書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』128


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第128回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第七章 統一教会信者の信仰史」

 元統一教会信者の信仰史の具体的な事例分析の中で、第125回から「五 壮婦(主婦)の信者 家族との葛藤が信仰のバネに」に入った。今回は元信者Hの事例の4回目である。今回は脱会の経緯とその後の夫との関係に関する櫻井氏の記述に基いて、Hの信仰が抱えていた課題と夫婦間の葛藤について分析することにする。

 前回の記述の中で、信仰末期においては「死なんとする者は生きん」という言葉がHの中にすみつくようになり、「殉教精神」に近い心理状態になっていたことを紹介した。これは「自分のことはもうどうでもよかった。何度も死ぬ思いで限界を超えてきた。それが自分を強くしてきたし、信仰を全うすることで死んだらそれはそれでいいと完全に開き直っていた。」(p.374)という櫻井氏の記述とも一致するが、これを「殉教精神」と呼ぶか「自暴自棄」と呼ぶかは微妙である。しかし、少なくともHはこの時点で自分自身のことを大切にしておらず、健全な精神状態であったとは言い難い。

 これは既に櫻井氏が紹介した元信者の事例の中では、Bの精神状態に近い。Bは数年間の伝道活動と経済活動に明け暮れた結果として、健康を害した。(p.332)それがBの中にネガティブな思いが蓄積する原因となったのだが、Bの場合には単に身体が弱かったというだけでなく、自分自身に対する意識の持ち方にむしろ問題があったのではないかと思われる記述が見受けられる。彼女は自身の活動全般に対して辛いと感じていたのだが、それにもかかわらず彼女がこの道を捨てられなかった理由は、「氏族メシヤである自分の存在を否定することができない。そのときはもう自分はどうなってもいいと思っていたのだ。しかし、マイクロは家族のためにやらなければならなかった。そうしなければサタンが讒訴すると信じていた」(p.332)というのである。

 ここで「自分はどうなってもいい」という表現が、BとHにおいて一致していることに注目したい。自分のことは構わないから家族や夫のためにこの道を歩むというのは、一見自己犠牲的で人の為に生きる素晴らしい信仰のように聞こえるかもしれないが、神に対する感謝の念がなく、なかば自暴自棄になっているという点で正しい信仰姿勢であるとは言えないし、健全な精神状態であるともいえない。これは統一教会の理想的な信仰者の姿ではないばかりか、典型的な姿でもないのである。このことに関しては、Bに関する分析のところでキリスト教の伝統や文鮮明師自身の御言葉を根拠として既に論じたとおりである。

 Hの信仰はBの信仰と同じく、どこか自暴自棄的なところがあり、本音においては自分自身を嫌っていて、そういう自分を犠牲にすることに一種のヒロイズムを感じて酔っていたのではないかと思われるふしがある。酷な言い方かもしれないが、そうした信仰姿勢のままではいつか枯れてしまい、長続きしない運命にあったのではないだろうか? 信仰は何よりも、自分が神に愛されていることに対する感謝の念から出発しなければならないからである。このようにネガティブな感情を蓄積させている人は、「拉致監禁による棄教説得」にせよ、「保護による話し合い」にせよ、結果として信仰を棄ててしまうことが多いようだ。なぜなら、信仰を棄てることは自分を束縛している辛いことやネガティブな感情からの解放を意味するからである。

 櫻井氏の記述によれば、「夫は妻のあまりの借金行為に耐えかねて、何とかして統一教会から引き離さないと家族がだめになってしまうと考え、方々で情報を集めた後に脱会カウンセラーに相談するようになった。そして2000年にHを保護し、長い話し合いに入った。」(p.374)という。ここで言う「保護」や「話し合い」という表現を「監禁」と「説得」に読み替えることが可能であることは、既に述べたとおりである。

 Hが「保護」を受けた瞬間の気持ちは、「もう、これで何もかもが終わるだろうと、どこかにホッとした気持ちがあった。よかった、統一教会と離れることができる。」(p.374)というものだったという。これはある意味で、Hが統一教会の信仰生活の中で蓄積させてきたネガティブな感情が一気に反動となって表れたものであろう。

 夫の本来の目的は、妻であるHを統一教会から引き離して家族のもとに連れ戻すことであった。その通りになったのであれば、このストーリーは反統一教会側の視点からの「ハッピーエンド」となったのかもしれないが、現実はそうはならなかった。Hは、自分は家族と別れることになるだろうと覚悟を決めてカウンセリングを終了し、その後しばらく家族と別居した後に、離婚と自己破産の道を選択したのである。(p.375-7)結局、統一教会を脱会しても家族が元の状態に戻ることはなかった。このことの原因を櫻井氏は統一教会の信仰のあり方に見いだそうとしているが、私はあえてここで、「家族の元の状態」が必ずしも理想的で幸福な状態ではなく、Hが信仰の道に解決を求めざるを得なかったような深刻な問題を、もともとこの家族は抱えていたのであるという点を指摘したい。

 実は櫻井氏自身がそのことをほのめかしている。「Hは入信前に夫との関係に悩んでいた。家庭内暴力に近いものがあった。こうした状況でHが積極的に問題の打開策を求めていったともいえるし、統一教会の伝道者がつけ込んだともいえる。」(p.375)という記述がそれだ。

 櫻井氏は家族側の立場に立って記述しているので「家庭内暴力に近いもの」という曖昧な表現をしているが、実際には家庭内暴力そのものがあったのであろう。要するにHが統一教会に救いを求めなければならない状況に追い込んだのは、夫自身であったということだ。櫻井氏はHが信仰を持った理由を、H自身の積極的な求道であるとも、伝道者の働きかけでもあるといっているが、そもそも伝道とはする側とされる側の相互作用の中でなされるものであり、どちらか一方がマインド・コントロールするということはあり得ないのである。ここでのポイントは、Hにはあえて統一教会の信仰の道に入っていくための動機があったのであり、その主たる原因は夫の暴力であったという点だ。

 しかし、結果的に統一教会における信仰は矛盾をはらんだものとなった。統一教会の信仰が「駆け込み寺」的なものであり、夫を捨てて出家して楽になればよいというようなものであれば、結論は離婚しかなく、それはHにある種の心の平安を与えたかもしれない。しかし、統一教会で教えられたことは「夫を復帰して祝福を受け、理想家庭を築きなさい」ということだった。だからこそ彼女は1997年にワシントンで開催された合同結婚式に夫の反対を押し切って参加し、夫の写真を抱いてロバート・ケネディスタジアムで既成祝福を受けたのである。しかし、これでは理想と現実のギャップは甚だしく大きい。このころから、地上において夫を復帰して祝福家庭となるという希望はほとんどなくなり、祝福の儀式に参加することによって霊界における夫婦としての幸せに賭けるという状況になっていた。これもHなりの信仰に基づいた夫に対する愛の表現だったのだが、それが夫に理解されることはなかった。こうして、家族の中に自分の居場所を見いだせず、宗教の中に生きがいを見いだし、それにのめり込むことで家族の中でますます居場所を失っていくという悪循環が起きるようになったのである。

 櫻井氏は、「Hの信仰的動機づけは、夫の救済だった。夫は信仰を認めず、それがHの信仰的『負債』となり、家族との葛藤を教会活動で克服することに信仰の意味を得た。」(p.375)と分析している。一方で、「夫は統一教会に入信した妻の行為が全く理解できなかったが、それでも離婚することなく妻を統一教会から引き離すべく転居したりしながら結婚生活を継続してきたのは愛情のゆえだった。」(p.376)とも分析している。お互いに対する愛情があるにもかかわらず、相手の愛情表現を理解することも受け入れることもできないという悲劇が、この夫婦の間には横たわっていた。そうした中で、「迫害者」と「殉教者」という役割を演じながら12年間も葛藤を続けたのである。ある意味では、統一教会の信仰がこの夫婦の葛藤を緩和するのではなく、「拍車をかけた」とは言えるのかもしれない。ただし、それは統一教会の信仰一般が家族関係を破壊するという意味ではなく、Hがもともと持っていた性格、夫の個性、もともと夫婦が抱えていた問題、教会の指導のあり方など、複数の要素が絡み合って悪循環を生み出したと見るべきであろう。

 夫が抱えていた問題は、妻への家庭内暴力であった。それが嫌で妻は統一教会の信仰を持つようになった。夫が統一教会から妻を救い出す手段もまた、実態としては拉致監禁による棄教説得という暴力的なものだった。夫は何も変わっていないのである。Hは統一教会で夫婦関係の問題を解決することはできなかったが、信仰を棄ててもそれが解決されるわけではなく、帰るべき家庭にHの幸せはもともとなかったので、離婚の道を選ばざるを得なかったのである。Hが信仰を棄ててホッとしたのは、辛い活動から解放されたからであって、夫の愛に感謝したり、助けてくれた夫と共にやり直したいとは思ったわけではなかった。脱会はしたものの、夫婦はすれ違ったままである。結果として、Hは信仰と家庭の両方を失うこととなった。

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