書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』47


櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第47回目である。

「第Ⅰ部 統一教会の宣教戦略 第5章 日本と韓国における統一教会報道」の続き

この章は日本の朝日新聞と韓国の朝鮮日報における統一教会関連の記事を検索することを通して、統一教会が両国のマスメディアによってどのように報道されてきたかを分析することを目的としている。先回は、1980年代後半に朝日新聞で頻繁に取り上げられるようになった「霊感商法」問題の背後に、「スパイ防止法」を巡る政治的攻防があったことを解説した。すなわち、「霊感商法」は単なる社会問題ではなく、スパイ防止法制定運動の支援組織である国際勝共連合と統一教会の壊滅を目指して、同法案に反対する勢力がその資金源とみなした「霊感商法」を叩いたという、政治的構造があったということである。今回は、この政治的攻防の背景をさらに掘り下げて論じることにする。

もともと、日本共産党と勝共連合は不倶戴天の敵であった。韓国と日本に国際勝共連合が創設されたのは1968年のことであるが、日本の勝共連合は早くも1970年に武道館で「世界反共連盟(WACL)大会を開催するなど、目覚ましい活動を展開するようになる。その後も街頭で「勝共理論」の講義を継続的に行うなど、勝共連合は共産主義との「思想戦」を展開していく。そして1972年には共産党の宮本顕治委員長(当時)に対して「公開質問状」を送付し、あるテレビ局で「日本共産党」対「国際勝共連合」の公開理論戦を提案した。しかしこの公開理論戦は、共産党が拒否することによって実現しなかった。勝共連合は「右翼団体」とは異なり、共産主義理論を理路整然と批判し、代案まで示すので、理論戦の相手としては手強いと目されたということであろう。

WACL大会

WACL大会

街頭講義

街頭講義

公開討論

公開討論

1978年には、京都で28年間革新府政を続けた蜷川虎三府知事が引退し、その後任を決める京都府知事選挙で、国際勝共連合が蜷川府政を徹底的に批判し、後継の杉村敏正候補を落選させる運動を行った結果として、自民推薦の林田悠紀夫氏が当選し、革新府政が終了するという「事件」が起きた。これを受けて日本共産党中央委員会は、「勝共連合退治の先頭に立つことは、後世の歴史に記録される聖なる闘いである」(「赤旗」1978年6月8日)というコメントを残している。

レフチェンコ

レフチェンコ

一方で、社会党と勝共連合の対立関係を決定的にしたのが、「レフチェンコ事件」である。スタニスラフ・レフチェンコは元KGB少佐で、対日スパイ工作を行っていた。彼は1979年に米国に亡命し、米国の下院情報特別委員会で自らのスパイ活動に関して証言している。彼はこの証言の中で、「日本人の大半がソ連の対日諜報謀略工作の実態や目的について驚くほど無頓着。KGBによる対日工作は執拗かつ周到に行われている。日本には防諜法も国家機密保護法もないため、政府が外国諜報機関の活動に効果的に対処できず、日本人協力者に対して打つ手も限られている」と述べただけでなく、ソ連のスパイとして活動した日本人26名の実名とコードネームを公表したのである。その中には、日本社会党の勝間田清一(元委員長)、伊藤茂(政策審議会長)、佐藤保(社会党左派リーダー)など、日本社会党の大物代議士も含まれていたため、こうした議員たちの政治生命を脅かす内容があった。勝共連合はこのレフチェンコ証言を大きく取り上げて、スパイ防止法の制定を訴えた。

これに対し、1983年5月、社会党の機関誌である「社会新報」に、「レフチェンコ事件は国際勝共連合とCIAが仕組んだ謀略である」と主張する記事が掲載された。これが全くの事実無根であったため、勝共連合は社会党と党機関紙編集長を訴える裁判を起こした。このとき、社会党の代理人を務めた人物が、山口広弁護士であり、彼は後に「被害弁連」を立ち上げるときの中心人物となっている。

この裁判は、1990年11月7日に東京地裁が下した一審判決では勝共連合が勝訴しており、社会新報への謝罪広告掲載と100万円の支払いを命ずる判決が下された。最終的には1994年4月26日、東京高等裁判所で、社会党が国際勝共連合に解決金200万円を支払うことで和解が成立している。勝共連合側の「勝利的和解」に終わったわけだが、こうした闘争の延長として、「霊感商法」反対キャンペーンが「左翼系弁護士」によって行われるようになったのである。「被害弁連」は、中心人物である山口広弁護士が社会党の代理人であったことを筆頭に、呼びかけ人34名中19名が青年法律家協会(日本共産党系)あるいは、社会文化法律センター(旧社会党系)の弁護士であり、「左翼弁護士」を中心とする集まりであった。

要するに、「レフチェンコ事件」により危機感を募らせた左翼勢力が、「スパイ防止法制定運動」の支援組織である国際勝共連合と統一教会の壊滅を目指して「霊感商法」反対キャンペーンを展開したのであり、それは山口広という中心的な弁護士によってつながっているのである。これは政治的動機に基いたキャンペーンであったため、「霊感商法」の被害者は無理にでも作り出す必要があった。彼らはマスコミを通して不安を煽り、被害者を「発掘」し、ときには感謝していた顧客の不安を煽りたてて被害者を「作り出す」ことまでした。「スパイ防止法」に反対する朝日新聞が、こうした「被害弁連」の活動を積極的に取りあげて報道したのは当然である。

マスコミによる統一教会批判で、朝日新聞のほかに特筆すべきものは、ジャーナリストの有田芳生氏による反統一教会キャンペーンである。実は、彼も出自は共産党である。まず彼の父親(有田光雄氏)が共産党京都府委員会副委員長を務めた経歴があり、参院選にも比例で出馬している。いわゆる共産党の「二世」だった有田芳生氏だが、彼自身も学生時代、共産党の学生組織・民主青年同盟(民青)に所属し、その後共産党に入党している。彼は「統一教会に詳しいジャーナリスト」として名を売り、1993年3月の山崎浩子さん失踪事件の際には、その脱会計画を決行以前から知っており、失踪中の隔離先、経緯などもすべて把握していた。彼が「統一教会に詳しい」のは、反対運動を行っている牧師、活動家、弁護士たちと手を組み、そこから情報を得ているからである。その有田氏が2010年から参議院議員になっていることは、ご存知の通りである。
「被害弁連」の弁護士たちが次に着手したのは、統一教会に反対する父母たちやキリスト教牧師との連携である。いまや反対父母、反対牧師、左翼弁護士は、統一教会を窮地に追い込み、壊滅させるという共通の目的を中心として、一つとなって働いている。そしてそれはときとして統一教会信者に対する違法な拉致監禁を伴う活動になっている。弁護士が直接的に拉致や監禁に手を貸すわけではないが、そうした違法行為が行われていることを承知の上で、反対運動の一翼を担っているのである。それは以下のようなプロセスを経て実行される。

統一教会信者の親は、反対牧師に報酬を払って指導を仰ぐ。反対牧師は親に具体的な拉致監禁のやり方を指導し、親が子供を監禁したら、監禁現場を訪問するなどして信仰を棄てるよう説得を行う。この説得を受け入れて信仰を棄てれば、親の目的は達成されるが、それで終わりではない。元信者は反対牧師の活動に協力させられ、さらには左翼弁護士を紹介されて、統一教会を相手取った損害賠償請求訴訟を起こすように説得されるのである。こうして起こされた訴訟の代理人を左翼弁護士が務めることにより、彼らは弁護士として報酬を得ることができると同時に、統一教会の社会的評価にダメージを与えることができる。さらに、こうした訴訟の情報はマスコミを通して社会に宣伝され、親の不安を煽るために利用される。その代表格が有田芳生氏や朝日新聞であるというわけだ。いまや統一教会反対運動は、両親、牧師、弁護士、マスコミなどがそれぞれの立場と職能を生かして統一教会を窮地に追い込もうとする、プロ集団の複合体なのである。この反対運動の全体的構造を見ないで、新聞報道だけを見ていてもその意味は分からない。

したがって、「被害弁連」と朝日新聞を独立した存在としてとらえ、正義の味方である弁護士集団が悪の勢力である統一教会に対する反対運動を展開し、それを社会の公器である新聞が客観的に報道するという図式は、その背後にある政治的構造を無視した、極めて表層的なとらえ方であるということが分かるであろう。櫻井氏はそれを知らないはずはないが、敢えて「政治問題」としてとらえることを避け、「社会問題」として位置付けることにより、統一教会が反社会的団体であるが故にマスコミから叩かれたという図式を頑なに守ろうとしているのである。

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