書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』39


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第39回目である。

「第Ⅰ部 統一教会の宣教戦略 第4章 統一教会の事業戦略と組織構造」の続き

 櫻井氏は本章の「四 摂理のグローバルな経営戦略」の中の「1 グローバル化戦略と組織の編成」において、統一教会を「国際的なコングロマリット的宗教団体・事業連合体」と位置付け、規模の経済性、範囲の経済性、連結の経済性という三つの観点から分析を試みている。これは実際には「統一教会」というよりは「統一運動」の分析なのだが、経営に関する専門用語に明るくない読者のために、初めにビジネスにおけるこれら三つの「経済性」の基本的な意味を抑えておこう。

 MBA経営辞書(http://globis.jp/)によれば、「規模の経済性」とは事業規模が大きくなればなるほど、単位当たりのコストが小さくなり、競争上有利になるという効果を言う。規模の経済性は、狭義には、固定費が分散されて、単位当たりのコストが下がるというメカニズムを指す。バリューチェーン上で言えば、研究開発費や広告費に規模の経済性が働きやすい。研究開発費がコスト上重要な位置を占める製薬業界では(最近では、新薬の開発には数百億円の費用がかかるという)、国境を越えたM&Aによって、この規模の経済性を実現しようとしているという。

 「範囲の経済性」とは、企業が複数の事業活動を持つことにより、より経済的な事業運営が可能になることを言う。これは単一事業において規模が拡大することによる効果ではない。多様性が増すことにより経済性が高まるのは、何らかの経営資源を共有することで、それを有効に利用できるからである。自社が既存事業において有する販売チャネル、ブランド、固有技術、生産設備などの経営資源やノウハウを複数事業に共用できれば、それだけ経済的である。例えば、ビール会社の医薬品事業への展開は、バイオ事業を共有資源として活用することにより多角化を図る、範囲の経済の典型といえる。

 前述の二つの経済性は単一企業に於けるものだが、「連結の経済性」は、異なる企業間における経済性のことを言う。情報・ノウハウを核に異なる企業が結合して、情報・ノウハウ・技術の共同利用等によって経済性を高める手法である。具体的には、企業間の連携とかネットワークを通じて互いの得意分野を強化したり、不得意分野を補完したりすることにより実現される。

 これらの「経済理論」を用いて、櫻井氏は統一教会(正確には「統一運動」)に関する分析を試みるのだが、果たしてどこまで正確に分析できているのであろうか? 
「規模の経済という点では、大規模化することで信者養成のコストを低下させることができた。日本に限定してみても、北海道で布教されようと九州で布教されようと全く同じ勧誘方法、セミナー、トレーニングが信者に施され、そのための教本・マニュアルの規格化が進められた。それに加えて一九八〇年代から勧誘の初期段階や入門講座、姓名判断や家系図等にもビデオテープが導入されている。その結果、統一教会は本部の人事で日本中どこに配属されようと、新規の信者に対する布教や資金調達活動に従事できる体制が整ったのである。」(p.153)

 櫻井氏は統一教会を「国際的なコングロマリット的宗教団体・事業連合体」と位置付けているにもかかわらず、規模の経済に関する国際的な分析は皆無で、日本に限定された議論がなされているだけである。世界における統一教会または統一運動の実態を把握するには、それだけで膨大な現地調査や多数の言語による文献の収集と分析が不可欠であり、こうした調査は櫻井氏の手に余るのであろう。統一教会の協力を仰げばある程度は可能かもしれないが、櫻井氏には最初からその気がないので、世界に広がる統一運動の全貌を正確に把握しようという考えは、そもそも彼にはないのである。本書には、日本と韓国以外の国の統一教会や統一運動に関する調査や考察はほとんど見られない。そのような限定された研究であるならば、最初から「グローバルな経営戦略」などという大風呂敷を広げるのはやめた方が良いだろう。

 現実問題としては、世界の統一運動を全体として見たときには、グローバルなスケールで「規模の経済性」が機能しているとは考えられない。宗教団体の資源といえば、教義を中心とする理念体系とそれを表現した経典や教材、さらには信者育成のためのノウハウなどのソフトウェアと、それを実行する人材、そして礼拝堂や教育センターなどのハードウェアであると考えられる。このうちで規模の経済性が機能する部門が「研究開発費」に当たる経典や教材、そして信者育成のノウハウなのであるが、それらを世界の多様な言語に翻訳し、さらには宣教地の土着の文化に適応させるためには多大な努力と工夫が必要であるため、固定費の分散による単位当たりのコスト削減にはつながらないのである。『原理講論』を英語、フランス語、スペイン語、中国語、アラビア語などに訳すだけでも多くの手間暇がかかるし、韓国や日本で成功した伝道のやり方がそのまま他の文化圏で通用するは限らないので、ノウハウの流用も宗教においては容易でないのである。

 櫻井氏が分析している日本の宣教における「規模の経済性」は、世界中の統一運動の中でも稀に見る成功例の一つであり、むしろ例外的な現象であると言えるだろう。宗教団体においては原料を仕入れて何かを生産・販売しているわけではないので、礼拝堂や教育センターなどの建築物の購入費用や家賃などを除けば、中心的な出費は何といっても人件費である。教えを説いて人を伝道するのは「人」であるから、その人にかかるコストをいかに削減するかが経済効率を上げるポイントとなる。その意味では、1980年代から連絡協議会によって導入されたビデオによる原理講義の受講システムは、伝道活動の効率を向上させる上で大きな役割を果たしたといえるであろう。

 もっとも、ビデオ受講だけで人が伝道されるわけではない。ビデオに対する感想を聞いたり、相手の理解度に応じて内容をかみ砕いて説明する「カウンセラー」の役割は非常に重要であり、これは基本的に「一対一の対応」であるために、この部分における効率化はなされなかった。またビデオ受講が一通り終わったら、泊り込みの修練会に出て生の講義を聞くということは相変わらず行われていたので、生の講義がすべてビデオ講義に取って代わられたわけではない。にもかかわらず、伝道の導入部分における学習がビデオ受講になったことは、人件費の単位当たりのコスト削減には大きく貢献したと思われる。まずはビデオを聞いて関心を持ち、ある程度教育された人が大人数の修練会に出て一人の講師から講義を聞くようにすれば、講師にかかる「人件費」のコストパフォーマンスが向上するからである。

 また、連絡協議会において青年伝道のシステムとして開発されたライフトレーニング、新生トレーニング、実践トレーニングなどのシステムは、信者育成のノウハウを蓄積し、成功事例を全国展開するという手法によって、コストパフォーマンスの向上に貢献したと考えられる。

 筆者が入会した原理研究会においても、1983年から本格的なビデオ受講による伝道活動が行われるようになり、筆者は「ビデオ伝道」の初穂の世代に当たる。当時、「清流閣」と呼ばれていた東京都多摩地域の研修センターには、筆者が大学1年生の夏休みに参加した7日間の研修会で60名程度、約一カ月の「新人研修会」には90名程度の大学生が参加していた。彼らのほとんどは、その年の4月からビデオ受講によって育てられてきた者たちであった。原理研究会においてはライフトレーニング、新生トレーニング、実践トレーニングなどのシステムは存在しなかったが、ビデオ受講と休みの期間を利用した長期の修練会の組み合わせにより、効率的な伝道システムを構築していたと言えるであろう。

 こうした効率的な伝道システムの開発は「グローバルな経営戦略」というよりは、日本固有のものであるといえる。これは世界の統一運動のスタンダードではなく、緻密で細かい日本人の民族的性格が生み出したものと考えた方が良いのではないだろうか。なぜなら、こうしたノウハウを真似して成功している事例は他の国に見当たらないからである。

 一方で、ビデオ受講による伝道の効率化は、統一教会の内部で必ずしもプラスの側面だけが認識されているわけではない。統一教会における伝道行為は、伝道する側である「霊の親」が伝道される側である「霊の子」を愛し、み言葉を語って育てることにより、親の心情を復帰し、人格を向上させるという意味付けがなされていた。霊の親は手間暇をかけて霊の子を育てるからこそ、一人の人間として成長できるという考えが、伝統的な統一教会にはあった。しかし、「霊の子」の教育をビデオ受講、専門のカウンせラー、そして一連の教育システムに任せることにより、「霊の親」は信仰者として成長する機会を奪われてしまったという評価も一方で存在するのである。宗教というものは、必ずしも経済効率の向上を良しとするものではないということは、認識しておいた方が良いであろう。

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