韓国の独立運動と再臨摂理シリーズ14


 先回から、韓国と中国の国境沿いの「東辺道」という地域で活動した抗日武装組織の活動について解説を始めました。これら抗日武装組織は、しばしば越境して朝鮮北部の穏城(オンソン)、茂山(ムサン)、恵山(ヘサン)などの町々を襲撃しました。そうした闘争の中で、日本軍と戦って大きな成果をあげたものだけ紹介しましょう。

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 抗日武装集団の中で代表的なものの一つが「大韓独立軍」です。指導者は洪範図(홍범도)という人です。上の図に示したような経歴の持ち主なのですが、「鳳梧洞(봉오동)戦闘」と「青山里(청산리)戦闘」というのが非常に有名で、これらの大きな成果を上げたということで洪範図は有名になりました。これらの戦闘の内容について解説しましょう。

 まずは1920年6月の「鳳梧洞(봉오동)戦闘」です。1920年6月4日、洪範図が率いる約30人の独立軍が豆満江を渡り、咸鏡北道(함경북도)・鐘城郡(종성군)江陽洞(강양동)に駐留していた日本軍の国境歩哨所を急襲した事件から始まった戦闘のことです。これは1920年ですから、ちょうどお父様が生まれた年になります。この戦闘で洪範図は、当時700人に過ぎなかった部隊を指揮し、鳳梧洞の地形をうまく利用した作戦で日本軍を誘引し戦闘を勝利に導いたと言われています。この戦闘で日本軍は戦死者150人、負傷200人を出しました。 一方の独立軍側の被害はほとんどなく、さらに日本軍の小銃160丁、機関銃3丁を得るという戦果を上げました。鳳梧洞戦闘での勝利で自信を得た独立軍は、その後の戦闘でも勝利を得るようになります。こういう武装闘争があったということが歴史に残っています。

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 もう一つの大きな武装集団が「北路軍政署軍」で、指導者は金佐鎮(김좌진)でした。この人は忠清道に生まれて満州に渡り、北路軍政署を組織しました。新民府の幹部として満州において独立軍の一派を組織し、「青山里(청산리)戦闘」などで指揮を執ったことで有名な、韓国では尊敬されている独立運動家の一人です。

野人時代

 実は、この人の血統に生まれた人々がまた結構すごいんです。金佐鎮の息子が金斗漢という人で、この人は任侠でありまた国会議員だった人です。韓流ドラマの「野人時代」を見た人はご存知と思いますが、「野人時代」の主人公が金斗漢です。その金斗漢の娘、すなわち金佐鎮の孫にあたるのが金乙東で、この人は女優であり、また国会議員です。この人は我々の運動につながっていて、韓国で議員連合を立ち上げたときには、その集会の招聘人になってくれました。

金乙東と宋一國

 この金乙東の息子が実は宋一國で、韓流ドラマ「朱蒙」で主役の朱蒙をやった俳優です。金佐鎮からみれば曾孫にあたります。こうした方々が私たちの運動につながっているわけですが、金佐鎮の後孫ということで、かなり有名な家系です。宋一國の先祖をたどれば金佐鎮という独立運動家がいるので、彼もまた「自分は愛国者の血統である」ということを意識している人です。

 そうした中で、「琿春(こんしゅん)事件」と「間島出兵」ということが起こってきます。朝鮮と国境を接する間島の一部である中華民国吉林省の琿春が1920年9月12日と10月2日の2回にわたり、馬賊などにより襲撃された事件を「琿春事件」と言います。これらの事件で、日本領事館が焼失し、女性や子供を含む13人が殺害されました。

 これを受けて同年10月7日、この襲撃を「不逞鮮人」によるとした原内閣は、居留民保護を名目に、朝鮮人がたくさんいる間島に出兵することを閣議決定し、中国側との折衝を開始しました。これを「間島出兵」と言いますが、要するに満州の間島で日本軍が朝鮮人や中国人の活動家、匪賊、馬賊に対して実施した鎮圧・掃討作戦のことです。いよいよ満州における朝鮮人の本拠地に日本軍が乗り込んできたということなのです。

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 それを迎え撃って戦ったのが「青山里戦闘」ということになります。間島出兵中の1920年10月21日から26日にかけて、満州の間島和竜県の青山里付近で、日本軍と朝鮮人の独立運動武装組織及び中国人の馬賊との間で行われた戦闘のことを指します。韓国系の文献は、青山里戦闘を「青山里大捷(たいしょう)」と呼び、独立軍の大勝利であったとしています。これぞ独立運動の中で最も華々しい勝利であると認識しているということです。

 しかし、青山里戦闘の評価は日本側では異なっています。日本側の史料によれば、青山里戦闘で受けた日本軍の損害は、「戦死者11名、負傷者24名のみで、将校の死傷は見当たらない」となっています。この報告は靖国神社の合祀名簿によって裏付けられているということですから、日本側から見れば小競り合いをして、多少の戦死者が出たに過ぎない、という位置づけなのです。すなわち、歴史的事実というものは、誰がどう解釈するかによって意義付けが変わるわけですが、なぜ韓国がこれを重要視するかと言えば、この「青山里大捷」は、韓国が言うところの「韓民族の独立運動」の中で重要な部分を占めており、大韓民国の「建国神話」の中核をなしているからです。

 国を建てるには神話が必要です。こういう英雄によって国が建てられたという神話が必要なのです。日本の場合にはそれは古代の神々の神話になるわけですが、大韓民国の場合には、日本の帝国主義と勇敢に闘った抗日武装闘争の英雄たちがいて、その人たちが祖国光復の時に帰ってきて、「俺たちがこうして勇敢にたたかったから大韓民国ができたんだ」と主張したわけです。その人たちが政権を維持するためには「神話」がなければならないので、この青山里戦闘というのは目覚ましい大勝利だったんだと主張されることになるわけです。それが大韓民国の歴史に記されるようになりました。

 ところが韓国とは対照的に、北朝鮮版の「独立運動史」はこの青山里戦闘にまったく言及していません。なぜなら、北朝鮮の建国神話は金日成の神話だからです。金日成のパルチザンのみが唯一の武装抗日団体であったという北朝鮮の公式見解に反し、不都合なので、この青山里戦闘はなかったことになっているのです。このように、国の立場によって一つの戦闘を見つめる視点はだいぶ違うわけです。

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