強制改宗を正当化する「マインド・コントロール」


 さて、マインド・コントロール論者の見解によると、古典的な「洗脳概念」と「マインド・コントロール概念」は、明確に違うものを指しています。「洗脳」とは、「物理的監禁や、拷問、薬物や電気ショックなどを含めた強制的な方法で、人の信念体系を変えさせる手法を指している。しかし、どの研究報告でも、洗脳は一時的な行動上の服従しかもたらさなかった」と結論づけています。このようなものが「洗脳」であるとするならば、統一教会の伝道方法を「洗脳」と非難するのはどうしても無理があります。なぜなら、私たちは物理的監禁を行いませんし、拷問や薬物、電気ショックも行っておりません。ですから、統一教会の伝道は「洗脳」に当てはまらないのです。そのため、反対派としては拷問や薬物、電気ショックなどを行わずに、人の心をコントロールできる方法が必要になりました。そこで、現れたのが「マインド・コントロール」です。これは「身体的な拘束や拷問、薬物などを用いなくても、日常的な説得技術の積み重ねにより、しかも本人に自分がコントロールされていることを気付かせることなく、強力な影響力を発揮して個人の信念を変革させてしまう、『洗脳』よりもはるかに洗練された手法」のことを指します。彼らは、統一教会が拷問などを行っていないことを知っているので、「統一教会は拷問などを行わなくても、人をコントロールする技術を持っている。それが『マインド・コントロール』である」と主張しているのです。

 ちなみに、この「洗脳」論争や「マインド・コントロール」論争は、かつてアメリカで激しく議論されました。実は、アメリカでも日本と同様の強制改宗が発生しており、特に1970年代に「ディプログラミング」と呼ばれる強制改宗が盛んに行なわれました。この「ディプログラミング」という言葉を作ったのはテッド・パトリックというディプログラマーで、「洗脳を解く」「脱洗脳」を意味します。「『カルト』の信者は、コンピューターのプログラムのように『カルト』的な考え方が頭にインプットされている。だから、自分の頭で考えられないので、これを外してやらなければならない」といった発想から「ディプログラミング」という言葉が作られたのです。つまり、強制改宗という行為を正当化するために「洗脳」や「マインド・コントロール」といった概念が生まれてきたのです。

 テッド・パトリックという人は「ディプログラミングの父」と呼ばれており、アメリカの強制改宗の草分け的な存在に当たります。彼が行う強制改宗は、日本の拉致監禁と決定的に違う点があります。詳細な説明は省きますが、日本では強制改宗を行う反対牧師らが直接手を下して人を拉致することはありませんが、アメリカではディプログラマー自身が人を誘拐してしまうのです。日本の場合では、反対派が親を教育して拉致させるので、違法性が問われにくくなっています。しかし、アメリカの場合は電話一本で強制改宗を請け負い、車を運転して人を誘拐してしまいますので、どう考えても違法なのです。そのため、テッド・パトリックは1974年に1年間の禁固刑を言い渡されました。しかし、彼は懲りずに保護観察期間中にも再び強制改宗を行ったため、結局、合計7つの有罪判決を受けて禁固刑に服すことになりました。この一連の出来事によって、アメリカでは「強制改宗は犯罪である」と社会的に認知されるようになりました。また、「洗脳」論争においては、とても重要な裁判である、「カッツ」対「上級裁判所」判決というものがあります。これは強制改宗に後見人制度を利用しようとしたもので、親が「私の子供は『カルト』に洗脳されている。だから、私が後見人になり、一時的に身体を拘束して宗教をやめさせたい」と、裁判所に申し出たという事件です。これに対し、裁判所は「信教の自由の侵害であるので容認できない」という判断を下しました。当然の判決です。裁判所がこういったことを容認してしまうと、とんでもないことになってしまいます。アメリカでは、こういった法廷闘争の中で、「『個人の自由意志が奪われる』ということは起こり得るのか」ということが議論されていきました。

 アメリカにおける強制改宗は、アメリカのキリスト教協議会(NCC)や全米警察署長協会が反対したことにより、下火になりました。さらに、1995年には「ジェイソン・スコット事件」の判決が下りました。この事件では、「CAN(カルト警戒網)」という組織が拉致監禁に関わったとされました。CANは「約100万ドルの損害賠償を払いなさい」という判決を受け、破産してしまいました。その後はサイエントロジーに買い取られたため、反カルト組織は90年代までに随分と下火になりました。ですから、アメリカの強制改宗事件は、100件以上発生した76年がピークで、80年代の半ばにほぼ鎮静化し、90年代以降はほとんど事件が発生しておりません。

 アメリカでは、このような過程の中で「マインド・コントロール」論争や「洗脳」論争が、アメリカの宗教学会や心理学会などを舞台に激しく行われました。そして、その成果が日本の論争においても役に立つので、背景としてこれをお話ししたのです。

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