ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳54


第6章 祝福:聖別期間と同居生活(10)

 この経済的課題に関する運動のヒエラルキーからの唯一の声明は、『季刊祝福』の「サローネン会長インタビュー」の中に発見することができる。1979年までアメリカの運動の運営上のトップであったサローネンは、この研究のためにインタビューを受けたカップルによって提起されたものと明らかに同様の懸念に対して答えている。彼の言葉は運動においてはあまり聞かれないテーマ、すなわち、自立を伝えるものであった。
「私たちの教会に対する関係について言えば、私たちの責任は自分自身を捧げることです。そこにつきものなのは、私たちが必ずしも明確に理解してこなかった概念です。皆さんが最低限のレベルで自分自身に責任を持った後にはじめて、自分が持っているものや自分自身を捧げることができるのです。」(注71)

 既婚のカップルの状況について直接語った部分では、彼は自立について以下のように語っている。
「・・・それは多くの祝福家庭が自分たちの経済を支えるためにパートタイムの仕事をしなければならないという意味かもしれません。現実的な点としては、それは私たちの運動がまだ比較的小さいからであり、センターの指導者たちやその他の責任ある者たちは、彼らがフルタイムで教会の仕事をしているという事実により、彼らの住居や基本的な食糧や医療費などに関して、運動から最低限の直接的あるいは間接的な助成金を受けているだけからです。しかし、私はこれさえも将来変わるだろうと思います」(注72)

 サローネンは、これらの問題を文師は理解していると報告し、
「・・・運動の全般的な活動のための利益を生み出すだけでなく、たとえそれがパートタイムや一時的なものであっても、祝福家庭に仕事を提供し、彼らが自立することができるようないくつかのビジネスを創り出すために一生懸命努力しておられます。・・・私はこれが彼の計画であると思いますが、それが実現する前であっても、私たちは自分自身に責任を持つ意思がなければなりません。」(注73)

 これらの発言は1977年になされたものだが、今日わずかなカップルが運動のビジネスで働いており、ある者は運動に関連した使命にフルタイムで従事しており、その他の者たちは世俗社会で仕事を見つけなければならない。にもかかわらず、彼らの多くは将来に関しては非常に不安定であり、とりわけ経済的な生き残りに関してはそうである。

 これと密接にかかわっているのが、大家族の適切な居住空間の問題であることは明らかだ。祝福を受けたカップルに関する限り、統一運動は厳格な共同体生活から、いまだ出来上がっていない在り方への移行状態にあるように見える。現時点では、統一運動が所有したり賃借している家やアパートメントに自分たちだけで住んでいるカップルがいる一方で、大多数の未婚者と一緒にセンターで共同体生活をしている者もいる。文師は祝福を受けたカップルが近い将来「定着」することについて語っているが、サローネンは彼らのために家を建てるのは聖殿や大学を建設した後になるであろうと語っている。(注74)このように、これらの家庭が将来どこにどのように済むのかに関しては、多くの不確実性があるように見える。

 筆者は統一運動の夫と妻の個人的なやりとりをインタビューの場面以外で観察することはできなかったため、このプロセスに関する議論は、統一運動の結婚の宗教共同体内部における位置と、アメリカ社会においてカップルが通常下すべき決定との関係に関する、いつくかの観察に限定されるであろう。まず明らかなのは、統一運動のカップルは典型的なアメリカのカップルに比べて基本的な選択肢がより少ないということだ。後者がなさなければならないいくつかの重要な選択、すなわち家族計画(子供の数)、職業の選択、居住する場所などの決定は、前者においては事実上宗教共同体によってなされているのである。もしこれが正確な描写なら、統一運動のカップルは外の世界のカップルほど多くの重要な共同の意思決定を行うことを要求されていないと想定することができる。したがって夫と妻のやりとりのプロセスは、より大きな社会におけるよりも幾分シンプルなのである。

 第二に、統一運動の結婚は宗教的信仰によって創られ、維持され、正当化されるのであり、それはカップルにとっては潜在的に関係を破壊しかねない配偶者のいかなる個人主義的な関心よりも強いものであるとみなされている。世界の救済者としての役割の核心である犠牲というテーマは、「結婚の救済者」としての役割の一部として、統一運動のカップルの共同生活にまで延長されているのである。夫婦間の葛藤は統一運動においては主要な問題ではないように見える。それはメンバーたちが自分の相手がどのように自身の個人的な性格を補完し完成させるかに関心を集中させるよう訓練されているからである。これは統一運動のカップルが決して言い争わないということを意味しているのではなく、そうした訓練が融和的であるよう彼らを動機づけているということだ。そして最後に、彼らは自分たちの結婚が永遠であると信じているため、その関係における主要な葛藤を解決するために多大なる努力を投じるであろう。(注75)

 この終末論的共同体における結婚のもう一つの側面が、夫と妻のやりとりが激しくなることを抑制している。私がここで言っているのは、頻繁で、長く、そして時には痛みを伴う結婚後の別居のことである。これは「聖別・約婚期間」よりも多くの犠牲を要求する。なぜなら文師は既婚女性たちに対して、夫だけでなく(就学以前の)小さな子供たちのもとを離れるように招集したからである。もっとも最近の招集は、母親たちに大学のキャンパスで原理研究会(CARP)と共に活動するようにというものであった。こうした別居は、統一運動における極めて高い結婚と家庭の理想と鋭く対立している。
「神様のみ旨は、皆さんが決して分かれることなく、どこに行くときも一緒ににいることです。夫と妻が真に一つとなり互いに愛し合うとき、神様は最も大きな喜びを感じるのです。そのようなカップルになるために、努力しなければなりません。そのような関係は自動的には実現できません。一つひとつのカップルがそうなるように全身全霊を傾けなければなりません。」(注76)

(注71)「サローネン会長インタビュー」『季刊祝福』(第1巻3号、1977年秋)p. 24.
(注72)前掲書
(注73)前掲書
(注74)前掲書 、p. 26。
(注75)この研究のためにインタビューを受けた祝福家庭は主として年長(30代および40代)であり、お互いに対する非常に良い関係を築いているように筆者にはみえた。
(注76)金栄輝「神様が望まれる家庭」『季刊祝福』(第1巻第1号、1977年春)pp. 23-24。

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