書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』49


櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第49回目である。

「第Ⅰ部 統一教会の宣教戦略 第5章 日本と韓国における統一教会報道」の続き

この章は日本の朝日新聞と韓国の朝鮮日報における統一教会関連の記事を検索することを通して、統一教会が両国のマスメディアによってどのように報道されてきたかを分析することを目的としている。櫻井氏は1950年代から2000年以降に至るまでの期間を5つに区分して、新聞の見出しを紹介する形で報道内容を時系列的に分析してきたが、最後に「四 日本と韓国の統一教会報道の差異」と題して、全体の総括を試みている。初めに彼は、朝日新聞と朝鮮日報における統一教会関連の記事を、それぞれ以下のように大まかに整理している(p.190~191)。

【朝日新聞に見られる統一教会関連の記事】
①統一教会を相手の提訴および判決(霊感商法、「青春を返せ」裁判)、婚姻無効の確認を認めた訴訟。
②被害弁連の集会やそこで明らかにされたこと(被害実態、元信者の証言など)
③統一教会に無関係であるが、関与した団体、人物に対して被害弁連が行った調査依頼や抗議行動。
④父母の会の抗議や活動。
⑤国家秘密法制定への関与や自民党との関係。
⑥合同結婚式。
⑦文鮮明や関連企業、団体の動向。

【朝鮮日報に見られる統一教会関連の記事】
①アメリカにおける統一教会の動向。
②韓国における統一教会の動向。
③韓国や諸外国における統一教会関連企業、団体の動向。
④文鮮明の動向(北朝鮮訪問、ゴルバチョフとの会談など)。
⑤合同結婚式。
⑥世界各国における統一教会の社会問題化。
⑦韓国におけるキリスト教団体による反統一教会の動き。
⑧統一教会関係者による事件(乱闘騒ぎ、殺人、抗議行動)。
⑨統一教会の是非をめぐる論争。

これらを総括して、櫻井氏は以下のように述べている。
「第一に気づくことは統一教会を相手に起こされた裁判関連の記事が、『朝鮮日報』には一切ないことである。」(p.192)韓国での反対は主にキリスト教関係者によるもので、父母の会や弁護士集団による損賠賠償請求訴訟はないというのである。櫻井によれば、韓国内では統一教会を「反社会的」集団とみなす考え方は共有されていないという。その理由に関して、彼は以下のような点を挙げている。
①韓国において統一教会は、様々な関連企業や団体を有しており、統一教会と利害関係を持つ一般人が少なからずいるので、教団批判は関係者批判につながる。
②韓国では統一教会は農村の未婚男性に結婚相手を世話してくれる団体ととして認識されており、韓国社会に損失のみをもたらす教団ではない。
③統一教会はキリスト教から見れば異端だが、朝鮮民族のナショナリズムを前面に出しているため、反民族的・反国家的団体ではない。したがって、統一教会を批判することは愛国主義に対する批判につながる。
④韓国社会では、統一教会は資金力を背景にして政界・経済界とパイプを維持している可能性が高い。

さて、櫻井氏はこうした報道のあり方の違いの原因を、韓国と日本における統一教会の「宣教戦略の相違」に求めている。彼自身がこれまで用いてきた言葉で表現すれば、韓国の統一教会は「花形スター」であるのに対して、日本の統一教会は「金のなる木」であり、両国における教団のあり方がまったく違うので、マスコミの報道内容も違うと言いたいのである。はたして本当にそうであろうか? 私はそうは思わない。日韓における報道の相違は、日韓における「統一教会自体」の差異に起因するというよりも、それらを見つめる一般社会やマスコミの意識や捉え方の違いに起因する部分の方が大きいといえる。繰り返しになるが、統一教会は韓国にとっては「自国の宗教」であり、日本にとっては「他国の宗教」である。日本社会にとって統一教会は「異物」であるのに対して、韓国社会にとって統一教会は自分たちの「一部」なのである。

このことは、統一教会に対する断罪的なメディア報道が、日本のみならず西洋の国々にも存在することからも傍証可能である。櫻井氏によれば、「金のなる木」として経済活動に邁進させられているのは日本統一教会のみであり、それが日本において統一教会が「反社会的団体」と認識されている理由だということになるのだが、そうした使命や活動が存在しないはずの西洋諸国においても、統一教会は「反社会的団体」としてマスコミから攻撃されてきた。このことを証明するには、アイリーン・バーカー博士の著書『ムーニーの成り立ち』から一段落を引用するだけで十分である。
「今日の西洋で、誰かに『ムーニー』という名前を言えば、恐らく帰ってくる反応は、微妙な身震いと激怒の爆発の中間あたりに属するであろう。世界中で報道の見出しは一貫して断罪調である。『奇怪なセクトによる「洗脳」と闘う父母たち』『文師の世界制覇計画が語られる』『ロンドン警視庁による「洗脳」への徹底的調査に直面するムーニー・カルト』『家庭崩壊の悲劇』『ムーン教会で集団自殺があり得る、と語る3人』『洗脳された娘の所にかけつける母親』『ムーニーが私の息子を捕まえた』『ムーニー:マギー(注:マーガレット・サッチャーの愛称)が行動要請』『オーストラリアの「狂信的」カルト』『神ムーンが我々から子供を引き離す』『1800組のカップルとレバレンド・ムーン』『日本で500人の父母がセクト活動に抗議』『ムーン信奉者への警察捜査』」(序文より)

西洋においても、統一教会は「他国の宗教」であり、「異物」である。それがマスコミの攻撃を受ける理由は日本とさほど変わらない。韓国だけが、統一教会発祥の国として特別なだけである。

さて最後に、櫻井氏の分析に対する私なりのまとまった反論として、日本のマスコミがなぜ統一教会を執拗に叩くのかを以下にまとめてみたい。

第一に、マスコミ人には左翼的・唯物論的思想の持ち主が多いことが挙げられる。基本的に左翼的な思想の持ち主は統一教会が嫌いである。戦後、マスコミの左翼思想をけん引してきたのはいわゆる「全共闘世代」であった。若い人たちのために解説すれば、この言葉は1965年から1972年までの、全共闘運動・安保闘争とベトナム戦争の時期に大学時代を送った世代を指す。この世代の者は15%が学生運動に関わっていたと言われており、学内ではこうした左翼学生は原理研究会と対立していた。彼らは1941~49年ごろに生まれた世代であり、統一教会に対するマスコミのバッシングが激しく行われた1980年代後半から1990年代前半には、ちょうど40代~50代で、報道の現場で意思決定権を持っていた。つまり、左翼活動の夢破れて、マスコミの世界に入って行った者たちが統一教会報道の論調を決定したのである。したがって、日本のマスコミによる統一教会バッシングの背後には、イデオロギー的な理由があるのである。

しかし、日本においては左翼的なマスコミばかりでなく、右寄りのマスコミも統一教会に対して批判的である。右寄りのマスコミが統一教会を嫌う理由は、民族主義がその背景となっている。統一教会は韓国発祥の宗教なので、韓国に対する偏見がそのまま統一教会に対する偏見に直結するのだ。彼らには「統一教会は韓国の手先」と見えるのである。また、統一教会は国家民族の壁を超えた世界主義を標榜しているので、日本民族の伝統を第一と考える彼らとは、左翼とは別の意味で思想的に相容れないのである。

第二に、マスコミ人は世俗的であり、宗教の価値や信仰者の内面を理解しようとする姿勢がないことが挙げられる。これは統一教会のみならず、新宗教一般に対する批判的な報道にも当てはまる理由である。彼らは神や霊界の存在を認めないので、高額の開運商品を買う人は騙されたか脅されたに違いないと認識する。彼らは信仰心の価値を認めないので、宗教は弱い人が依存する組織であり、宗教を信じている人はマインド・コントロールされているという認識に立って報道する。また、宗教を理由に親子が対立した場合には、親の言うことを聞かずに宗教に走った子供が悪いという立場を取る。さらに、一般社会からは奇異に見える現象であっても、そこに宗教的意義があるという見方ができない。統一教会の合同結婚式に関する報道姿勢などは、その最たるものである。

マスコミの体質は基本的に商業主義とのぞき趣味である。週刊誌のセンセーショナリズムによる売上第一主義や、テレビ局の視聴率至上主義などはその一例である。彼らは事実や真実を伝えることよりも、いかに売り上げや視聴率を伸ばすかに関心があるので、どうしても興味本位の面白おかしい報道になる。誇張、歪曲、捏造も平気で行う。高邁な理想を説く宗教をこき下ろし、スキャンダルを暴露することに快感を覚えるのがマスコミの体質なのである。こうしたマスコミの問題点が、統一教会報道には凝縮されている。

櫻井氏は、「社会の公器であるマスコミが、反社会的な団体である統一教会を批判する」という構図で日本における統一教会報道を分析しているが、これはマスコミの側の思想、好き嫌い、体質といった重要な要素を一切考慮していないという点において、片手落ちの分析であると言えよう。

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