日本仏教史と再臨摂理への準備シリーズ05


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 それからもうひとつ出現した仏教の伝統で日本に大きな影響を与えたものが、「禅」であります。日本で禅宗といえば曹洞宗と臨済宗です。これは、中国で発展した禅の伝統を日本に持ち帰ってきたことにより始まりました。「禅」は何かというと、「ヨーガ」と同じ意味でありまして、ヨーガの境地を表す「禅那」(ディヤーナ)から一字をとったものです。これはもともとお釈迦様の教えの中に「禅定」すなわち瞑想修行があったわけですが、それを特に強調する宗派が生まれたということです。

 中国禅の開祖とされる菩提達磨、これは私たちの良く知っている「達磨様」です。この人はもともとインド人なんですが、中国に渡っていきます。彼は520年頃に、南インドから北魏に到着して、有名な嵩山少林寺に入り、禅を教え始めました。少林寺は、少林武術の中心地として有名ですね。そこに慧可(けいか)という中国人の弟子が入って、中国禅の法統が始まったと言われています。こうして中国で禅の伝統が受け継がれていきます。そこに日本から留学して、そこで禅を学んで持ち帰った人が、栄西や道元のような日本の禅宗の開祖になるわけです。

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 インドで仏教が発生してから日本に伝わってくるまでには、相当の時間と紆余曲折を経ながら伝わってきました。インドで仏教が発生したのが紀元前5世紀から4世紀ごろと言われています。それがやがて、シルクロードを通ってゆっくりゆっくりと伝わってきて、日本に仏教が公式に伝わったのが538年、すなわち6世紀ですから、なんと1000年かかっているわけです。ということは、お釈迦様が法を説いてから1000年かかって日本に到達しているわけですから、その間にかなり変化していったわけです。

 そして経典も、インドの言葉はサンスクリット語とかパーリ語であったわけですが、中国を通過してくるわけですから、それが漢字に訳されるわけです。他の言語に訳されますと、どうしてもオリジナルから遠くなります。インドと中国の間にも文化的違いがあり、中国と日本の間にも文化的違いがありますから、日本に伝わってきた仏教というのは、お釈迦様の説いたオリジナルと比べれば、かなり変質したものが伝わってきたのだということになります。この地図に示された仏教の流れのことを「北伝仏教」と言います。「北伝仏教」は基本的に大乗仏教の流れになります。
 
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 もう一つの伝わり方をしたのを「南伝仏教」と言います。タイとかミャンマーとか、むかしセイロンと呼ばれていたいまのスリランカ、さらにインドネシアに伝わっていったのは、上座部仏教の方でした。ですから、いまでもスリランカやタイのお坊さんは極めて厳しい修行をしているわけです。日本にやってきた仏教は、最初から大衆化された大乗仏教という形で伝わってきたということになります。

 そして、日本に伝わる途中で、中国を通過するわけです。中国を通過したときに何が起こったかというと、仏教が儒教の影響を受けました。ですから、この二つの伝統が混ざって日本に伝わってきたことになります。中国にはもともと「先祖祭祀」の伝統があり、そこから孔子の説く儒教における「孝」の思想が確立していきました。親孝行の「孝」ですね。「孝」とは何をするかといえば、①先祖を祀ること、②親に仕えること、③子孫を残すこと――の三つになります。この三つが儒教においては強調されたわけです。その帰結として、儒教では「葬式」が非常に大切にされましたし、「お墓」が重要視されていました。ところが、インドの仏教の場合にはもともと輪廻転生ですから、家庭というものは煩悩・愛欲の場ということで、あまり重要視されないわけです。ですから、もともとこうしたものを重視しないインドの仏教が古代中国に入ってきても、家庭を重要視する中国においてはあまりにも個人主義的な宗教だということで、なかなか広まらなかったのです。そこで、中国において仏教が受容されていく過程で、いわば仏教が中国化されていくという現象が起こります。

 それが何かというと、目犍連と「盂蘭盆」という話です。目犍連という人は、もともと実在した釈迦の内弟子の一人で、弟子の中で神通力が一番強かったと言われる人です。この人をテーマとして、中国であるお経が作られました。後に中国で作られたので、これは本物ではなくて「偽経(ぎきょう)」ということになるんですが、「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」といいます。これは中国で「孝」の倫理を中心にして成立した偽経で、その中に「盂蘭盆」の逸話があります。それは次のようなストーリーです。

 目犍連がある日、亡き母を神通力によって見たところ、生前に子を思うあまりに犯した罪(食べ物を盗んだ罪)によって、逆さ吊りという餓鬼道の責め苦に遭っているのが見えたと言うんです。この逆さ吊りのことを「ウラバンナ」と言ったわけです。ここから盂蘭盆(うらぼん)という言葉が出てきて、それがいまの「お盆」になっていくわけです。ですから、「お盆」というのはもともとは「逆さ吊り」という意味なんです。

 さて、あの世で苦しんでいる母の姿を見て目犍連は悲しんで、ということでお釈迦様に相談したわけです。「母をどうしたらよいでしょうか。私の母が餓鬼道の責め苦に遭っているので、何とか救ってください」と頼んだわけですね。

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 するとお釈迦様は、「多くの修行僧に食事を施して供養しなさい」と指導し、目犍連がその供養を行ったところ、たちまちのうちに母親は餓鬼道を脱して極楽に往生し、歓喜の舞を踊りながら昇天した、という話なんですね。本来の仏教においてはこういうことはあり得ないんですけど、中国に伝わって、親孝行が大切なんだという価値が入り込んできたもんですから、お経の中にこういう教えが入ってきたわけです。

 民間伝承の世界では、現在行われている盆踊りは、この目犍連の母親が天へ昇る姿を象形したものであるとされています。このように、仏教にはもともと先祖供養という発想はなかったんですが、中国に伝わった際に先祖供養を受け入れ、中国の宗教的伝統と慣習を受容した形の仏教が日本に伝来してきました。ですから、いわば中国化された仏教を日本は受け取っているということになるだろうと思います。

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