ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳08


第2章(1)

統一運動の神学は、このグループの性と結婚に対する理解に思想的枠組みを提供している。このグループにとっての神学の重要性は、いくつかの点で明らかである。(注1)第一に、メンバー候補者や新しいメンバーに対してなされる講義は、その性格において本質的に神学的であり、それは古いメンバーのための修練会やセミナーにおいても同様である。第二に、この運動は1975年にニューヨーク州ベリータウンに神学大学院を設立している。第三に、本研究において行われたすべてのインタビューは、メンバーの性と結婚の理解において神学が決定的な役割を果たしていることを示唆している。そして最後に、ユートピア主義的性格を持つ新興の社会運動においては、一般的にイデオロギーそのものが重要なファクターであると信じるに足る理由があるからである。(注2)しかしながら、神学がこの運動において高く評価されているとはいえ、それが信奉している考えは「(社会学的な)真実ではなく、理想化として認識されなければならない」(注3)ということを指摘しておくのは重要である。さらに、神学的な考えは統一教会の性と結婚に対する理解を、それらを実現する上で適切な社会的役割を伴って規定し承認する働きをするが、この洞察はメンバーが彼らの役割を本質的に神学的でない理由によって実現する可能性を排除するものではない。

本章の目的は、統一神学における性と結婚の中心的な位置を明らかにすることである。したがって、これから述べることは統一思想全体の解説であるとさえ理解されるべきではない。むしろ、私のしたことは、その主要な教義の中に性と結婚に関わる構成要素が内在していることを強調するようなやり方で、それらを分析することである。

統一神学は、性と結婚がその神、創造、堕落、そして復帰の教義の不可欠な部分であるという点において、過去および現代のキリスト教神学の中でもユニークである。したがって、統一教会の神学者はより主要な神学的モチーフから派生させた性に関する神学を形成する必要がなかった。むしろ、性と結婚は、神の被造世界に対する計画と目的に関するこの運動の基本的な理解の中に、本来的に備わっているのである。

統一運動の神学は、相互に関わり合う創造、堕落、復帰の三つの教義からなる三部構造として理解するのが最適である。以下に、人間の性および結婚の経験の意義という観点から、それぞれの教義について説明する。この解釈の基本資料は、「ブラウン・ブック」と呼ばれている『原理講論』(注4)であり、これがこの運動の主要な神学的論文であることは疑いがない。解釈学的には、私は運動のメンバーによって共有された解釈上の提案と視点に従った。この神学的記述は、文師の説教やその他の関連する一次資料を参照することによって肉付けされ補足されるであろう。これはこの運動の自身の神学に対する理解を提示しようとするものであるため、私は意図的にすべての批判的で分析的なコメントを脚注に置くことにした。

創造に関する教義

原理講論によれば、神に関する知識は、被造物に関する知識にしっかりと基づいている。それはロマ書1章20節のパウロの言葉を参照して、「作品を見てその作者の性稟を知ることができるように、この被造万物を見ることによって神の神性を知ることができるのである。」(注5)と述べている。神の性質はおもに二種類の「二性性相」として被造物の中に表れている。第一の、そしてより根本的な二性性相は形状もしくは「外形」および性相もしくは「内性」からなっており、前者は後者に似ており、後者が原因で前者が結果である。結果としての外形は対象の位置にあるのに対して、内性は原因として、主体の位置を占める。内性である心の外形が体がであるのと類比的に、宇宙は内性としての神の外形なのである。

第二の二性性相は陽性と陰性からなり、それは内性と外形と同様に、常に動的な相互依存関係をもって存在している。人間の生活においては、この二性性相は男(陽性であり主体)と女(陰性であり対象)として理解されている。男性と女性は相対的存在なので、両者はお互いにとって不可欠な存在であり、存在論的に彼らは同じ価値を持っている。さらに、易経と道徳経の精神に基づき、「男性には女性性相が、女性には男性性相が各々潜在しているのである。」(注6)

被造物における二性性相に対するこうした理解に基づき、神の性質に関して以下のような結論が提示されている:
「神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。」(注7)

神の本性相もしくは神の心は、情、知、意、および観念と法則を含むが、その最も本質的な属性は、「対象を愛し、また一つになろうとする情的な衝動」(注8)であると定義される「心情」である。一方で、神の「外形」(本形状)の本質的属性は、質料と万有原力である。

すべての被造物は神の二性性相を反映しており、神の実体対象であると見られている。人間は神のかたちとして創られ、「形象的実体対象」と呼ばれるのに対して、万物は「象徴的実体対象」と呼ばれる。(注9)したがって被造世界は神に対して形状的女性格対象として立つ。「神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その格位を表示するのである。」(注10)

(注1)運動のメンバーによる未発表の調査において、彼女自身がメンバーであるノーラ・スパージンは、彼女に回答した者たちの59.4%が、その神学に魅力を感じたので運動に加わることを決断したと報告している(ノーラ・スパージン「統一教会員の心理社会学的プロフィール」[未発表の原稿、1976年])。テキサス大学の二人の社会学者の研究は、彼らがインタビューした「かなりの割合の」メンバーは、神学的な理由で入会したと報告している。(デビッド・G・ブロムリーとアンソン・D・シュウプ, Jr. 「たった数年がい一生のようだ:宗教運動への加入の役割理論アプローチ」、ルイス・クリーズバーグ[編]『社会運動の調査』第2巻に掲載、p.171)
(注2)カンター『献身と共同体:社会学的視点から見たコミューンとユートピア』、pp.32-57.
(注3)前掲書、p.54
(注4)世界基督教統一神霊協会『原理講論』(ワシントンDC、1973年)
(注5)前掲書、p.20
(注6)前掲書、p.21
(注7)前掲書、p.25.この一節によって、統一神学が認識論的に類比法(via analogia)を採っているが明らかになる。それは構造においてトマス主義に似ているが、被造物の側面(例えば、内的と外的、男性と女性)を中心としており、道教の哲学においてより典型的にみられるものである。
(注8)世界基督教統一神霊協会『統一原理解説:レベル4』(ニューヨーク:1980年)、p.13。この本は『原理講論』のアップデート版であり、教育を目的としたより効果的な道具として企画されているように見える。
(注9)前掲書、p.13
(注10)『原理講論』p.25

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