北村サヨと天照皇大神宮教シリーズ04


 北村サヨと天照皇大神宮教に関する研究シリーズの4回目である。前回から教えの内容に入り、サヨの宗教的背景となっていた「神仏習合」が、天照皇大神宮教において用いられている宗教用語に少なからぬ影響を与えていることを指摘した。今回は、天照皇大神宮教で説いている神がいかなる存在であるのかを分析することにする。

<日本的一神教の系譜>

 サヨは自らの肚の中に宿って世直しを命令している神は、「宇宙絶対神」であり、唯一無二の宇宙の最高神であると説いている。それは仏教やキリスト教などでいうところの、本仏や天なる神と同じというのであるから、多神教である神道とは異なり、一神教に分類されるべき宗教ということになる。

 実はこうした「日本的一神教」は幕末維新の時代から存在し、天照皇大神宮教もその系列の中に位置づけることができる。戦前はこうした新宗教は「教派神道」と呼ばれた。この「教派神道」という言葉は、「国家神道」に対する言葉として誕生した。明治政府が確立しようとした「国家神道」は、初期の段階では「大教宣布の詔」(明治3年)が発布されたり、神祇官や宣教使が置かれるなど、国家公務員が積極的に神道の教えを国民に説教して回るという形で展開された。しかしこれが行き詰ると、神社とその祭祀は「国家の宗祀」であって、「神社は宗教にあらず」という解釈に変化した。そうなると官社の神官たちは国民の教化活動から撤退し、葬儀に関与することも禁止されるようになった。

 すると、神社は「国家の宗祀」であって宗教ではないとするこうした考え方に反発して、独自に教団を組織して神道の布教を始める動きが出てくるようになった。このようにして出現した教団のことを「教派神道」と言い、戦前には以下の13の教団が「教派神道」として公認されていた。

 ①黒住教、②神道修成派、③出雲大社(おおやしろ)教、④扶桑(ふそう)教、⑤實行(じっこう)教、⑥神習(しんしゅう)教、⑦神道大成(たいせい)教、⑧御嶽(おんたけ)教、⑨神道大教(たいきょう)、⑩禊(みそぎ)教、⑪神理(しんり)教、⑫金光(こんこう)教、⑬天理(てんり)教。

 ただし、天理教と金光教は自らが教派神道に分類されることを拒否している。現在、天理教については文化庁による『宗教年鑑』においては教派神道系ではなく諸教に分類されるようになっている。このように戦前は「教派神道」と呼ばれて神道の一種であると分類されていた新宗教には、必ずしもそのカテゴリーに収まらないような教えを説くものがあったのである。

 幕末維新期に誕生した日本の新宗教には、従来の神道の神観を越えて一神教に近づいたものがあった。こうした「日本的一神教」の例を挙げれば以下のものがある。
①如来教:開祖・きのは1802年に神憑りして生き神となったが、彼女に乗り移ったのは宇宙を創造した如来の使者、金毘羅大権現であるとされた。
②黒住教:開祖・黒住宗忠(むねただ)は1810年に天照大御神と一体化するという神秘的な体験をしたが、これは単に天皇家の祖神にとどまらず、万物の命の本源としての神であるとされた。
③天理教:開祖・中山みきは人類を創造した親神である「天理王命」の社に選ばれた。天理教は創造主と創造神話を持つ一神教としての性格を持っている。

 ところが、天理教の時代には現代のような「信教の自由」が存在しなかったため、教祖中山みきが受けた啓示そのままに「天理王命」を祀る宗教としては、政府の認可を受けることができず、そのため京都神祇管領吉田家に願い出て布教認可を受けたり、高野山真言宗へ願い出て、光台院末寺の金剛山地福寺のもとに「転輪王講社」を結成するなど、既成宗教の門下に入ることにによって公認を得ようとした。みきの死後、天理教は東京府より神道の一派として「神道天理教会」として公認されたが、引き続き神道本局のもとに置かれ、1908年になってようやく神道本局から別派として独立し、教派神道となった。これは教団を守るために、ある意味では教祖の教えを曲げて既存の宗教伝統の門下に入ることを意味したので、戦後になると天理教は、教祖・中山みきの教えに基づく本来の天理教の姿に戻る「復元」という過程を通過しなければならなかった。

 北村サヨが活動を開始したのは戦後間もなくのことだったので、自らの肚に宿った神の教えをそのまま説いたとしても、政府から迫害を受けることはなかった。その意味では、天照皇大神宮教は「日本的一神教」の中でも後発であることから、環境的に恵まれていたということはできるであろう。

<男性神と女性神としての宇宙絶対神>

 北村サヨによると、彼女の肚の中に宿って世直しを命じている神は「宇宙絶対神」であり、その絶対神は男女一人ずつおり、一人の名は「皇大神」という男の神様、もう一人は「天照大神」という女の神様であるという。宇宙絶対神なので一神教かと思えば、男女二人いるということなので、「二神教か?」と混乱するような記述ではある。もっとも、キリスト教の「三位一体」も部外者からは「一神教か、三神教か?」という混乱を引き起こす教えであるとも言えるので、あえてそこを突っ込む必要はないであろう。

 「皇大神」や「天照大神」という名前を聞くと、だれもが神道の神々を連想する。しかし、これは第二次大戦中の国粋主義的な歴史教育を受けた人々に対して、宇宙の最高神の教えであることを示すべく呼称されたものであり、神道、仏教、キリスト教、イスラム教などの既成宗教、または、他の新興宗教とは一切関係がないのだという。

 天照皇大神宮教で集会の最後に唱えられる「祈りの詞」には、この天照皇大神のほかに「八百万の神」(やおよろずのかみ)という言葉も出てくる。これもまた神道の用語だが、「日本書記」など神道の経典に登場する神々とは異なるのだとされる。「八百万の神」は宇宙絶対神の家来の神々であり、古来より様々な宗教や記録の中で、天使とか諸仏などと人類が表現してきた霊的な存在ということである。

 これらを整理すると、天照皇大神宮教は男女一対からなる「宇宙最高神」を崇めつつ、その家来である霊的存在としての多数の神々の存在を認めている、ということになるであろう。キリスト教でも創造主のほかに天使の存在を認めているので、ある意味では似ていると言えるかもしれない。

<統一原理との比較>

 世界平和統一家庭連合の創設者である文鮮明師が説いた「統一原理」は、ユダヤ・キリスト教の伝統に根差した教えであり、宇宙の創造主である唯一なる神を説いている。その意味で家庭連合は紛れもない「一神教」であるということができる。『原理講論』にも、「神はあらゆる存在の創造主として、時間と空間を超越して、永遠に自存する絶対者である」と書かれている。

 統一原理では、神は唯一神でありながら「陽性と陰性の二性性相の中和的主体」でもあると説いている。ここでいう陽性とは男性的性質をさし、陰性とは女性的性質をさしている。すなわち、神はお一人でありながらも、男性と女性の両方の性質を内包しておられるということである。

 また統一原理は、従来のキリスト教と同じく天使の存在を認めている。堕落論においては、天使の創造とその使命について、「神は天使世界を他のどの被造物よりも先に創造された」「神は被造世界の創造と、その経綸のために、先に天使を使いとして創造された」と説明されている。基本的に天使は神の「僕(しもべ)」として創造され、神のみ旨のために活動する「仕える霊」であると理解されている。

 天照皇大神宮教で教えている神と統一原理の神は、男性と女性の二人の神が存在するとするか、唯一の神が男性と女性の属性を内包しているとするか、という表現の違いこそあれ、宇宙の絶対神であり創造主である神が男女両方の要素からなっていると説いている点では似ていると言えるであろう。天照皇大神宮教は日本人に分かりやすいように、「皇大神」と「天照大神」という神道的な名前でこれを表現したが、統一原理は聖書に出てくる創造主としてこれを表現した。ただし、神を「陽性と陰性の二性性相」であるとする統一原理の神学は、聖書そのものというよりは「易学」に代表される東洋哲学の用語によって表現されたものである。『原理講論』の中でも、陰陽を中心として存在界を観察した易学の妥当性を説いており、完全ではないにしても真理の一部分をとらえたものであると評価している。神の使いである天使の存在を認めている点でも、天照皇大神宮教の教えと統一原理は一致している。総合的に見れば、表現の違いこそあれ、この二つの宗教はかなり似通った神観を持っていると言ってよいであろう。

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