書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』96


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第96回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第六章 統一教会信者の入信・回心・脱会」の続き

 第93回から、第六章「四‐二 清平の修練会」に関する櫻井氏の記述に関連する内容として、「霊感商法」と「天地正教」と「清平役事」の関係についての考察を開始した。今回はその4回目である。先回から「霊感商法」および「天地正教」と「清平役事」との間にある共通点についての解説を開始し、第一のポイントとして「霊障からの解放」について述べたが、今回はその続きである。

(2)先祖の救いと解放
 私はかつて「霊感商法とは何だったのか?」という自身のブログのシリーズにおいて、「蕩減」と「因縁」の違いについて分析し、「先祖の因縁」が自分の家系に関心の中心を置いているのに対して、統一原理の「蕩減」はそれを超越するものであることを指摘した。『原理講論』に述べられている「蕩減」の概念は、われわれ自身の血統的な先祖に対してはさほどの関心を払っておらず、むしろ聖書に記されたアダム、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、イエスなどの歴史的な中心人物たちの成し遂げることのできなかった使命を果たすことに重点がおかれている。これらの人物はわれわれの血統的な先祖ではないが、神の摂理という観点からみたときに、われわれに先駆けて歩んだ「信仰の祖」としてとらえられているのである。

 『原理講論』における「蕩減」の概念は、私の家庭や血統的な先祖というレベルを超越して、全世界や歴史にまでその関心が及んでいる。これはもともと統一教会の理想自体が家庭の次元にとどまるものではなく、それを超えて社会、国家、世界の為に生き、人類が一つの家族として幸福に暮らす世界を目指しているためである。すなわち私の家庭は自分の血統的な先祖の供養や家族の幸福のみを追求するのではなく、より大きな共同体に奉仕する生き方をしなければならないと教えているのである。

 しかしながら、「霊感商法」や「天地正教」の関心は、もっぱら自分の血統的な先祖の解放と、それによる霊障の除去に置かれていた。これは、自己の血統圏を越えて、より広い社会、国家、世界にまで関心を持ち、統一原理のみ言葉に直接相対することのできないレベルの人々に対するアプローチを目的としていたためであった。

 清平役事は、『原理講論』の記述と比較すると、より自己の血統的な先祖に強い関心を抱いている。このことは、清平役事の出発点が先祖解怨式であったことに理由があると思われる。これは、統一食口になった後にも、自己の血統的問題のために悩み苦しみ、より大きな国家や世界に関心を持つことができない者が実際には多数いるためであり、そのような人々は、まず自己の血統的な問題を解決して楽になった後に、より公的な世界に関心を持つことができるようになるのである。
「先祖解怨式とは、祝福家庭の先祖の霊人体を絶対善霊にする役事である。」 (『成約時代の清平役事と祝福家庭の道』成和出版社、2000年、p.87)
「真の御父母様はその勝利圏によって復帰摂理を終結させ、清平役事を通して、まず祝福家庭の先祖解怨式をしてくださった。先祖解怨式というのは、罪悪歴史の終結であると同時に、新しい世界を開く血統転換式である。解怨された直系の先祖は、霊界の興進様の百日修練会を通して自犯罪、連帯罪、血統罪を精算し、光を放つ明るくて美しい善霊へと変わります。そして地上に降りて『霊人祝福』の恵みを受けて原罪を清算し、絶対善霊になる。この先祖は祝福家庭として40日間の家庭教育を受けて、天国にとどまることのできる創造本然の姿に生まれ変わって、地上の子孫が祝福を受けながら幸福に暮らせるように協助してくれるようになるのである。 (前掲書、p.96)

 清平の恵みに関する証しの中にも、興進様、大母様、訓母様が地獄にいる先祖たちを探しに行かれる場面や、泥沼の中で苦しみ、子孫が自分を捜して救ってくれることを待ち望む先祖の姿を幻の中で見た、という話が多数存在する。また、先祖たちが近くにいるよう感じ、その先祖たちが解怨をどれほど切実な思いで待ち焦がれているかを思った、というような証しも多数存在する。

 先祖に対する関心は、日本人の宗教性の中核部分をなすものである。したがって、直接の血統的先祖の解放を強調する清平役事は、日本土着の宗教的欲求にマッチしていると言える。日本から多くの食口たちが清平に訪れるのは、このためである。

(3)病気の癒し
 「霊石愛好会」が出版した『霊石の恵み』には、霊石を授かることによって、病気の治癒という恩恵を受けたことが体験談として綴られている。「天地正教」においても、病気の治癒は祈願の内容の重要な位置を占めていた。病気の治癒という「奇跡」は、東西を問わず、民衆の宗教の中心的なテーマであった。これは高度な倫理や形而上学的な神学を特徴とするエリートの宗教とは異なる、非常に具体的で分かりやすい大衆の恵みなのである。

 清平役事もまた、病気の治癒という具体的で分かりやすい恵みを前面に押し出している。按手によって霊が分立されて病気が治るほかにも、生命水や天神水の恵みによって病気が治癒するという証しも存在する。清平で病気が治ったという証しは数限りなくあり、出版された証し集はそのような事例で溢れている。

 このように、病気の治癒という具体的で分かりやすい恵みを前面に押し出した清平役事は、日本土着の宗教性とマッチし、日本における統一原理の土着化プロセスにおいて重要な役割を果たす可能性を持っている。

 統一教会は、土着化に失敗して宣教が進まないキリスト教の諸教派の中では、最も健闘している教団の一つである。その成功のポイントは、キリスト教信仰と東洋思想の融合にあり、特に家庭倫理や家族主義の強調と共に、先祖の救いという日本人の宗教性の中核部分に神学的な意義付けをなしたことにあった。

 しかしながら、このような融合にはプラスの側面だけでなく、マイナスの側面もあった。その代表例が「霊感商法」であり、私はこの現象を、統一原理の教えと日本の土着の宗教文化が融合することによって起こったシンクレティズムであると分析した。これは、統一原理の「蕩減」の概念を「先祖の因縁」に引き寄せて解釈することにより、その本来の意味を歪めてしまうという弊害も生み出した。

 「天地正教」は、「霊界商法」が日本において社会的批判を浴びた後に、「霊石愛好会」を経て創設された、弥勒信仰に基づく仏教教団であったが、これは本質的には統一原理の仏教的解釈と展開による土着化の試みであった。それは一定の成功を収める可能性を秘めていたが、結果的には1999年に消滅してしまった。しかしながら、先祖供養や霊障からの救いに代表されるような、土着の宗教的欲求に応えるための別の装置がそれに代わって準備されたわけではなかった。

 現在、「霊感商法」や「天地正教」を通して満たそうとした日本土着の宗教的欲求を現在満たしているのは、清平役事である。清平役事は、「霊感商法」や「天地正教」のように日本土着の宗教伝統と統一原理の習合の結果として生じたものではないし、これらとの間には直接的な因果関係はないが、それらが満たそうとしている宗教的欲求は非常に近いものであることをこれまで述べてきた。清平役事は、霊障からの解放、先祖の救いと解放、病気の癒しという特徴を持ち、これらは日本土着の宗教的欲求に応える内容を持っているのである。

 統一教会において、日本文化への土着化の要求が何によって満たされてきたのかを時系列的にまとめると、以下のようになる:
・1958年から1970年代まで:シンクレティズム以前の草創期
・1980年から1987年まで:霊感商法の時代
・1988年から1998年まで:天地正教の時代
・1998年から現在まで:清平役事の時代

 清平役事は、霊感商法や天地正教と異なり、天の摂理によって出発したものであり、教会の正式な公認を受けた宗教行事である。権威という観点から見て、清平役事はそれ以前の土着化の試みよりもはるかに確固たる基盤と安定性を有している。その意味で、日本土着の宗教的欲求は、清平役事において最良の落ち着きどころを与えられたとみることができるであろう。

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