書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』121


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第121回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第七章 統一教会信者の信仰史」

 元統一教会信者の信仰史の具体的な事例分析の中で、第119回から「四 祝福を受けた信者 合同結婚式の理想と現実」に入った。これまで2回にわたって櫻井氏の研究手法そのものを批判してきたが、今回から具体的な事例に入る。

 元信者Fは母親から伝道されたいわゆる信仰二世であった。彼女は1992年に三万双の韓日祝福を受けるが、その相手が「熱心な信者というわけではなかった」(p.363)という記述は、おそらくFが自分の視点から韓国人男性を評価したものであろう。以下、Fが葛藤を感じた中心ポイントを列挙してみたい。
「ソウルでは夫の叔母がマンションを買って、入居するばかりに準備してくれた。しかし、驚いたことに、マンションをもらえたわけではなく、ローンはそのままだった。しかも、夫方から資金援助がなく、ローンを全額自分達で返済する計画になっていた。これが、自分達にほとんど何の相談もなく決めていく夫側親族への不信の始まりだった。実際は、夫へ相談があったのかもしれないが、夫はFに一言も相談がなかった。コミュニケーションの問題は言葉のギャップということもあるが、男尊女卑、長幼の序が強すぎる韓国と日本の問題とも思えた。統一教会が理想とする韓国の文化にショックを受けた。」(p.363)
「長男である夫は両親に頭が上がらず従うばかりであり、不満のやり場がなかった。」「また、韓国で実際に教会生活をしていくうちに、日本の統一教会の教え、生活との落差に疑問を感じていった。」(p.363)
「韓国の統一教会信者は、日本の統一教会信者のように献身的でもなければ、日本で言われたように霊的に高いというようなこともなかった。」「日本人は忠孝心で文鮮明教祖を信じてしゃにむに働いていたが、韓国の信者はマイペースだった。このような日本と韓国の信仰生活の落差を経験するうちに、ここには神はいない、この宗教は嘘だと確信を持った。」「今の夫、この家庭は何なんだ。全てうそに見えてきた。」(p.364)

 Fの葛藤を一言で表現すれば、日本と韓国の文化的ギャップに耐えられず、カルチャーショックを起こしたといってよいだろう。それは一般的な日本人と韓国人の民族性の違いにとどまらず、同じ信仰を持っている統一教会信者であっても韓国人と日本人の間には価値観の違いがあるため、Fは韓国社会と韓国統一教会の両方に対して不適応を起こして、夫を置いて日本に帰ったということができる。

 実はこのような葛藤は、多かれ少なかれ韓日祝福を受けたすべての日本人女性が感じるものである。信仰的要素を除けば、韓日祝福家庭に限らず、国際結婚をしたすべてのカップルが直面する問題といってもいいだろう。恋愛を動機として国際結婚をしたカップルは、夫婦の愛情によってこうした葛藤を乗り越えていくのであろうが、統一教会の祝福家庭の場合には信仰によって乗り越えていく場合が多い。そしてそのどちらのケースでも、カルチャーショックを乗り越えられずに離婚に至るケースがあるということになる。

 たとえ信仰があったとしても、言葉もうまくできない異国の地に嫁いで行って、その地の文化や風習を学びながら、同国人同士でも難しい嫁姑の関係や親族との人間関係をこなしていくのは、相当の苦労があると思われる。統一教会では、大量の韓日・日韓祝福家庭を生み出す一方で、こうした困難に直面している信徒たちに対するサポートを行っていないのであろうか? 実は相当システマティックに行っているのである。韓日祝福を受けて韓国にお嫁に行く女性信徒たちは、通常は「渡韓修」と呼ばれる修練会に参加し、その中で宗教的な教育を受けるだけでなく、韓国と日本の文化の違いに関する講義や、韓国の家庭に嫁入りする際の心構えや注意事項などを教えられるのである。

 こうしたサポートを受けられる恩恵は、時代と共に変遷してきた。6000双(1982年)以前にはこうしたサポートはほとんどなく、韓日の文化的な違いを乗り越える戦いはもっぱら個人の努力に任されていた。6500双(1988年)のときに過去に例のないほど多数の韓日・日韓家庭が誕生し、多くの日本人が韓国に渡ったため、そのケア体制の必要性が認識されるようになった。韓国教会に「国際家庭特別巡回室」が設置され、鄭壽源巡回師が渡韓した日本人の指導に当たるようになった。そして3万双の祝福式が行われた1992年から、国際家庭特別巡回室が主催する修練会が本格的に行われるようになった、というのがおよその経緯である。

本郷人の行く道

 この修練会で語られた内容を中心として構成された本が、国際家庭特別巡回師室編 『本郷人の道』である。この本は前半が「み言葉編」で、韓国で生活していく「本郷人」に対して語られた文鮮明師のみ言葉と、鄭壽源巡回師のみ言葉によって構成されており、後半が「生活教育編」で韓国での生活全般について知っておくべき内容や文化の違い、韓国と日本の統一教会の信仰観の違いなどが詳しく解説されている。この「生活教育編」の部分は、一つの文化論として読んでも面白い内容となっている。

 後編の「生活教育編」を執筆している武藤氏は、私にとってはCARPの後輩であるだけでなく、彼が学生として参加したCARPの新人研修会で私が進行をやっていたので、古くから知っている間柄である。この文章は「執筆」というよりは、彼が講義した内容を起こしたものなのであろう。私は実際に彼が講演しているところを何度も聞いたことがあるが、非常に話がうまく、魅力的な講師である。それは『本郷人の道』の文章からも伝わってくる。

 彼の指導は非常に具体的で、「韓国で勝手な行動をして行方不明になったら、警察から日本大使館に連絡が行き、国際問題になる」「ビザの延長手続きを絶対に忘れないように」「外国人登録を必ずするように」「日本に一時帰国するときは、出入国管理事務所で再入国許可をもらうのを忘れないように」「パスポートの期限切れに注意」「B型肝炎の予防接種を受けるように」などといった基本的で細かいことから始まっている。

 韓国と日本は、同じ東洋の国として文化的な類似性を持ちながらも、文化や生活習慣においては大きく異なる側面もある。これが姿かたちの違う西洋人と東洋人なら違っても納得がいくのだが、なまじ姿かたちが似ている韓国人と日本人の場合には、「同質性の中の異質性」を感じてしまって、逆に葛藤が大きくなるというのが武藤氏の解説である。そこで彼は、韓国人と日本人のどこがどのように違うのかということをまず追求していく。それは「まず最初に違いを正確に理解したところから真の一体化の道も開けると考える」(『本郷人の道』p.202)からだということだ。

 韓国の文化について何も知らないまま、ただ信仰だけで渡韓し、日本の常識を当てはめていちいち葛藤するよりも、事前に韓国と日本の文化はこのように違うのだから、それを前知識として納得したうえで韓国人と向き合いなさいという指導であるのだが、こうした教育は渡韓した日本人女性が現地に適応する上で大きな助けになったと思われる。

 元信者Fがこうした渡韓修の教育を受けたかどうかは不明だが、彼女の場合には渡韓の経緯が特殊であるため、こうした教育を受けなかった可能性が高い。通常、韓国人と祝福を受けた日本人女性は、独身の状態で渡韓し、家庭を出発する前に合宿でこうした修練を受けると同時に、「任地生活」といって約4か月ほど韓国の教会で奉仕活動をしながら韓国文化を学ぶのである。それはいきなり夫の家に一人で入っていって家庭生活を始めてしまうと、慣れない環境や食事、言葉の不自由さに加えて、難しい親族との関係に対応しなければならず、極度のストレスがかかるため、まずは韓国での生活に慣れるための「助走期間」として、しばらく教会の中で先輩の婦人たちや韓国の食口からアドバイスを受けながら過ごすのである。

 しかし、Fの場合には家庭をもってしばらくは日本で生活し、二児をもうけた後で渡韓している。そのために、彼女は韓国での「任地生活」を体験することはできなかったであろうし、韓国の文化について学ぶ機会もなく、いきなり夫の親族との関係に対応しなければならなくなってしまった。そこで彼女は自分なりの日本的な常識や信仰観を「ものさし」として、韓国の親族や韓国統一教会の信徒たちを裁くようになってしまったのである。もし彼女が渡韓修や任地生活でしっかりと韓国文化について学んでから韓国での生活を開始していれば、違った結果になったのかもしれない。

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