書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』51


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第51回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第六章 統一教会信者の入信・回心・脱会」の続き

 先回から第Ⅱ部の第六章「統一教会信者の入信・回心・脱会」に入った。先回は第Ⅱ部全体を貫く研究方法の問題点について集約的に論じたが、その主な論点は、①櫻井氏の情報源が統一教会を相手取って民事訴訟を起こした元信者及びその関係者であり、裁判資料という偏った情報源に依存していること、②入信を後悔している元信者の証言という点で強いネガティブ・バイアスがかかっている可能性が高いこと、➂参与観察を行わずにインタビューとテキストに頼っているために情報に直接性がないこと、➃「多面的・多声的な宗教経験」を包括的で公平に扱っておらず、裁判資料の信頼性を補強するために情報を恣意的・選択的に集めていること、⑤事実の追求を主張しながら、利害の対立する一方当事者の「真実」に肩入れし、他方当事者の「真実」を捨象していること――などを挙げた。

 今回から各論に入り、まずは櫻井氏の研究の情報源となっている脱会者について取り上げることにする。櫻井氏は、脱会者を以下の4つのカテゴリーに分類する。
①自発的脱会者は、以下の二つのサブ・グループに分かれる
 ①-ⅰ)自然脱会者(入信初期において教団に疑問を持った離脱者)
 ①-ⅱ)脱会カウンセリングを受けた脱会者
②強制的脱会者は、以下の二つのサブ・グループに分かれる
 ②-ⅰ)教団により強制的にやめさせられたもの(除名、分派、独立など)
 ②-ⅱ)ディプログラミング等の外部からの介入による強制的脱会

 この分類に対して、こうした人々が存在するという点においては筆者は同意するし、櫻井氏がディプログラミング等の強制的脱会の存在を素直に認めている点はむしろ驚きである。ただし、櫻井氏がディプログラミングを初期の統一教会脱会者に限定しているのは事実に反する。身体的拘束を伴う強制的な脱会説得を「ディプログラミング」と呼ぶのであれば、それは初期のみならずつい最近まで行われてきたし、現在進行形である可能性も濃厚だ。こうした拉致監禁による強制棄教が事実であることは、後藤徹さんの勝訴判決が最高裁で確定したことによって、動かしがたい事実として認定されるようになった。それはなにも初期の統一教会に限った話ではない。

 さて、櫻井氏は自分が行った調査の主たる対象は①-ⅱ)、すなわち「脱会カウンセリングを受けた脱会者」であると述べ、その主な理由を他のカテゴリーの人達に出会うのが困難であるからとしている。しかし、これを鵜呑みにするわけにはいかない。それは、理由の根拠が怪しかったり、櫻井氏の研究スタンスに起因するものであったりするからだ。まず櫻井氏は、①-ⅰ)すなわち自然脱会者に出会うのが難しい理由として、「霊感商法で悪名高い統一教会の元信者です。自分でやめたものです」と公言する人たちがいるとは思えないとか、「統一教会の周辺を調査していけば、何らかの機会にこのような元信者の方と知り合う機会を得られることもあるが、それがいつになるかわからない。現実的な調査対象者の求め方ではないだろう」(p.199)というような、およそ学者とは思えない粗雑な言い訳を語っている。本気で調査をしたいのであれば、探せばよいのである。櫻井氏がそれをしていないということは、自然脱会者を最初から調査対象から外しているとしか思えない。実は、彼の本音はその次の文章に現れている。
「しかも、自然脱会の場合、統一教会への思いは両義的であることが多く、再び統一教会へ戻る元信者もいるので、統一教会に対して批判的な立場から調査を行う筆者とは利害関係において合致しないと思われる。」(p.199)

 これは驚くべき発言である。櫻井氏は統一教会について調査をするときに、自分と利害関係において一致しない対象は排除するというのである。はたしてこれが学問的な調査と言えるであろうか。櫻井氏の調査対象としては、統一教会に対して両義的な思いを持っている人は失格であり、批判的な思いをもっている人しか調査しないというのであるから、これはまさに「結論ありき」の調査であると言える。元信者が統一教会に対して両義的な思いを持っているのであれば、それを事実通りに記述するのが学問的な調査というものではないだろうか。最初から偏ったデータを求めて調査しているという点で、もはやこれはイデオロギー的な調査か、プロパガンダ用の調査としか言いようがない。

 自然脱会者は数の上では一番多いと思われるので、まともに調査研究をしていいれば、実は接触するのが最も容易な対象である。具体的な方法としては、多くの統一教会現役信者と知り合いになっておき、彼らと信頼関係を結んでおけばよい。自分は統一教会の信者ではなく、あくまでも研究目的の第三者であることを理解させたうえで付き合えばよいのである。そうすると、何年かのうちに自分の意思で自然に教会を離れた人がその中から現れるだろう。その人に連絡を取って、脱会者の気持ちを知りたいのでインタビューさせてほしいと頼めばよいだけの話である。こうした研究によって、現役信者であったときの回心体験、伝道方法、信仰生活などに対する認識と、元信者となったときのそれらに対する認識が、一人の人間においてどのくらい変化するかという知見が明らかになるだろう。実は、こうした調査をきちんと行ったのがアイリーン・バーカー博士である。彼女は著書「ムーニーの成り立ち」の中で以下のように述べている。
「情報をチェックするのに最も価値ある資料はおそらく、彼らがその運動を脱会した後で私が連絡を取り続けた20人ほどの人々だっただろう。私は多くのその他の元メンバーとも話したが、私がムーニーとしても元ムーニーとしても知っていた人々は、私が最も多くを学ぶことのできる人々だった。」(「ムーニーの成り立ち」第1章:接近と情報収集)

 そして、元信者の証言の中でも、ディプログラミングや脱会カウンセリングを受けた者と、自然脱会者の間にはどのような違いあるのかも調査しなければならない。こうした比較研究は、西洋における「洗脳」や「マインドコントロール」をめぐる論争の中で行われており、脱会時に教育を受けたことが、自分自身の回心体験の描き方を大きく変えることが報告されている。

 「洗脳論」を主張する人々が証拠として提示するのは、そのほとんどがディプログラムされたか、カウンセリングや治療のために連れてこられた元信者たちの証言であるという。そして、脱会カウンセラーが元信者に対して、「あなたは洗脳されたのだ」と告げることは、カウンセリングにおける学習計画の一部になっているというのである。彼らは自身の回心体験のとらえ方を「教え込まれている」のである。「カルト」などと呼ばれる運動を離れた人は、その運動に幻滅を感じており、後悔している可能性が高い。自分が会員になったことを他人に、そして自分自身に説明する良い方法は、自分の責任を認めることではなく、その運動の説得力を非難することである。特に、両親が多額なお金を払って子供をディプログラムしたようなケースでは、親も子供も責任を運動になすりつけることによって自分たちを正当化するために、「洗脳論」に飛びつくのである。したがって、こうした証言は統一教会の回心体験の適切で正確な描写とはなり得ない。

 こうした研究を実証的に行ったのが、トルーディ・ソロモンによる元統一教会員100人へのアンケート調査であり、それによると、反カルト運動との接触が、元会員たちが洗脳やマインドコントロールの説明にどの程度依存するかに影響を与えていることがわかるという。ソロモンは、「教会内で洗脳やマインドコントロールが行われているという証言の大部分は、ディプログラミングまたはリハビリテーションを受けた元信者か、あるいは反カルト運動に携わっている個人によってもたらされている」というのである。

 別の研究では、スチュアート・ライトが、「自発的な」脱会者45名にインタビューをしたところ、洗脳されていたと主張したのは4人(9%)に過ぎず、残りの91%は、自分の入会は全く自発的なものだったと述べたという。また別の研究でマーク・ギャランターは、元統一教会信者をディプログラミングを経験した者としなかった者に分けて比較したところ、ディプログラミングを経験した者たちのほうが、自分は運動にとどまるよう統一教会信者からプレッシャーを受けたと報告する傾向があることを見いだしたという。

 アイリーン・バーカー博士も、以下のように述べている。
「私自身の研究の中で、私はまだムーニーだったときに知り合った何人かの元会員たちと話す機会があった。彼らの大部分は、外部の助けなしで離れたものであり、その後にカウンセラーの世話を受けてはいなかった。また反カルト運動やメディアとほとんど、あるいは全く接触しなかった。一人を例外として、こうした自発的な脱会者は、入会のときに不当に強制されたとは言わなかった。ほぼ全員が脱会は難しかったと認めたが、彼らのほとんどは、もし望むならいつでも離れることができたと主張した。」(「ムーニーの成り立ち」第5章:選択か洗脳か?)

 こうした西洋の研究結果をもとに櫻井氏の情報源を評価すれば、それは統一教会信者の体験を代表するものではなく、著しく偏ったデータであることが理解できるであろう。しかも、そうしたデータしか得られなかったから偏ってしまったのではなく、初めからそうしたデータを求めて集めたところに、櫻井氏の確信犯的な性格が表れている。

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