書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』23


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第23回目である。

「第Ⅰ部 統一教会の宣教戦略 第3章 統一教会の教団形成と宣教戦略」の続き

 櫻井氏は本章の中で、「統一教会の宣教戦略の展開」というテーマを掲げ、日本統一教会の成立と発展について自説を展開している。開拓期から1970年代までの発展の経緯を時系列にしたがって並べると以下のようになる:
①崔奉春宣教師によってキリスト教徒や立正佼成会の信者を伝道した草創期
②宣教の対象を大学生・青年に絞り込み、「親泣かせの原理運動」と呼ばれた時代
③国際勝共連合や世界平和教授アカデミーの創立により、宣教の対象が大学や政治の領域にシフトして行った時代

 宗教法人としての統一教会というよりは、統一運動の発展の経緯としてみれば、櫻井氏の記述は事実関係をほぼ正確にとらえているといってよいであろう。問題は、こうした展開にたいする櫻井氏の評価の部分である。櫻井氏は統一教会の関心が純粋に宗教的な目的にあるのではなく、立教してから極めて短期間のうちに政治や権力に対する関心が高まっていったことに対して批判的な見方をしているようである。それは以下のようなくだりの中に容易に読み取ることができる。
「宗教運動というよりは政治運動の色彩も濃厚にあり、事実、一九六八年には国際勝共連合による反共政治活動が組織化されている」(p.90)
「一九七〇年代には、宗教活動に加えて、政治・経済活動が統一教会の特徴となっていく。・・・宣教の対象者・場所が地域から大学、政治の領域に急速にシフトしてきたのがこの時期であり、立教後すぐにこのような宣教方針の展開をする日本の新宗教はほとんど例がない」(p.90)
「統一教会の宣教方法は、日本における新宗教の教勢拡大の方法とは一線を画しているように見える。新宗教には、立教当時、少なくとも貧病争に苦しむ社会の中下層の人々を宣教対象に据え、具体的な救済を施すことで、世俗化した既成宗教や弱者に厳しい社会体制を批判してきた教団が少なくない。ところが、統一教会の場合、教勢拡大こそ世界救済の近道と考え、そのために将来の幹部達や支持者を当時の社会のエリート(大学進学率10-20パーセントの時代の学生や、大学人・政治家)からリクルートすることで、日本社会における速やかな浸透を目指していった。」(p.90)

 これらの分析を構成している内容を一つずつ検証してみたい。まず日本の新宗教が立教当時は貧病争に苦しむ社会の中下層の人々を宣教対象として具体的救済を施してきたという部分であるが、これは新宗教の中でも比較的古い時代に創始されたものの特徴であると言えよう。日本における「新宗教」の定義は、「幕末・明治維新以後から近年にかけて創始された比較的新しい宗教」となっていて、創始された時期には実に150年もの幅があるので、時代によって特徴が異なるのは当然である。日本で新宗教に入信する人のニーズは伝統的に「貧病争」と言われ、これは日本がまだ貧しく、社会福祉も十分に整っていなかった時代に庶民が宗教に救いを求めたのであるとされる。天理教、大本教、立正佼成会、創価学会などの教勢拡大はこうした層に広まっていった典型的な例とされる。

 しかしながら、高度経済成長期以降(1970年代以降)に教勢を伸ばした新宗教は必ずしもこのパターンには当てはまらず、もっと精神的・倫理的なニーズで宗教に入信する人が多くなったと分析されている。これは日本が経済的に発展し福祉制度が充実したことにより、「貧病争」の解決に必ずしも宗教が必要なくなったという時代背景も関係しているのであろう。最近はあまり使われなくなったが、この時代に出現した宗教を「新新宗教」と呼んで、それまでとは違った動機で人々が宗教団体に関わることから、新しい概念として提示されたこともあった。そうした「新新宗教」の例として名前が挙げられた教団が真如苑、真光系教団、阿含宗、GLAなどであり、統一教会や幸福の科学がその中に含まれることもあった。「新新宗教」の概念に学術的な意義があるかどうかはさておき、日本社会が経済的に豊かになり福祉が充実してきたことによって、「貧病争」の解決を主たる目的としない新宗教が出現したことはある意味で時代の必然であって、統一教会に特異な現象ではない。統一教会が台頭してきたのも1970年代以降であるから、これは「日本における新宗教の教勢拡大の方法とは一線を画している」というよりは、時代による新宗教のあり方の変化とみることができるのではないだろうか?

 次に宣教のターゲットが若者や学生であったということだが、これはアイリーン・バーカーの「ムーニーの成り立ち」で報告されているように、西洋でも同じ傾向にあるようだ。バーカー博士が研究していた当時、イギリスの統一教会に入教するメンバーの平均年齢は23歳であった。そして1978年における英国と米国のフルタイムのムーニーの平均年齢は26歳であり、1982年の初めの英国の会員の平均年齢は28歳だったということなので、統一教会はまさに「若者の宗教」だったことになる。日本においても事情は同様で、これは理想主義的な運動にカウンター・カルチャーを志向する若者が共鳴するという当時の時代背景を反映しており、必ずしも統一教会に固有の現象ではない。

 次に、社会のエリート層に働きかけることによって日本社会への速やかな浸透を目指していったという指摘であるが、土着の宗教ではなく、外国から宣教された宗教が社会のエリート層に浸透しようとする現象は珍しいものではなく、そのような戦略はキリスト教において典型的にみられる。キリスト教が初めて日本に宣教されたとき、キリシタンになったのは庶民だけではなく、多くの武士や大名たちがキリスト教に回心した。これはイエズス会の宣教師たちが非常に戦略的に動いたからであり、彼らはまず初めに実質的な権力を持っている大名のところに挨拶に行き、彼らから布教の許可を取って公認の下で宣教をした。大名たちが宣教を許可した理由は、キリスト教とともにやってきた南蛮貿易の利益が彼らにとって非常に魅力的だったからである。こうした中で、自身もキリスト教に改宗するような大名が出てくるのであるが、まず社会のトップ層に浸透することによって宣教の基盤を築こうという当時のイエズス会の戦略と似たような発想を統一教会が持っていたということになるであろう。櫻井氏は統一教会と日本の新宗教の違いを強調したいようだが、そもそも統一教会は日本の土着の新宗教ではなく、日本国内で創始された宗教ではないので、日本社会とのかかわり方が日本の土着の新宗教と異なっているのはある意味で当たり前である。

 日本の新宗教が政治に関わる例は決して珍しいことではなく、そのかかわり方が顕著な例としては生長の家と創価学会を挙げることができるであろう。その意味で統一教会が勝共連合という友好団体を通じて政治に関わったとしてもそれは特に珍しいことではない。おそらく櫻井氏が言いたいのは、少なくとも立教してからしばらくは純宗教的な活動に専念して「貧病争」の問題に取り組み、弱者に対する社会奉仕を十分に行ったうえで政治活動に手を伸ばすならまだしも、宣教が始まってわずか10年で政治団体を立ち上げるというのは本当に宗教なのか、と言いたいのであろう。しかし、統一教会の歴史は日本宣教の時点よりもさかのぼるのであり、文鮮明師は1945年から公的活動を開始している。それから23年の時を経て1968年に韓国で国際勝共連合が創設されたが、それと同じ年に日本でも勝共連合が創設されている。したがって、こうした政治活動へのかかわりは国際的な脈絡の中で理解しなければならず、日本の新宗教と比較しても意味がないのである。

 最後に、国際勝共連合や世界平和教授アカデミー(1975年に「世界日報」が創刊されたことも忘れないでもらいたい)などの団体を設立して日本社会の指導者層に働きかけた理由には、「地上天国実現」という統一運動の理想があることを述べておきたい。文鮮明師の教えは、心の平安という主観的な幸福だけを目的としたり、来世における救済を約束するのではなく、この地上に具体的な理想世界を建設しようとする教えである。そのためには「貧病争」を抱えた庶民を救済するだけでは不十分であり(それを否定あるいは軽視しているわけではない)、社会の指導層がその教えを受け入れて地上天国実現のために働かなければならないと考えている。

 その中でも、国家主権の中心人物がメシヤを受け入れるかどうかは、神の摂理が成功するか否かの重要なファクターであると考えられている。そもそも統一教会の理解によれば、イエス・キリストも本来は社会の最下層の人々に福音を宣べ伝えるために来たのではなく、当時のユダヤ教の指導層であるパリサイ人や律法学者、そして最終的にはローマ皇帝に彼の教えを受け入れさせることによって、世界的な次元で地上天国を建設することが彼の本来の使命であった。イエスが十字架にかかったためにこれは実現しなかったが、313年にローマ皇帝コンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認することによってこれを霊的な次元で成し遂げたと理解している。

 文鮮明師と国家主権の中心人物の関係においても、本来は韓国の初代大統領である李承晩博士が文師をメシヤとして受け入れる使命があったとか、朴正煕大統領やアメリカのニクソン大統領などもメシヤを受け入れる使命を持った人物であったことなどが「主の路程」の中で語られることがある。これは「地上天国実現」という統一教会の目的から必然的に導き出される結論であって、統一教会という宗教の個性の一つであると言える。それが日本の土着の新宗教と違っているのは当然であって、そのような比較自体に意味がないと言えるであろう。

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