世界の諸問題と統一運動シリーズ11


アフリカの未来を拓く統一運動

 21世紀の世界で最も大きな経済成長が期待されている地域がアフリカですが、この地域は近世以降は奴隷貿易と植民地という苦難の歴史を歩んできました。今回はアフリカ諸国が抱える問題と未来の希望を概観しながら、真の父母様がこの地域の未来を拓くために開催された「アフリカ・サミット2018」の意義を解説します。

<近世以降にアフリカが歩んだ苦難の歴史>

 アフリカは人類誕生の地であり、エジプトやエチオピアの古代文明に代表されるように、人類歴史において先駆けて高度な文明を築いた地域でした。しかし大航海時代が到来し、ヨーロッパ諸国の人々が西海岸を南下しはじめた15世紀末頃から、アフリカ原住民を奴隷として売買する貿易が行われるようになり、約300年間にわたって1000万人を超えるアフリカ原住民が西インド諸島やアメリカ大陸に売られていきました。宗教的・人道主義的見地からの批判によって奴隷貿易が禁止されるようになったのは、19世紀初頭に入ってからのことです。

 19世紀後半に入ると、ヨーロッパの新興工業国であるイタリア、ドイツ、ベルギーなどがアフリカに進出し始め、古くから進出していたポルトガル、スペイン、イギリス、フランスとの間で植民地の争奪戦が起こります。その結果、リベリアとエチオピアを除くアフリカの全土がヨーロッパのわずか7か国によって分割支配されるようになりました。大部分のアフリカの国々が独立を勝ち取ったのは第二次世界大戦終了後のことであり、そのほとんどが1950年代から1960年にかけて独立しています。アフリカの社会は、この奴隷貿易と植民地化という二つの苦難によって破壊されました。

<独立を果たしても続くアフリカの苦難>

 現在アフリカにある「国家」は、ヨーロッパの旧宗主国がアフリカの民族や部族の構成を無視して植民地分割を強行した後、植民地時代の境界線をそのまま引き継いで独立したものです。したがって、一つの民族が複数の国に分断されていたり、一つの国の中に仲の悪い民族が同居しなければならない状態となり、これがよく言われるアフリカの「部族対立」を生み出す原因となりました。

 アフリカと聞くと「飢餓と貧困」を連想する人も多いかもしれませんが、こうしたアフリカのイメージが定着したのは、1980年代前半にアフリカを襲った旱魃と、それ以降20年間続いた低開発が原因です。2000年ごろまでアフリカがほとんど経済成長をしなかったのは、クーデーターや反政府武装闘争に代表される政情不安、内戦、対外戦争、経済政策の失敗、独裁者による国庫の私物化など、主としてガバナンスに関わる人為的な原因によるものです。独立はしたものの国の統治がきちんとできないのは、ヨーロッパ人が搾取によってアフリカの文化を破壊したからであり、植民地時代の「負の遺産」によるものと言ってよいでしょう。

<「援助対象国」から「新しいアフリカ」へ>

 こうしたアフリカ諸国を日本は「援助対象国」と認識し、1980年代より毎年10億ドルを超える政府開発援助(ODA)を供与してきました。また日本は1993年より、これまで合計6回のアフリカ開発会議(TICAD)を開催し、アフリカの開発に対して大きな関心を寄せてきました。

 しかし2002年ごろから、それまで20年間ほとんど経済成長しなかったアフリカ諸国が突如として急成長を遂げるようになり、2003年から2008年の5年間でサハラ以南アフリカのGDP総額は二倍以上に増えました。2007年には、世界からアフリカに流れ込んだ直接投資の総額が世界のODAの総額を上回るようになり、それまで「援助対象地」だったアフリカが、ビジネスのための「投資先」に変貌を遂げたのです。現在のアフリカの経済成長の起爆剤は、石油、プラチナ、金、ダイヤモンド、ニッケル、バナジウム、クロム、コバルト、銅、ボーキサイトなどの資源開発への投資です。これは「新しいアフリカ」の出現と理解されています。

アフリカサミット2018で講演される韓鶴子総裁

アフリカ・サミット2018で講演される韓鶴子総裁

<セネガルで開催されたアフリカ・サミット2018>

 真の父母様は1970年代からアフリカに宣教師を送って開拓の道を歩んでこられましたが、その結実ともいえる行事が、2018年1月18日から19日にかけて西アフリカのセネガル共和国で開催されたアフリカ・サミット2018です。「新しいアフリカ:共生、共栄、共義」をテーマとする同サミットは、UPFと世界平和国会議員連合が共催し、セネガルの政府および国会が全面的に協力する中で行われ、アフリカ諸国を中心に世界60カ国から国会議員、宗教指導者、部族長など合計約1200名の各界指導者が参加しました。セネガルのマッキー・サル大統領と韓鶴子総裁が基調講演を行った同サミットでは、人格教育プログラム、アフリカを縦断する国際ハイウェイの建設、コーヒー農園プロジェクトなど、アフリカの発展のための具体的な提案がなされました。

 韓総裁は同サミットの期間中に、16世紀から19世紀にかけて奴隷貿易の一大拠点だった「ゴレ島」(ダカール沖)を訪問し、アフリカの悲劇の歴史の痕跡をたどりながら深い祈りを捧げました。

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