世界の諸問題と統一運動シリーズ10


難民問題に焦点を当てた鮮鶴平和賞

 2010年代に入って深刻化した地球規模の問題の一つが難民問題です。今回は難民問題の現状を概観したうえで、特にこの問題解決のために尽力した人物に対して、真の父母様が2017年の鮮鶴平和賞を授賞したことを紹介します。

<2010年代に入って難民の数が急増>

 難民はいつの時代にも存在しましたが、2010年代に入ってからの難民の急増は近現代史において類を見ない未曾有の出来事であると言われています。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の発表によると、紛争や迫害を逃れ、家を追われた人の数は2016年末時点で6560万人となり、過去最多となりました。国際法上の「難民」は国外に逃れた人を指しますが、逃げたものの国内に留まっている人は「国内避難民」と呼ばれます。上記の数字はこれらを合計した数になります。

 UNHCRによると、1990年代から2000年代前半にかけて難民の数は減少したものの、2010年代に著しく伸びています。その原因は、2010年に始まったアラブの春、2011年に始まったシリア内戦、2014年に建国宣言をしたISなど、イスラム圏の混乱と深い関わりがあります。シリアは凄まじい内戦によって国家は既に崩壊状態にありますが、こうした「破綻国家」から人々が安全を求めて流出することによって、大量の難民が発生しているのです。

<欧州に押し寄せた難民がEUの危機をもたらす>

 こうしたイスラム圏の国々から人々が押し出され、最終的に引き寄せられていったのが欧州でした。特に2015年にEUはかつてない人の大移動に遭遇しました。移住問題の専門機関である「国際移住機関」(IOM)によると、2015年にEUに流入した非正規移動者の数は100万人を超えました。EUでの難民申請者数も2014年の約56万件から2015年の約126万件に大幅に増加しました。異なる宗教や民族を背景とした大勢の人たちが一気に押し寄せたため、EU諸国にとっては深刻な問題となりました。

 人道主義の立場に立てば、難民は保護しなければなりません。しかし「難民」に混じって経済的理由による「移民」も押し寄せてくるのが現実であり、「難民」と名乗る人々が本当に難民性を有しているか、テロや武装組織とは無縁の存在であるかを確認し、選別するのは困難です。非正規移動者の流れにテロリストや戦争犯罪人が混入することが「国家安全保障」の問題として語られ、移民排斥を訴える民族主義政党や「極右」政党が欧州諸国の選挙で躍進する原因ともなりました。

 これまで難民問題は「国家が難民を守る」ことを中心に論じられてきました。しかし、その数が膨大になり、国家に対する脅威や負担と認識されるとき、「難民から国家を守る」という発想が出現したのです。2016年にイギリスでEUからの離脱を問う国民投票が行われ、「離脱」が勝利したときの争点にも、こうした問題が含まれていました。

<難民発生国としてのシリアとアフガニスタン>

 現在、難民発生国で群を抜いているのがシリアです。UNHCRによると、2016 年末時点のシリア人難民の数は約550万人で、全難民の32%を占めています。これに国内避難民の数を加えると1000万人を超えると言われ、実に人口の半数以上が避難民になっているという状況です。国籍別のEUへの不法入域も、シリア人による事例が圧倒的に多くなっています。

 2位がアフガニスタン人難民でその数は250万人ですが、アフガニスタンは2014年にシリアに取って代わられるまで、32年間連続で難民発生国の首位の座を占めていました。この国の混乱は冷戦時代にまでさかのぼり、1988年にソ連がアフガニスタンからの撤退を始めて以降も内戦と政情不安が続き、1990年代のピーク時にはアフガニスタン難民は630万人を数えました。現在でも、約250万人の難民に加えて、100万人以上の国内避難民がいると報告されています。

 カダフィ大佐による独裁政権で長らく安定していたリビアも、アラブの春を経て混乱に陥りました。イタリアとギリシャを目の前にしたリビアは欧州への出航地として機能するようになり、「中央地中海ルート」と呼ばれるリビア・ルートを経て大量のアフリカ系難民がイタリアに流入するようになりました。

鮮鶴平和賞2017写真

韓鶴子総裁から鮮鶴平和賞のメダルを授与されるジーノ・ストラーダ博士サキナ・ヤクービ博士

<ジーノ・ストラーダ博士サキナ・ヤクービ博士に鮮鶴平和賞>

 世界平和に貢献した個人や団体を表彰する「鮮鶴平和賞」の授賞式が2017年2月3日、ソウル市内のホテルで行われ、難民問題の解決に大きく貢献したイタリア人医師のジーノ・ストラーダ博士とアフガニスタンの教育者サキナ・ヤクービ博士が受賞しました。

 ジーノ・ストラーダ博士は「医療を受ける権利」は基本的人権であるという信念のもと、緊急医療団体「エマージェンシー」を創設し、25年間にわたり紛争の最前線である中東及びアフリカ地域において緊急医療救護活動を展開し、700万名の生命を救った功績が高く評価されました。

 「アフガン教育の母」と呼ばれるサキナ・ヤクービ博士は、戦争と占領という最悪の条件下にあっても、社会再建のためには「教育」が核心であるという信念に基く、過去21年間にわたる献身的な難民教育が評価されました。彼女は、数十年間の戦争によって教育および保険システムが完全に崩壊したアフガン難民キャンプで教師を養成し、難民の子供たちのための教育施設「アフガン学習研究所」を設立しました。

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