書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』133


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第133回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第七章 統一教会信者の信仰史」

 元統一教会信者の信仰史の具体的な事例分析の中で、第125回から「五 壮婦(主婦)の信者 家族との葛藤が信仰のバネに」に入った。今回は元信者Iの事例の4回目である。前回からIが統一教会の信仰を持つに至った動機の部分に関する分析に入ったが、その際に参考にしたのが最新の幸福学の研究成果であった。慶応義塾大学大学院教授の前野隆司氏の著書『幸せのメカニズム:実践・幸福学入門』(講談社現代新書、2013年)は、幸福と相関関係にある様々な要素について分析を行っているが、前野氏によればアメリカでも日本でも一定の水準を超えると年収や財産と幸福感の間には相関関係がなくなるという。したがって資産家であったIは、財産によっては得られないより精神的な幸福感を求めて統一教会の信仰を持つようになったのであるという分析を行った。

 今回は前野氏の著作で紹介されている「幸せの因子」に基づき、信仰を持つことによってなぜ幸福感がアップするのかを解説することにする。前野氏の研究グループが日本人1500名に対してアンケート調査を行い、幸せの心的要因を因子分析した結果、以下のような4つの因子が浮かび上がってきた。要するにこうした特性を持っている人はより幸せになる傾向があるということだ。
第一因子「やってみよう!」因子(自己実現と成長の因子)
・コンピテンス(私は有能である)
・社会の要請(私は社会の要請に応えている)
・個人的成長(私のこれまでの人生は、変化、学習、成長に満ちていた)
・自己実現(今の自分は、「本当になりたかった自分」である)
第二因子「ありがとう!」因子(つながりと感謝の因子)
・人を喜ばせる(人の喜ぶ顔が見たい)
・愛情(私を大切に思ってくれる人たちがいる)
・感謝(私は、人生において感謝することがたくさんある)
・親切(私は日々の生活において、他者に親切にし、手助けしたいと思っている)
第三因子「なんとかなる!」因子(前向きと楽観の因子)
・楽観性(私はものごとが思い通りに行くと思う)
・気持ちの切り替え(私は学校や仕事での失敗や不安な感情をあまり引きずらない)
・積極的な他者関係(私は他者との近しい関係を維持することができる)
・自己受容(自分は人生で多くのことを達成してきた)
第四因子「あなたらしく!」因子(独立とマイペースの因子)
・社会的比較志向のなさ(私は自分のすることと他者がすることをあまり比較しない)
・制約の知覚のなさ(私に何ができて何ができないかは外部の制約のせいではない)
・自己概念の明確傾向(自分自身についての信念はあまり変化しない)
・最大効果の追求(テレビを見るときにはあまり頻繁にチャンネルを切り替えない)
(以上、前野隆司著『幸せのメカニズム:実践・幸福学入門』p.105-111)

 それでは、統一教会の信仰とこれらの因子がどのように関係しているのかを見てみよう。

1.自己実現と成長の因子
 統一教会の人間観は、「神の子女としての人間」が基本にあり、これは個人に対して肯定的なアイデンティティーを与える役割を果たしている。人生の意味が分からない、自分自身の存在に価値を感じられないといった悩みを抱えた人々に対して、「自分は神様の子供だったんだ」という回答を与えることは、その人の幸福度を上げるのに貢献する。

 さらに、「氏族のメシヤ」というアイデンティティーは、個人に対して一種の使命感を与え、自分は氏族を救うべき特別な存在であるという自覚を与える。これはその人のコンピテンスを上昇させると考えられる。

 統一教会を一つの社会ととらえたとき、信者はその中で使命や役割を与えられ、それに応えることによって自分自身の価値を感じることになる。献金を通して経済的に貢献したり、伝道して人を増やすことによって教会に貢献すれば、その人は教会から価値を認められ、讃美されることによって喜びを感じ、幸福感が増すのである。Iの信仰の動機においては、自分の財産を献金することによって教会に貢献し、そのことを感謝され讃美されることがIにとっての大きな喜びであったことが、重要な要素であった。前野氏は著作の中で、「お金を他人のために使ったほうが、自分のために使うよりも幸せ」という研究結果を報告している。(p.152)献金にはIの幸福度を増大させる効果があったのである。

 統一教会では人間には成長期間があり、個人は信仰生活を通して霊的に成長して行くと教えている。その究極的な目的は個性完成、人格完成であるが、日々の様々な経験を通して自分がどのように成長したかを常に内省するのが統一教会の信仰生活である。Iも霊の親やカウンセラーから見守られ、指導されるかなかで自分の成長を実感していたのである。

2.つながりと感謝の因子
 宗教ほど感謝することの大切さを説くものはない。自分は偉大な存在によって守られ、導かれながら生きていることに気付くことが信仰の出発点であり。そうした感覚を持たない人に比べ、信仰を持っている人は日常の様々な出来事に感謝する傾向が強い。これは統一教会においても同様であり、「感謝」を口癖とする教会員は多い。

 統一教会では、伝道される過程において「霊の親」やカウンセラー、教育を担当するスタッフからたっぷり愛情を注がれ、大切にされる。それは西洋においては「愛の爆撃」と呼ばれて洗脳やマインドコントロールの根拠として挙げれらたこともあるほどである。他人から本気で心配され愛される体験がその人の幸福感を増すことは疑いがない。このことは櫻井氏自身も認めていて、Iが自分のことを本気で心配し、気にかけてくれた霊の親からの手紙を大切に保管していたことを紹介している。(p.380)

 統一教会の信仰のモットーは「為に生きる」である。人は自分の為ではなく、他者のために生きたときに本当の幸福を感じることができるというこの教えにより、統一教会の信者は愛されるだけの立場ではなく、愛する立場に立とうと努力する。これは日々の信仰生活の中で兄弟姉妹に親切にし、喜ばせることも含まれるが、最も大切な信仰実践は人を伝道することである。伝道するときには、自分は霊の親として徹底的に霊の子を愛する側に回る。それを通して、人を愛する喜びを感じるのが統一教会の信仰生活の醍醐味である。Iの日記の中にも、CB店に「百合子さん」を誘って指輪を授かったことに対する喜びの心情が記されている。(p.387)Iにとってこれは、愛されるばかりではなく、自分から愛情を注ぐ対象が生まれたことに喜びを感じる貴重な体験であった。

 こうした人間関係がIにとって喜びであり、信仰の動機付けになっていたことは、櫻井氏自身も以下のように認めている。「Iの信仰心を持続させた要因は二つあり、・・・もう一つは、Iをとりまく統一教会信者達による励ましや人間的ふれあいだった。これは確かにIにとって新鮮な出会いであり、人間交際の喜びでもあった。」(p.392)

3.前向きと楽観の因子
 一般に信仰を持つ人は楽観的である。それは人知を超えた偉大なる存在が自分の人生に介入し、自分を保護しているという信念があるからである。例え客観的な状況が厳しかったとしても、それに心を奪われず希望をもって生きていく力を宗教は与えるのである。統一教会の信仰の特徴は、生ける神が自分の人生にダイナミックに関わっており、自分の身の回りに起きるさまざまな出来事が、神や霊界の働きであるととらえることにあると言ってよい。

 また宗教的儀礼は、人のネガティブな気持ちを癒し、前向きに変えていく効果があることは多くの社会学的研究で指摘されている通りである。毎週礼拝に参加することを通して一週間の嫌な出来事や感情を整理し、信仰に基づいて再出発していくという「気持ちの切り替え」を信仰者は常に行っているのである。また、定期的に集会に参加して御言葉を受けたり、清平の修練会に参加したりすることも精神的な「リフレッシュ効果」がある。そしてその中で確認するのは、たとえ多くの問題を抱えた自分であったとしても、神は変わらずに自分を愛し続けているのであるから、自分自身を受け入れて前向きに歩んでいいこうという「自己受容」の感覚である。

 教会における人間関係は、利害や損得の入り混じった世俗社会の人間関係とは異なり、神を中心とする兄弟姉妹の関係であるため、私心がなく、純粋で濃密な人間関係を構築することが可能である。それは統一教会の魅力の一つとなっている。

4.独立とマイペースの因子
 統一教会のように共同体に対する所属意識が強く、人間関係が濃密な組織においては、独立とマイペースの因子は他の因子に比べるとさほど強く作用しているとは思われない。統一教会に所属する人々は、どちらかといえば「自由」よりも「絆」を求める人々である。にもかかわらず、統一教会の教えや実践の中には、この因子に該当する部分も存在することを指摘しておく。

 統一教会では天使長ルーシェルの堕落が「愛の減少感」であったため、他人と自分を比較して嫉んだり嫉妬したりすることを戒めている。他者との「横的」な関係ではなく、神との「縦的」な関係を重要視せよという教えである。これは社会的比較志向を抑制する効果があり、幸福感の増大に寄与するものと思われる。

 また、信仰を持つということ自体が「自己概念の明確傾向」を高めることになり、周りのさまざまな状況の変化に影響されずに自分自身についての信念を安定させる効果がある。
 以上のように、宗教的信仰が一般的にそうであるのと同様に、統一教会における信仰のあり方が人の幸福感を増す多くの因子と関係していることがわかるであろう。したがって、Iが統一教会の信仰を持っていた当時に、その信仰が彼女の幸福感を増大させていたことは疑いがなく、それがまさしく彼女の信仰の動機となっていたのである。

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