書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』111


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第111回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第七章 統一教会信者の信仰史」

 第108回から元統一教会信者の信仰史の具体的な事例の分析に入り、3回にわたって元信者A(女性)の事例を分析したが、今回から2人目の元信者B(女性)の事例に入る。

 Bは1987年から94年まで8年近く統一教会で活動した元信者であり、櫻井氏は彼女が脱会して6年目に聞き取りを行ったという。伝道されたときには大学2年生だったということなので、年齢的にも信仰歴においても私の少し後輩にあたる世代である。

 Bは札幌の短期大学の2年生の時に、クラスの友人から伝道された。街頭で見知らぬ人に声をかけられてついて行ったのではなく、「個人的縁故者」から最初の接触を受けたパターンである。ここでBという個人の事例ではなく一般論として、見知らぬ人から勧誘される場合と「個人的縁故者」から勧誘される場合のどちらがより信者になりやすいかという疑問に答えた、アイリーン・バーカー博士の研究の結果を紹介したい。
「個人的縁故者は、回心にいたる手続きの最初の段階を抜かしているという感じがする。彼らの多くは、見知らぬ人からアプローチされても反応しそうな人々ではないし、友人や親類から運動についてより深く検討するよう説得されなければ、その過程が始まる前にそこから『抜け出すことを選択した』であろう。したがって、彼らはメンバーの中ではいくらか非典型的なグループを構成しているのである——これは入教した両親たちの場合に最も明らかである。友人に連れて行かれて修練会に参加した人々は、とりわけ入教する可能性が高いと示唆されてきた。新しく知り合った人よりも、もともと知っていた友人の方が忠誠心や義理の圧力が大きいだろうと思われるからである。実際には、そうではないことが分かった。その縁故関係は回心にいたる最初の選択を飛び越すことになるかもしれないが、それ自体は、それ以上の結果をもたらすほど強力なものではない。縁故者は見知らぬ人々に紹介された人よりも入教する割合は少ないし、さらに、彼らは修練会の体験をした後に運動に対して最も激しく否定的な評価を下すグループなのである。すなわち、統一教会の『キャリア』の最初のハードルを越えた後に、最終的な結果を決めるより重要な要因は、友人や親類の経験ではなく、その人自身の個人的な経験であり傾向であることは明らかであると思われる。」(『ムーニーの成り立ち』第4章、「ムーニーと出会う」より抜粋)

 この分析をBの事例に当てはめれば、彼女が最初にビデオセンターに通うようになった理由としては、誘ってくれた友人に対する信頼があったとは言えるかもしれないが、最終的に原理を受け入れるかどうかに関しては、そのこと以上に本人の中にそのような素地があったかどうかが大きく影響したということになる。友人に誘われたからと言って、伝道される確率が高くなるわけではなく、むしろ見知らぬ人に誘われたケースよりもその割合は低いのである。Bの場合、家の信仰が浄土真宗であったにもかかわらず、小学校のときに教会の日曜学校に通った経験があることから、もともとキリスト教的な教えに対する親和性を持っていたのではないかと思われる。

 櫻井氏の記述では、彼女がビデオセンターで学んでいる間、そこが統一教会であること、宗教を教えることなど一言も説明されなかったことが強調されている。しかし、Bの場合にはこうした情報の開示・非開示の問題とは関係なく、特別な認識の枠組みを持っていたと思われる。Bはフォーデーズまたはライフトレで再臨主の名前と統一教会の名前を明かされたのであるが、その後、新生トレーニング、実践トレーニングを経た後でさえ、「統一教会を世界救済の団体だと思っており、宗教団体とは思っていなかった」(p.331)というのである。客観的に見れば統一教会は明らかに宗教団体であるため、その中にいながらもそう認識していなかったというのは、一般の人からは理解しがたい感覚であろう。しかし、統一教会の信仰を持った者であればある程度は理解が可能である。

 統一教会の純粋な若い信者は、「統一原理は単なる宗教団体の教理ではなく、宇宙の真理である。統一教会は単なる宗教団体ではなく、世界を救済するために神が立てた特別な団体である」と信じていることが多い。もし統一教会の信者の中に、「統一原理は一宗教団体の教理に過ぎず、統一教会も一つの宗教団体に過ぎない」と思っている人がいたとすれば、その人は既に信仰が冷めてしまった人か、よほど客観的な立場で教会に所属している人であろう。多くの食口たちは、統一教会やその教義を客観的で冷めた観点から見ているのではなく、もっと自分自身の実存と結びついたものとして認識しているのである。

 そしてこれは統一教会に限らず、およそ熱心に信仰する宗教団体の信者においては共通した感覚であると言えるであろう。熱心に信じる者の心においては、「教義=真理」なのである。教義が真理であると信じているからその宗教に属しているのであり、自らの信奉する教義が「特定宗教の一教義に過ぎず、普遍的真理ではない」などとは考えないのである。したがって、そもそも彼らの主観においては「真理」と「教義」の区別は存在せず、その教義は宇宙の真理であり、人間の生き方に対する普遍的な指針である。そして自分が所属するのは「世界救済の団体」であって、単なる宗教団体だとは思っていないのである。

 Bもまた、このような感覚の持ち主であった。したがって、文鮮明師や統一教会等の具体的な名前を明かされた後でも、それを単なる宗教団体であるとは思っていなかったのである。こうした感性を持つBの主観においては、最初から教団の名前を明かさなかったことや、宗教であることを教えなかったことなどは、むしろどうでもよいことであり、それよりもこの教えが「自分にとって真理であるかどうか」を真剣に考える、実存主義的な傾向が彼女にはあったと言えるであろう。このことは、最初から教団名や伝道の意図を明かさない伝道方法が持っている倫理的な問題を正当化することにはならない。しかしBという個人の主観においては、そのことはさしたる問題ではなかった。それをインタビューした第三者が問題視するのは、後付けの解釈に過ぎない。

 Bは「創造原理の神観に感動した」(p.330)と正直に述べているので、基本的に宗教的感性のある人物であることが分かる。Bの堕落論に対する反応は興味深い。「堕落論では罪の観念を持った。」「自分にも当てはまる、自分は汚いと思った。」「自分は堕落しているからやめます」(p.330)といった表現からは、原理を聞く前の男女関係が彼女にとって個人的な負債として認識されていたことが推察される。自分の体験した男女関係から堕落論を受け止め、自分は罪深いと感じるのは青年が伝道される過程ではよくあることであり、とりたてて珍しい現象ではない。しかしながら、自己卑下的な感覚で罪をとらえ、それが信仰の動機となった場合には、神から愛され許されている自分であるという感覚を育てることができず、健全な信仰を育てられないことも多い。Bの場合にはこうした課題を持っていたように思われる。

 Bはセミナーを通して聞いた教義を深刻に受け取り、その真理性も認めていたが、この道があまりにも大変そうなので、自分にはやって行ける自信がなかったという。ここで重要なのは、原理の真理性を認めたとしても、この道を行かないという選択をする人は実際に多数存在するということだ。バーカー博士は著書『ムーニーの成り立ち』の第6章「修練会に対する反応」の中で、統一教会の修練会に参加した人々は「完全な肯定」から「完全な否定」に至るまで実に多様な反応を見せたが、「非入会者たちのほぼ半数が講義はかなり多くの真理を含んでいると思い、9%がそれらを真理で『ある』と信じていた」という事実を明らかにしている。このように「原理は真理である」と認めながらも彼らが信者にならなかった理由は、自分はそこまで献身的になれないので荷が重すぎると感じたからであるとか、自分はこの教会にいるにはあまりに利己主義的である、といったものであった。これはBが「献身」を決意できなかった理由とほぼ同じなのだが、最終的にBは信仰を持つようになる。それは基本的にBの中に「自分を変えたい」とか「自分の悩みを解決したい」という欲求があったからであると思われる。

 Bは引っ込み思案でこつこつと積み上げるタイプの性格だったという。そのBが自分を変えるために、札幌のススキノを走ったり、大通公園の噴水に飛び込んだりといった、いわゆる非常識なことにあえて挑戦しながら、自分の殻を打ち破ろうとする姿もまた、青年信者の信仰生活においてはよくあることであろう。しかし、Bの信仰が持っていた本質的な課題は、基本的に自己肯定感が弱く、そうした嫌な自分を否定することによって生まれ変わろうとするあまり、無条件に自分を愛してくれる親なる神の心情をなかなか感じられず、心霊の健全な成長がうまくなされなかったことにあったのかもしれない。

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