのが『古事記』と『日本書紀』です。それ以外の神典には、『古語拾遺(こごしゅうい)』『宣命(せんみょう)』『中臣寿詞(なかとみのよごと)』『令義解(りょうのぎげ)』『律(りつ)』『延喜式(えんぎしき)』『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』『風土記(ふどき)』『万葉集(まんようしゅう)』などがあります。

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 それではここで、『古事記』と『日本書紀』を簡単に比較してみましょう。完成したのは古事記が和銅5年(712年)で日本書紀が養老4年(720年)なので、わずか8年の違いであり、どちらも平城京遷都後の奈良時代初期に成立したことになります。「同じような時代に、同じような内容の歴史書が二つ作られたのはどうしてか?」と誰もが疑問に思うことでしょう。それは端的に言うと、目的が違ったのだということになります。

 古事記が扱っている範囲は日本初発から推古天皇までで、日本書紀が扱っている範囲は天地開闢から持統天皇までです。表現方法としては、古事記が漢字の音読みと訓読みを交えた和文で書かれているのに対し、日本書紀は漢文で書かれています。古事記が全三巻であるのに対し、日本書紀は全三十巻に加えて系図が一巻あり、分量としては日本書紀の方がかなり多いです。また古事記がドラマチックな物語風に書かれているのに対して、日本書紀は淡々とした語り口で書かれています。

 古事記は、天皇の正統性を語り、天皇家の歴史を残す目的があったといわれています。そのために、天皇家が各地の豪族との戦いに勝ち抜いて王権を確立したプロセスを、神話として表現したものであると言えます。古事記の目的は「国内向け」でした。出雲神話が大きな位置を占めていることも古事記の特徴です。

 一方、日本書紀は、文字として国家の歴史を残すことで、大和朝廷の権威付けを行い、日本という国の正統性を、当時の外国であった唐や朝鮮半島に向けて訴える目的があったといわれています。日本書紀は朝廷の公式歴史書とされています。そのため、中国や朝鮮の書物、政府や寺院の縁起など幅広く記録を収集した、国外向けの通史となっています。古事記との違いとしては、出雲神話が見えないことも特徴です。

 蛇足ながら、旧約聖書の中にも「列王記」と「歴代誌」という二つの歴史書があり、それらの扱う時代や人物は重複しているにもかかわらず、強調点や描き方が違うだけでなく、互いに矛盾する記述も存在しています。歴史が書く者の視点によって変化するというのは、聖書でも神典でも同じようです。

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