第5章 祝福:準備とマッチング(6)
より年長で経験のあるメンバーたちはこのような発言、特にその結論の一文(訳注:「皆さんにはいかなる男性も女性も見下す権利はないのです。どんな男性も女性も皆さんにはもったいないのです」という発言)を、誇張であるとみなしているようである。しかし、ほとんどとは言わないまでも多くのメンバーがそれを文字通り受け入れる意思がある、というのが事実である。彼らは心の中に好みも抱かずにマッチングに行き、文師が結婚相手として勧めた人ならだれでも受け入れる意思があるのだ。さらに、神の御旨に完全に従うことは恩恵がないわけではない。それは「お父様」が自身の体験から説明している通りである。
「私はたとえいかなる女性とでも、彼女と結婚することによって神の御旨を一日でも早く実現することができるのであれば、結婚できると考えていました。皆さんはその覚悟がありますか?(はい![聴衆の反応])皆さんは黒人の女性と結婚しますか?(はい![聴衆の反応])もしそれが神の御旨ならば、歳を取った女性と結婚できますか? 私は神のためにどんな女性とでも結婚しようと思っていたら、[#傍線]神様は私に可愛い少女を下さったのです[#傍線終わり]。」(注27)
文師とその他の指導者たちによる、メンバーがどんな人でも受け入れて結婚するよう説得する努力は、目に見える結果を生み出さないわけではなかった。1977年に行われた67名の統一教会信者の調査によると、結婚相手の選択に対する彼らの期待に関して、以下のことが発見された。
「回答者の8%が彼らは未来の配偶者を選ぶか、相手に選ばれるだろうと予測した。59%が自分は教会の指導者たちが推薦した人の中からパートナーを選ぶだろうと予測した。33%が教会の指導者たちが彼らのために結婚相手を選んでくれるだろうと期待した。」(注28)
調査を行った者たちは気付いていなかったが、59%と33%の違いは実際にはこういうことである。前者のグループが文師によって推薦された一人もしくはそれ以上の結婚相手を拒否する意思を示していただけであるのに対して、後者は推薦された最初の人を受け入れる準備があったということだ。書かれているように、調査は59%が教会の指導者たちによって彼らに提示された、例えば4名や5名のリストの中からパートナーを選ぶことを期待したことを示唆している。このような習慣は統一運動のマッチングに対するアプローチの標準的な部分ではないため、これらの人々は文師の選択に対して一度あるいはそれ以上の「拒否権」を発動することを躊躇しないと言っていたに過ぎない。この調査が実際に意味していることは、メンバーの92%が最終的には文師の推薦した結婚相手を受け入れるが、59%が必ずしも彼が最初に推薦した人を受け入れるとは限らないということである。したがって、文師および他の指導者たちは、メンバーを「神を中心とする」マッチングに向けて準備する上で、非常に効果的であったように見える。この国では人々は自分が選んだ誰とでも自由に結婚できるという長年にわたるアメリカ人の信仰と、統一運動のアプローチがいかに鮮やかな対照をなしているかに気づけば、彼らの成功はより一層重要になる。
結婚相手の選択に対してメンバーたちが正しい態度を持つよう勧めることに加えて、文師は資格のある候補者たちの申込書と写真を吟味することによって、マッチメーカーとしての自身の役割のために準備する。この準備に気づいているメンバーは非常に少ないように思われた。実際、文師がどのようにマッチングの準備をするかに関する唯一入手可能な描写は、1979年に運動が主催した統一運動のライフスタイルに関する会議で話をした年長のメンバーによるものだけである。
「文師は人相を見ることができ、その人自身もしくはその人の写真を見ただけで、その人の性格について語ることができます。文師が人々に対して彼ら自身のこと(彼らの長所と短所について)、彼らを見ただけで語ったという、あらゆる種類の逸話や驚くべきストーリーがあります。彼は私の妻と私に対してそれを行いました。したがって、マッチングの前に、文師は資格あるメンバーたちの写真を見て、ときには申請書に書いてある彼らの情報を見ます。彼は人々の好みが何であり、彼らの性格がどのようなものであるかについての事前の知識なしにマッチングに入ることはありません。しかし、ひとたび彼がマッチングの行われるボールルームに入ると、文師は一切ノートは使わず、参加者以外の誰とも相談することはありません。彼はただ神の啓示のみを頼りにされるのです。」(注29)
彼が持つとされている超心理学的な力と申請書の情報のほかに、文師はマッチングに対する提案を特定のリーダーや文夫人からも受ける。彼らは文師と候補者の仲介役として働いている。そしてもちろん、彼は資格のあるメンバーの何人かを、彼らとの事前の接触の結果として、個人的に知っているであろう。
運動の中で文師の奇跡的なマッチメイキングの力によるものであるとされる口伝えの伝承が、疑いなく文師の準備によって支えてされていることを知っているメンバーはごく少ない。にもかかわらず、それを知っている者でさえ、文師による結婚相手の選択を本質的に神の意志の地上における顕現であるとみなしている。自分のために結婚相手を推薦する文師の役割についてどう感じるかをメンバーが尋ねられたとき、彼らは文師は彼らのことを彼ら自身よりもよく知っており、彼らに対する神の御心を知っているので、文師は彼らの結婚相手を選ぶ上で彼ら自身よりも適任であると答えた。神の代身としてのこの文師に対する信頼が、成熟した統一教会員はどんな人でも愛することができなければならないという見解(これは内的資格の基準と関連している)が結び付けられたとき、圧倒的大多数のメンバーが文師によって「推薦」(注30)された最初の人を受け入れるのはまったく驚くに値しない。
ときには、仲介者や申請書を通して、メンバーが結婚したい人の名前を述べることもあるであろう。文師はこうした好みを承認するかもしれないが、たとえ彼がそうしなかったとしても、メンバーは一般的に彼の推薦を受け入れる。1975年にマッチングと祝福を受けたフォスター氏はある姉妹の名前を提示したが、文師は現在彼の妻になっている別の女性を推薦した。当時を振り返って、フォスターはそのときは失望したけれども、「いまは私は文師の選択は正しかったと感じている」(注31)と言った。
(注27)文鮮明「重要な人物」『マスター・スピークス』(日付も番号もなし、ベルベディア修練所)p.5(下線は著者)
(注28)デビッド・G・ブロムリーほか「完璧な家族:新宗教運動における未来のビジョン」『マリッジ・アンド・ファミリー・レビュー』(秋/冬、1981)、pp. 124-125。
(注29)リチャード・ケベドー編「ライフスタイル:統一教会信者との会話」(ニュートーク:世界基督教統一神霊協会出版局、1982年)、pp. 12-13。
(注30)メンバーたちは、文師は結婚相手を選ぶというよりも推薦するのだと主張する。メンバーは文師の推薦のどれかもしくはすべてを拒否する権利があるので、理念上はこれは本当である。しかし、実際にはこの「拒否権」を行使するメンバーは非常に少ない。
(注31)インタビュー:フォスター夫妻。これは第6章で見ることになるが、ひとたび文師によって推薦された誰かとのマッチングに同意して聖酒式に参加したならば、その婚約を避けてほかの誰かとマッチングされる道はないことを、大多数のメンバーが確信していると思われる。もしそのマッチングが双方にとってまったく相容れないものである場合には、不幸な結婚を避ける唯一の手段は、運動を離れることであると結論するかもしれない。この代替案はほとんどの者が望んでいないので、性格が合わないメンバーは、彼または彼女が将来の配偶者との間に抱えているいかなる問題をも解決しようという強い動機を持つことになるであろう。