第6章 祝福:聖別期間と同居生活(6)
「聖別・約婚期間」は公的な祝福式をもって終了するが、この祝福式は神学的には「内的」な聖酒式の「外的」な表現である。それは、全てのメンバーが参加することを許されており、若干の非メンバーも賓客として参加できるという意味において公開されている。聖酒式と同様に、公的な祝福式もまたそれが起きる僅か手前になって初めて文師によってアナウンスされるが、この非常に羨ましい出来事とみなされていることに関しては、その時と場所に関してあらゆる種類の噂が共同体に広がる。1981年3月27日から29日にかけて行われた「神学者総会議」に参加した統一教会の信者たち(彼らはすべて1979年から1980年の間にマッチングされた者たちである)は公的な祝福式を、それが聖酒式、「聖別・約婚期間」、三日行事ほどには神学的には重要ではないにもかかわらず、極めて熱烈に心待ちにしていた。
以下の記述は、運動が制作した韓国ソウルでの1800双祝福式のビデオテープを著者が何度か視聴した上で、そのイベントに参加した数名のメンバーに対して行ったインタビューの基づいている。
「公的な祝福式は1975年2月8日の早朝、ソウルの奨忠体育館で始まった。カップルの出身国である21カ国の国旗を掲げたメンバーによる入場行進に続いて、韓国の国旗に対する敬礼が行われ、韓国の統一運動の会長による短い歓迎の辞が述べられた。二番目の入場が始まった。最初に入ってきたのは、最近祝福されたカップル(1970年)であり、その次に文鮮明師夫妻が入場した。文師夫妻は金の縞模様で装飾された白いガウンを着用し、王冠をかぶっていた。1800組のカップルが、男性たちはみな同様の地味な黒いスーツに身を包み、女性たちもみな同様のウェディングドレスを着て、ウェディングマーチに合わせてホールに入場し、彼らの結婚に対する神の認可と祝福を象徴する香水入りの水を振り掛ける文師夫妻の間を通過し、文師夫妻の前に着席した。カップルが神を中心とした生活をすること、模範的な夫婦となること、自国と神に対して忠実な息子・娘を生むことを約束する、三つの結婚の誓いがなされた。カップルが『男とその妻』となることを献辞し宣言するための非常に熱烈な祈祷を文師が捧げた。カップルが真の父母に花束を贈呈し、お父様が全会衆を導いて行う万歳三唱(統一教会の歓呼で、『神の勝利』を意味する)を行って儀式を終了させた。
続いて市内でのバスパレードが行われ、その日の夜には、エンターテインメントを伴う夕食と歓迎会が行われた。」(注37)
神学的には極めて重要というわけではないが、このイベントは宗教共同体全体に対して「地上天国を実現するための」(注38)祝福家庭の前進を確認し祝賀する機会を提供するという点において、統一運動にとって極めて重要であるように思われる。より深刻で摂理的志向性の強いマッチングおよび聖酒式とは対照的に、公的な祝福式はより華やかで喜びに満ちたイベントとしての傾向がある。さらに、後者は(個々のカップルではなく祝福家庭全体を強調することにより)疑いなく三つのレベルにおける団結を促進するのに役立っている。第一に、この式典はサタンに対する神の千年王国の勝利に各々の祝福家庭が同参する、喜びに満ちた終末論的イベントである。実際には、このことは彼らが理想的には自身の結婚と家庭生活を統一運動の救済事業に捧げることを意味する。第二に、団結は各祝福双の祝福家庭同士に確立される。彼らは同じ結婚の衣装を身に付け、一緒に誓いをなし、同じ指輪(統一運動のシンボルが刻まれている)を交換し、一つのグループとして「男とその妻」であることを宣告されるのである。(注39)最後に、各カップルは公的な祝福式に参加することを通して、模範的で永遠の夫婦となることに対する誓いを固めるのである。
摂理的な40日聖別期間を経た後、マッチングされたカップルは、統一教会の神学と伝統に従って、「三日行事」と呼ばれるものを通して夫婦生活を成就する。この儀式は高度の秘密とされているもので、そのために筆者はその学問的な分析を行うための十分な情報を確保することができなかった。(注40)分かったことは、「三日行事」は本質的に統一教会の神学(と霊性)を、結婚したカップルの最初の三回の性交体験と統合するものであるということだ。カップルは自分自身とやがて生まれてくる子供たちを捧げることを祈りながら性交の準備をする。それは「責任ある活動(おそらく、運動の世界救済の努力)における我々の位置を維持し、家族の法と天の伝統に従うことにより、栄光の勝利者の所有として相応しくなるためである。」(注41)続いて最初の三回の性交が行われるが、これは女性上位で行われる。これは女性が夫を神のもとに復帰するという主体の役割の完成を象徴している。(注42)このように、「三日行事」は結婚における性交を神聖化させる役割を果たしている。かつては「悲惨」であったものが、最も神聖なものになるのである。夫婦の行為に神がある種の第三者として臨在することにより、それを横的レベルにおけりては天宙の合一の至高の表現に、そして縦的レベルにおいては愛の最高の表現へと変容させるのである。
統一運動の理想と実践の間には非常に緊密な関係があるため、結婚したカップルに対して、彼らの共同生活の目的に意味のある理解を提供する信念について調べることは重要である。これから見るように、三つの理想は必ずしも全ての結婚において実現されているわけではないが、それらは実際に主流の文化における結婚のパターンとは極端に異なるアプローチについて説明し是認する方法をカップルに提供しているのである。統一教会のカップルが結婚の目的について話すとき、彼らは通常三つのことを強調する:神の性相の実体化としての結婚、霊的・人格的成長の場としての結婚、運動の世界救済計画の要石としての結婚。
神の性相の実体化として、結婚は理想的には神のかたちが人間レベルにおいて現れたものである。ある駆け出しの統一教会の神学者がそれを以下のように表現した:「・・・統一神学のポイントは、神の内的性相が男性性相と女性性相を含んでいるため、私たちの夫婦としての祝福を通して、私たちは神の性相を実現できるのです。」(注43)これは具体的には、「・・・完璧な夫と完璧な妻が完全に一体となり、ある意味で目に見える神となるのです。」(注44)私がインタビューしたカップルの中にはこの究極の目標に到達したと主張した者はいなかったが、全てのカップルがそれを熱望していると言ったここと、彼らが統一運動のさまざまな使命のために払っている実際の犠牲を前提とすれば、彼らの発言が彼らの価値観の正確な表現であることを受け入れない理由は私には見当たらない。
(注37)このビデオテープにおいて以下のことが言及されていないのに留意するのは興味深い。①結婚するための資格、②ほとんどのカップルを文師自らがマッチングしたこと、③それに続く長い「聖別・約婚期間」。
(注38)ビデオテープのナレーターの最後の言葉。
(注39)加えて、各祝福家庭の祝福双または「階級」は、文師によって特定の総合的使命を与えられる。例えば、1970年のカップルは国家レベルで神の国を作ることが使命だったのに対して、1975年のカップルは国際的に霊的基台を立てる使命があった。組織は各祝福双に対して毎年記念の夕食会を主催している。
(注40)私が最初に三日行事について知ったのは、元メンバーによる運動における体験に関する手記を読んだときであった。(ウッド『ムーンストラック』 p. 163)
(注41)このフレーズは、『季刊祝福』の各号の3ページ目に掲載されている「家庭の誓い」から取ったものである。
(注42)結婚したカップルは「三日行事」について語ることを躊躇しているように見えるが、彼らはこの儀式のほかには統一運動の性生活には「風変わりな」ことはないと強調した。ひとたび「三日行事」が終われば、彼らが結婚生活の中でどのように性を扱うかは、自分たちで自由に決めることができると彼らは言った。
(注43)インタビュー:キーン氏
(注44)インタビュー:カービー夫妻