ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳03


第1章(1)

世界基督教統一神霊協会(以下、統一運動と呼ぶ)は、1954年に韓国で公式に設立され、初めに日本に、次に米国に伝わり、今日では120カ国に300万人の信徒を有すると主張している。第二次世界大戦後の韓国に現れた多くの新宗教(注1)の一つとであり、この団体の信仰と生活は、その創設者である文鮮明師の教えとカリスマ的人格に基いている。

文師は1920年に韓国の北西部に位置する地域である平安北道で生まれた。彼が10歳で長老派のクリスチャンになったとき、彼の家族は土着の民俗宗教を棄てた。彼の初期の弟子の報告によると、1936年の復活節の日に(訳注:これは西洋の初期の文献に多く見られる誤りであり、実際には1935年4月17日である)、イエス・キリストが幻で現れ、彼が再臨主となって神の国を地上に復帰すべく神に選ばれたことを説明したが、若かった彼はその役割をすぐには受け入れなかったという。その後、電気工学を学びながらの霊的葛藤の年月を経たのちに、彼は1946年に北朝鮮の平壌で公的な牧会活動を開始する。彼はここで政府およびキリスト教会との葛藤を経験し、収容所における重労働を数年間にわたって課せられた。解放後、彼は南に移動し、たった4名の弟子たちとともに、1954年5月にソウルで正式に運動を設立した。

そのとき以来、統一運動は世界的に大きく成長したばかりでなく、その組織的な中心を韓国ソウルから米国に移動させ、1971年以来、文とその妻子たちはそこに永住している。米国における統一運動の宣教は1959年に始まり、その後の10年間は数名のメンバーの固い決意によってのみなんとか生き延びることができた。(注2)1970年代にアメリカの若者たちが社会運動やドラッグ文化に全般的に幻滅するようになるまで、統一運動(およびその他いくつかの「逸脱した」宗教団体)がその年齢層のメンバーからメッセージに対する大きな反応を経験することはなかった。同時に、文師がアメリカにいることによって、前任者よりも有効な組織およびリーダーシップの刷新がもたらされた。今日、統一運動は約10000名の常在のフルタイム・メンバーを有し、アメリカの土壌に深く根付いているように見える。(注3)

運動の視点からすれば、その神学は、文師のメシヤ的役割に次いで非常に重要なものである。メンバーたちは、それが本来のまたは真のキリスト教であると信じていると表現しているが、統一神学は道教、儒教、および仏教の影響を受けた兆候をも示している。それは信条主義的な宗教ではないが、ほとんどの統一運動の信者は、神の文師に対する啓示の記録である『原理講論』の教えに同意している。第2章は性と結婚に関係しているという点において、統一神学の中心をなすものであろう。しかしながら、読者に信仰の全体像を提供するために、私は以下に「統一神学肯定宣言」を引用した。それは1976年にこの運動の神学校で38名の学生たちによって宣言されたものである。

1.神。唯一の、生ける、永遠なる、真の神が存在する。それは時空を超えた人格であり、完全なる知、情、意を持ち、その最も深い性質は心情と愛であり、男性性と女性性を兼ね備え、すべての真、美、善の根源であり、人類と宇宙と有形・無形の万物の創造者であり維持者である。人間と宇宙は神の人格と性質と目的を反映している。

2.人間。人間は神によって特別な被造物として、神のかたちに、神の子供として、神の人格と性質に似せて創られた。そして神の愛に反応し、神の喜びの源泉となり、神の創造性を賦与された存在として創造された。

3.人間と被造物に対する神の願い。神の人間と被造物に対する願いは永遠にして不変である。神は男性と女性に以下の三つのことを成就して欲しいと願っている:第一に、各自が心情と意志と行動において神と一つとなるべく成長して完成することであり、神の愛を中心として彼らの心と体が完全に調和して一つになることである。第二に、神によって夫と妻として一つとなり、罪なき神の子女を生み、それによって罪なき家庭を成し、最終的には罪なき世界を築くことである。第三に、被造世界を相対的な授受作用の愛によって主管することにより、その主人となることである。しかしながら、人間の罪により、このどれも起こらなかった。したがって、神の現在の願いは罪の問題が解決され、これらのすべてが復帰され、それによって地上と天上の神の国がもたらされることである。

4.罪。最初の男性と女性(アダムとエバ)は、彼らが完成する前に、天使長ルーシェルに誘惑され、不倫なる禁じられた愛に陥った。これによりアダムとエバは彼らに対する神の意思と目的から故意に背を向け、彼ら自身と人類を霊的な死に至らしめた。この堕落の結果として、サタンが人類の真の父の位置を奪い、それ以降、全人類は肉的にも霊的にも罪の中に生まれ、罪深い傾向を持つようになった。したがって人間は神とそのみ旨に反対する傾向を持つようになり、彼らの本性と本来の親子関係、そして失われたすべてのもに対する無知の状態で生きるようになった。神もまた、失われた自身の子女と世界に対して嘆き悲しみ、それらをご自身のもとに取り戻すために、絶え間なく闘わなければならなかった。被造物は真の神の子を通して一つとなるときを待ち望み、うめき苦しんでいる。

5.キリスト論。堕落した人類はキリスト(メシヤ)を通してのみ神のもとに復帰される。メシヤは(罪深い父母の代わりとして)人類の新しいかしらとなるべき新しいアダムとして来られ、彼を通して人類は神の家族として生まれ変わることができる。神がメシヤを送るためには、人類は堕落によって失われたものを復帰するための何らかの条件を満たさなければならない。

6.歴史。復帰は罪に対する蕩減を支払う(償いをする)ことによってなされる。人類歴史は、これらの償いをして、神がメシヤを送ることができるための条件を満たすための、神と人類の度重なる努力の記録である。メシヤは、完全な復帰のプロセスを開始するために来る。ある償いの条件を満たすための努力が失敗したときには、それは通常ある一定の期間を経たのちに、誰か別の人物を通して繰り返されなければならない。それゆえ歴史は円環パターンを示すようになる。歴史はメシヤの降臨によって頂点に達し、そのとき古い時代が終わって新しい時代が始まる。

7.復活。復活のプロセスは霊的生命と霊的成熟への復帰のプロセスであり、究極的には人間と神の一体化である。それは霊的な死から霊的な生命へと移っていくことである。これは一部は霊界の聖人の協助を受けた人間の努力(祈祷や善行などを通して)により成就され、キリスト(メシヤ)によって人間を新生させる神の業によって完成される。

8.予定。万民を神のもとに復帰するという神の御旨は絶対的なものとして予定され、神はすべての人々を救いに定めておられる。しかし神はまた、本来の御旨成就に対しても、復帰の御旨成就に対しても、人間に(人間の自由意思によって成し遂げられるべき)責任分担を与えられた。その責任は永遠に人間のものとして残る。神は特定の人物や人々の集団を、特定の責任のために予定され、召命してこられた。もし彼らが失敗すれば、他の者が彼らの役割を担ってより大きな責任を果たさなければならない。

9.イエス。ナザレのイエスはキリスト、第二のアダム、神の独り子として来られた。彼は神と一体となり、神のみ言を語り、神の業を行い、人々に対して神を啓示した。しかし、人々は彼を拒絶して十字架につけ、それによって彼が地上に神の国を築くのを妨害した。しかし、イエスは十字架と復活によってサタンに勝利し、それにより、彼と聖霊によって新生する者たちには霊的救いがもたらされるようになった。地上に神の国を復帰することは、キリストの再臨を待つこととなった。

(注1)これらの習合的信仰に関する文献としては、スペンサー・J・パーマー(編)「韓国の新宗教」(韓国ソウル、ロイヤル・アジアティック・ソサイエティ、1967)を参照のこと。
(注2)アメリカにおける統一運動草創期の文献としては、ジョン・ロフランド『終末論を説くカルト:回心と改宗と信仰維持の研究』(イングルウッド・クリフス、ニュージャージー:プレンティス・ホール、1966)を参照のこと。
(注3)加えて、統一運動は20000名のパートタイム・メンバーがいると主張している。彼らは統一運動の信仰を持っており、さまざまな方法でグループを支援しているが、運動のセンターには住んでいない。

カテゴリー: ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」 パーマリンク