米国におけるディプログラミングの始まりと終焉(2)


ダン・フェッファーマンによる2010年の論文

B.宗教団体と市民自由団体の役割

 被害者がときには脱出してその経験を語るようになると、米国の主流派宗教団体や市民自由団体は「ディプログラミング」に対して声高に反対するようになった。非常に尊重されている「全米キリスト教会協議会(NCC)」は懸念を深め、こうした信仰破壊活動は宗教の自由に対する深刻な脅威であると結論した。1974年2月28日、NCC理事会は、こうした活動を非難し、「強制的な拉致、個人の宗教的信念を変える試みを監禁下で長期間続けること」は、宗教の自由の著しい侵害であると述べた決議を採択した。(注6)NCCは、「棄教を強要するための拉致」の活用は「犯罪」行為であり、犯罪として訴追されるべきであると非難した。ディーン・M・ケリー牧師はディプログラミング現象の中心的な観察者となり、宗教の自由の擁護者になった。彼は以下のように述べた:

普段は慎重で法律を守る人々が突然、ひどい災害に対すると同じように反応する義務感を感じるようになるだろう。彼らは私的制裁を加え、信者を「救出」するためにならず者を雇い、信仰を覆すために何万ドルも費やし、逮捕され犯罪の容疑を問われた場合は、「必要性」を訴えるであろう。すなわち彼らの行動ははるかにひどい悪を防止するために「緊急措置」としてなされたものであると。どういう悪か? 成人が自分の宗教を変えるという権利を行使することである!(注7)

 数年後の1977年3月5日、米国市民自由連合(ACLU)の全国理事会が「宗教団体の信者の拉致」に反対する声明を発表した。(注8) 声明はこう述べている。

少なくとも成年に達した人々に関しては、人々から宗教実践の自由を剥奪する方法として、精神的無能の手続き、一時的な成年後見、または政府による保護の否定を使うことに対して、ACLUは反対する。

 米国議会図書館の議会調査局は1977年7月、ディプログラミングを目的として宗教団体の信者を州境を超えて連行することの法的意味を分析した。(注9)この報告書は、「善意の目的のためであっても、捕獲者は拉致に関する連邦法が規定する法的責任を免れることはできない」と結論した。報告書はこう述べた。

したがって、成人になった子供を親がディプログラミングの目的で州境を超えて強制連行することは、拉致に関する連邦法による訴追対象になりうるように見える。同法の親に対する適用免除は親が未成年の子供を連行する場合にのみ当てはまるので、同免除は親やその代理人には適用されない。親はその目的が善意であったとしても訴追から免除されることはない。・・・同法は、金銭的動機による拉致だけでなく「他のあらゆる理由」による拉致にも適用される。

 同報告書は、未成年の子供の親によるたちに対して州が何らかの介入をしたり、それを是認したりすることに疑問を表明しており、こう述べている。

・・・ディプログラミングを目的にした成年の子供の親による拉致に州が介入したり是認したりすることが深刻な憲法修正第1条の問題を提起することは明らかである。セクトの会員の精神的能力の欠如と独自に自由かつ情報に基づく選択をする能力の欠如、または州の介入に対する他の止むを得ない理由を十分に示せない限りは、州の拉致、ディプログラミング活動に対する是認は、憲法修正第1条に基づくセクト会員の信教の自由の権利を侵害することになる。」(注10)

C.強制的ディプログラミングに対する刑事および民事訴訟

 主流派協会、市民自由団体、政府当局のこれらの見解は、1977年までに米国において強制棄教活動を終焉させる基礎を造るうえで重要な役割を果たした。しかし、実行犯を刑務所に送り、虐待的な親に金銭的打撃を与え、反カルト運動の中心団体である「カルト警戒網」をついに破綻させることにより「ディプログラミング」を終焉させたのは、裁判所の刑事および民事訴訟における判決だった。

 以下の代表的事件は、この問題を扱ううえので法的な考え方の進歩を示している。ただ他にも多くの事件を引用できることを念頭に置いておくべきである。最終的には、裁判所は強制的ディプログラミング活動は宗教の自由の原則に合致しえないものであり、刑法違反でもあると結論した。

ウェンディー・ヘランダー事件

ウェンディ・ヘランダ―

 1976年9月、コネチカット州ブリッジポートのフェアフィールド郡上級裁判所は、テッド・パトリックに、統一教会に所属していたがゆえにパトリックのディプログラミングの被害者になった若い女性ウェンディー・ヘランダーに対して5000ドルの支払いを命じた。(注11)裁判所は、彼女が数週間にわたり囚人同様の状態で拘束されていたと指摘した。

原告は不正な手段により、自分の意思に反して、ベリータウンからコネチカット州ウェストンの隔離された民家に連れてゆかれ、そこで「黒い雷」と呼ばれる被告人セオドア・パトリック・ジュニアと彼を補佐する人々による「ディプログラミング」の手続きを通過することになると告げられた。被告人は、原告が教会に洗脳されたと主張し、彼女を植物人間、犬、あばずれと呼び、彼女は気が狂っていると主張した。彼は、彼女が統一教会員であることを弁護しようとすると、教会を非難するよう要求し、彼女を文師のための売春婦だと非難した。何時間にもわたって、彼女は食事も睡眠も与えられず、被告人により口汚い言葉で語りかけられ、威嚇された。

 パトリックに対するヘランダーの訴訟は最も有名なものの一つだが、「ディプログラミングの父」が刑事犯罪で有罪判決を受けた事案は決してこれだけではなかった。パトリックは1974年6月にコロラド州デンバーでも不法監禁で有罪判決を受けた。1975年5月には、彼は今度は拉致罪で有罪判決を受けた。1980年には、彼はカリフォルニア州サンディエゴで拉致および拉致のための陰謀罪で有罪判決を受けた。彼は禁固1年と罰金5000ドルの刑を宣告され、禁固5年の刑を回避する条件としてその後ディプログラミングを行うことを禁止された。(注12)

(注6)1974年2月28日、全米キリスト教会協議会理事会による決議。

(注7)同上。

(注8)1977年3月5日 ACLU全国理事会声明。同様に、キリスト教法律協会(CLS)もこのような行為を非難した。

(注9)「ディプログラミングの目的で宗教団体信者を州境を超えて連行することの法的意味」に関する米国議会図書館議会調査局アメリカ法律課の1977年7月12日報告書。

(注10)イブニング・サンの1985年6月25日に掲載された「拉致者としての親」に関する社説は、親の関与を理由に強制的ディプログラミング活動を無視した法執行機関を非難した。

(注11)コネチカット州フェアフィールド郡上級裁判所が公表したヘランダー対パトリック裁判判決文。

(注12)1977年3月29日にデンバー・ロッキーマウンテン・ニュースに掲載された「ディプログラマー、5ヶ月の刑期の服役を開始」という報道記事;カナダの雇用移民相バッド・クーレンから下院議員ウォルター・ベーカーに宛てた1978年11月24日付の書簡。1985年8月14日にワシントンタイムズに掲載された「ディプログラマーに実刑判決」という報道記事も参照のこと。

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