神道と再臨摂理シリーズ14


 これまで13回にわたって連載してきた「神道と再臨摂理」のシリーズも、今回が最終回になります。先回から神道と再臨摂理のかかわりについて解説を始め、その中で神道と再臨摂理の間には不幸な過去があったことを説明しました。再臨摂理は紛れもなく神社参拝に命がけで抵抗するクリスチャンから出発したのであり、再臨主の基盤となる人は愛国反日の立場でなければならなかったのです。その意味で、再臨摂理と神道の間には一種の「怨讐関係」があるのは事実であり、それは歴史的な事実として否定できません。

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 それでは、神道は悪なのでしょうか? その問いに対する答えは『原理講論』の世界大戦論の中に出てくる、「天の側」と「サタン側」の区別の仕方にあります。そこでは、神の復帰摂理の方向と同じ方向を取るか、あるいは間接的でもこの方向に同調する立場をとるときこれを天の側といい、これと反対になる立場をサタンの側という、とされています。これを宗教に当てはめた場合には、すべての宗教はその目的が等しく善にあるので、みな天の側であるが、ある宗教が使命的に見て一層天の側に近い宗教の行く道を妨害するときには、その宗教はサタンの側に属するようになるとされています。すなわち、神道の目的は基本的に善であるけれども、一層天の側に近い韓国のクリスチャンを迫害したために、国家神道はサタン側の宗教となったのです。

 この原則は神道のみならずどの宗教にも当てはまります。イスラム教がキリスト教の行く道を防いだ時にもサタン側となり、キリスト教が再臨主の行く道をふさいだ時にもサタン側となったのです。

 既に第12回で述べたように、国家神道は宗教としての神社神道が政権を握って、権力によって自らの信仰を国民に強要したのではなく、むしろその逆であり、政府が国民の統合と教化のために伝統的な神社神道を利用したというのが実態でした。したがって、「国家神道」がもたらしたさまざまな弊害や問題を、神道そのものの罪過として非難するのは誤りであると言えます。国家神道は、神道の長い歴史の中で見ればごく一時的な現象に過ぎませんでした。そして第二次世界大戦中は、ほぼすべての宗教団体が戦意高揚のために政府に利用されたのです。日本の伝統宗教はもとより、キリスト教も新宗教も大半はこれに順応したというのが事実です。政府に逆らったのは、大本やキリスト教無教会派など、一部の例外に過ぎませんでした。その意味では、神道だけを特別に罪悪視することはできません。神の摂理から見て、「国家神道」はその時代におけるサタン側であったと言えるかもしれませんが、神道そのものは一つの宗教として天の側に立っていると言えます。

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 お父様は神道を超宗教運動の対象として認めていました。UPFの国際行事においては、世界の諸宗教の代表によって構成される「超宗教祈祷」が行われることが多くありますが、キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教などと並んで、神道の宮司が祝詞をあげることもよくあります。韓国における行事だけでなく、イスラエルやアフリカのナイジェリアにおいて行われた国際行事においても、日本を代表して神道の宮司が祝詞をあげました。もし統一運動が神道そのものを罪悪視していたならば、こうしたことはあり得なかったはずです。

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 UPFの提案により、毎年2月の第一週を宗教間の和解と調和を推進する一週間に定める「世界諸宗教調和週間」に関する決議案が、2010年10月20日に第65回国連総会で可決されました。これに伴い、世界各国のUPFがこの期間に宗教間の和解と調和に関する行事を行っていますが、日本のUPFも「世界諸宗教調和週間」を祈念する平和の祈りを行事を毎年行っています。神道は日本の土着の宗教であり、中心的な宗教の一つであるため、日本における平和の祈りの行事においては、神道は重要な役割を果たしています。日本のUPFは、神道を超宗教運動の対象として位置づけ、友好関係を築こうと努力しているのです。

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 また、お父様の提唱により、世界の諸宗教の経典をテーマごとにまとめた『世界経典』でも神道の経典の言葉が掲載されています。具体的には、古事記から7カ所、日本書紀から4カ所、延喜式から1カ所、常陸風土記から1カ所、万葉集から3カ所となっています。その主な内容を紹介しましょう。
①伊邪那美が先に声をかけたことによって水蛭子が生まれたという古事記の記述を、聖書の失楽園の物語と類似する「人間の堕落」に関するものとして掲載しています。
②黄泉の国から帰った伊邪那岐が禊をした古事記の記述を、「清浄」に関するものとして掲載しています。
③須佐之男命が八岐大蛇を退治した古事記の物語を、悪魔を屈服させた話として記載しています。
④仁徳天皇が高い山に登り、国の中に炊煙が立たないのを見て、人民が貧しいからこれから三年間、人民の租税と夫役を免除せよと言った古事記の記述を、統治者の人民に対する配慮の例として紹介しています。
⑤自然に神性を見出す万葉集の歌を紹介しています。
⑥日本書紀に出てくる崇神天皇の「人民を導く根本は、教化することである」という言葉を「真理の証し」の項目で紹介しています。
⑦皇祖の神霊が子孫を助けているという日本書紀の記述を紹介しています。
⑧信を持って天下を治めようという日本書紀の記述を、「模範による指導」の例として紹介しています。
⑨延喜式の祓の記述を、「償いと許し」に関するものとして掲載しています。
⑩物忌よりももてなしの心の重要性を説いた常陸風土記の記載を「儀式を越えて」の項目で紹介しています。

 このように『世界経典』においては、神道経典の中にみられる宗教的な知恵が、世界の諸宗教と共通性を持つ普遍的な価値観として評価されているのです。

<結論>

 それではこのシリーズの結論をまとめてみたいと思います。神道と家庭連合は宗教としての普遍的価値観を共有する部分もありますが、明確な違いもあります。国家神道は、政府が国民の統合と教化のために伝統的な神社神道を利用した現象であり、神道の長い歴史の中で見ればごく一時的な現象でした。再臨摂理と神道の間には一時期怨讐関係が存在したことは事実ですが、お父様はそれを越えて神道を世界の諸宗教の一つとして認め、超宗教運動の対象の一つとして認められました。したがって我々は、日本文化の根底をなすものとして神道を積極的に評価し、友好的関係を築くべきであると言えます。

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