日本仏教史と再臨摂理への準備シリーズ09


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 浄土系の流れをくむ鎌倉新仏教の一つが、一遍(1239~1289)を開祖とする時宗です。この人は鎌倉時代の人で、伊予松山で武家に生まれたんですが、14歳で浄土宗の僧になりました。彼は35歳から遊行僧として、一所不在の流浪の生活を送りました。彼は念仏を唱えながら布教をしたわけですが、「踊り念仏」を広めました。彼の教えはもっとシンプルになります。親鸞は信仰を強調し、信ずれば救われると言ったわけですが、一遍の場合には、信仰があるなしにかかわらず、「南無阿弥陀仏」と名号をとなえれば救われるんだと説いたわけです。このように、かなり極端にシンプルになっていきます。これが浄土系の流れなんですが、鎌倉新仏教にはもう一つの流れがあります。それが禅系の流れです。

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 禅系の鎌倉新仏教の一つが、栄西(1141~1215)を開祖とする臨済宗です。栄西自身もまた比叡山で天台教学を学んだのでありますが、27歳のときに宋に渡ります。その当時、中国では禅が非常に興隆していました。彼はこの禅こそが国を救うんではないかと考えて、47歳で再び宋にわたり、臨済宗の修行を5年間続けて、それを日本に持って帰って、九州で布教活動を開始しました。すると例によって比叡山から弾圧を受けるわけです。彼は『興禅護国論』を著して、禅を広めることが国を救うんだということを主張するんですね。当時、京都と対立関係にあったのが、新しくできた鎌倉幕府でありました。そこで栄西は、鎌倉幕府の庇護を得て日本臨済宗を開宗していくことになります。

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 さて、禅には臨済宗と曹洞宗があるんですが、臨済宗の特徴というのは「看話禅(かんなぜん)」と言って、「公案」を使って修行をすることにあります。「公案」というのは師匠が弟子に出すなぞなぞのようなもので、例えば「両手を合わせるとパチンと音が出る。それでは片手ではどんな音が出るか?」といった問いかけをするわけです。それに対する正式な答えというものはありません。それを弟子が一生懸命に考えて、こういうことを悟りましたと師匠に報告するわけです。それが満足のいく答えであれば、合格ということで次の公案を与えるという感じです。有名な一休さんがやっているようなやり取りをしながら修行するのが臨済宗の修行法です。

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 もう一つの禅宗が、道元(1200~1253)によって開かれた曹洞宗です。この人も比叡山で天台教学を学びます。彼は24歳で宋に渡り、天童山の如浄(にょじょう)のもとで座禅をし、「身心脱落」の境地を体験します。これを言葉で表現するのは難しいのでありますが、いわゆる執着を完全に捨て去った悟りの境地に至ったのだと思います。それを体験した彼は、これこそ仏教の本質だと確信し、帰国して禅の道場を開きます。例によってまた比叡山の弾圧を受けて、越前の国に永平寺を開くことになります。

 「只管打坐(しかんたざ)」という言葉があります。修行とはただひたすら座禅に打ち込むことだという意味です。ですから鎌倉新仏教の開祖たちは、どうしたら救われるかという問いに対して、「念仏だ!」「唱題だ!」「座禅だ!」と、それぞれシンプルな一点を追い求めていくようになったわけであります。道元の場合には末法思想も否定して、ただひたすら座っておれば救われるんだと説いたわけです。

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 曹洞宗の禅は「黙照禅(もくしょうぜん)」と言って、ただひたすら座り続けることを強調しました。ずーっと瞑想していると、「魔境」に入ることがあります。いろんな声が聞こえてきたり、悪魔が現れてみたり、「お前は悟った」という声が聞こえてきたりするわけですが、そういうのは全部ダメで、それを乗り越えたところに「即身是仏」という悟りの境地があるんだと教えています。これが曹洞宗の禅の特徴です。

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 鎌倉仏教の最後に現れたのが日蓮(1222~1282)です。彼は安房国(千葉県)で漁師の子として生まれて、天台宗清澄寺(せいちょうじ)に出家したのでありますが、「法華経こそ真実の教え」という確信に至り、32歳で日蓮宗を開きました。日蓮というのは日本の仏教史においては大変カリスマ的で預言者的な人でありまして、最も迫害にあった人です。仏教では迫害のことを「法難(ほうなん)」と言います。彼は権威筋から迫害されることにより、何回も死にそうになります。しかし、彼は多くの法難に遭えば遭うほど、この道こそ正しい道であると確信していくという人で、日蓮のストーリはまるで信仰者の鑑のようです。彼は、自分こそ末法の世に現れる法華経の行者、上行菩薩の生まれ変わりだと確信するようになり、迫害されればされるほど自分の正しさを確信するようになります。彼は自分の受けている法難も、法華経の中で予言されていると解釈しました。

 彼は『立正安国論』を著しますが、その内容は法華経を信じることによって初めて国が正しく立つんだということです。彼は非常に強烈な信仰者であったわけですが、同時に非常に排他的な人でもありました。法華経のみが人々を救うとして、念仏、禅、密教などの他の教えを激しく攻撃したわけであります。

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 この写真で示されているのが「文字曼荼羅」と呼ばれるもので、真ん中に「南無妙法蓮華経」と書いてあります。これが基本的には日蓮宗のご本尊となります。日蓮宗の教えの特徴とは何かというと、浄土宗と比較することによってはっきりしてきます。浄土宗では阿弥陀如来の恩恵によって救われると教えるわけですが、それは来世で救われる、死んだら救われるということです。ですから、浄土宗の教えでは亡くなる瞬間に阿弥陀如来がやってきて自分の魂を救ってくれるという、極めて来世主義的な傾向が強いのに対して、日蓮は「南無妙法蓮華経」をとなえることで、現世で救済される道を説いたわけです。

 そして日蓮宗では、個人だけでなく、国家や世界も法華経で救われるとします。日蓮が1260年に著した『立正安国論』は、法華経のみが国を護ると主張し、鎌倉幕府に対して「日蓮宗に改宗せよ!」と迫ったんでありますが、これは幕府から黙殺されました。日蓮が預言者的な人物であると言ったのは、当時、さまざまな天変地異や蒙古襲来などの国難が起こりましたが、「その理由は人々が邪宗を信仰しているからだ、自分の日蓮宗を信ずれば国は安泰だ!」と言った姿が、旧約聖書に出てくる預言者にそっくりだからです。内村鑑三も、この日蓮を代表的な日本人の一人に挙げています。

 この日蓮系の教えの中から、日本の巨大な新宗教が出発しています。霊友会、立正佼成会、創価学会などがそうです。ですから、多くの新宗教を出したのもこの日蓮系の教えの特徴だと言えます。これらの新宗教は基本的には戦後の高度経済成長期に大きく教勢を伸ばした教団ですが、努力すれば自分の生活も世の中もどんどん変わって発展していくという当時の風潮が、現世における救済を説いた日蓮の教えと相性が良かったということは言えるかもしれません。

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