実況:キリスト教講座30


統一原理の神観について(4)

 私たちが初期のキリスト教神学の発展というものを考えるとき、イエス様が生きていた当時と、十字架で亡くなられた直後の状況というものをよく理解しておく必要があります。当時ローマ帝国の属国のような立場にあったユダヤの国にイエス様が誕生されて、教えを宣べ伝えてキリスト教というものが始まったわけですが、イエス様がどのくらいこの地上で生きて宣教活動をされたかというと、わずか三年ということになります。三年間宣教活動をして、十字架にかかって亡くなってしまって、イエス様が地上にない状態でキリスト教というものが出発いたします。

 本来は、神様の摂理からすると、イエス様が十字架にかからなければ、イエス様はローマに出かけて行って、一つひとつの街を巡回して、そこで直接み言葉を語り、ローマ皇帝にも出会って、ローマをイエス様の教えによってまとめて行かなければならなかったわけです。しかし、ユダヤ人がイエス様を受け入れなかったために、イエス様は直接ローマに行くことができず、残されたみ言葉だけが独り歩きするようにして、弟子たちの口を通してローマ世界に広がっていかざるを得ない、それがキリスト教というものが出発した時に宿命的に抱えていた一つの限界だったわけです。

 今日、お父様はずーっと長く生きられて、韓国だけではなく、日本にも来られ、アメリカでも長らく活動されて、食口たちを直接指導してくださったので、天の伝統というものを韓国以外の国にも伝えやすい状況にあったわけです。ところが、2000年前の状況というのは、イエス様は三年で死んでしまうわけです。イエス様ご本人が生きていない状態で、残された言葉を「聖書」として編纂して、その編纂の過程でも、イエス様が本当に言ったのかどうか分からないような内容がいっぱい入ってくる中で、残された言葉だけを弟子たちが解釈しながらキリスト教を広めて行かなければならない、そういう状況だったわけです。

 そんな中で広められて行くときに、広めれば広めるほど、そこは違う文化圏であり、違う言語を使っているわけですから、教えの本質が薄まっていったり、ときには歪んでいかざるを得ないわけです。たとえば、イエス様は何語を話されたか分かりますか? ヘブル語もしくはアラム語という、当時のユダヤで使われていた言葉で話しました。ところがこの辺(ローマ帝国東部)の言語はギリシア語です。この辺(ローマ帝国西部)の言語はラテン語です。ということは、イエス様の教えというのは必然的に、イエス様自身が使っていた言葉とは違う言語に翻訳されて伝えられなければならなかったということになります。それもイエス様ご自身が指導するのではなくて、書物が訳される形で伝えられていかなければならなかったということです。

 私も翻訳をよくやるのでありますが、一つの言語から他の言語に翻訳した瞬間に、多くの意味が実際に失われます。すなわち、ある言葉が指し示している内容が他の言葉に訳されて、その意味が100%伝わるということはあり得ないわけです。特にその言語の体系が違っていればいるほど、その言葉がもともと持っていた意味は失われていきます。お父様が韓国語を学びなさいと言っている理由は、実はその辺にあるわけです。韓国語でなければ理解できない世界があるのです。それが日本語に訳されると、だいたい80%から70%に内容が減ります。英語に訳されるとおそらく50%ぐらいに減るだろうと思います。

 ですから、言語の違いから、イエス様の言葉がギリシア語に訳され、さらにラテン語に訳されていくと、本来イエス様が言いたかったことが歪んで伝えられるようになります。文化の壁を越えて宗教が伝えられて行くということは、必然的にそういう宿命を持っているわけです。もともとユダヤの伝統の上にあったキリスト教というものが、ヘレニズム文化圏に伝えられて行くに従って、どんどん教えが歪められて本質からずれていかざるを得なかったわけです。

 さらに、キリスト教がヘレニズム化されていった理由を理解するためには、イエス様がなくなった後に初期のキリスト教が辿った道として、「原始キリスト教の二つの流れ」というものを抑えておく必要があります。

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 イエス様が活動されたのはエルサレムでありますから、エルサレムにイエス様を慕って集まった信徒の群れがあり、イエス様が亡くなった後もその群れが形成していった「エルサレム教会」というものが、なんといってもキリスト教の母体であったわけです。このエルサレム教会というのはイエス様の弟子の集団であり、ペテロが中心でした。そしてペテロが殉教した後は、ヤコブへと相続されて行った集団であります。この人たちは基本的にユダヤ人だったわけです。ということは、キリスト教徒に改宗したとしても、民族的にはユダヤ人ですから、ユダヤ的伝統をそのまま保持していこうとしたわけですね。ですからクリスチャンでありながら律法を守る、そしてユダヤ教の神殿を礼拝するというユダヤ人としての伝統を持ち続けながらクリスチャンであったということになります。

 この群れとは別に、エルサレム教会からいわゆる異邦人の群れに対する宣教というのが始まりました。これは最初は「ディアスポラ教会」と呼ばれたんですね。この「ディアスポラ」とは何かというと、ユダヤ人はエルサレムを中心とする当時のユダヤの国だけにいたのではなくて、ローマ帝国の中にかなり分散して住んでいたわけです。こういう「離散の民」のことを「ディアスポラ」といったわけですが、まずはローマ帝国内のユダヤ人に対して「メシヤが来ましたよ」ということが宣べ伝えられて、ユダヤの国の外にいるローマ帝国内のユダヤ人たちが改宗していったわけです。

 それと同時に、もともと血統的にユダヤ人でない人、すなわち異邦人たちもキリスト教に改宗しはじめることになります。この人たちはもともとエルサレムに住んでいませんから、ユダヤの伝統とは違った文化圏で生きているわけであります。この人たちに対する宣教は最初の頃はステパノという人が担当していたわけですが、このステパノが殉教した後はパウロという人が召命されて、このパウロが異邦人に対する宣教で大きく業績を挙げて行くことになります。そうしますと、彼らはユダヤとは全く違った文化圏の中に生きておりますので、やがてユダヤの律法を否定するようになります。そしてユダヤ人という民族的に枠にとらわれない、もっと世界に通じる普遍主義的な性格をもった宗教へとキリスト教が変わっていくことになります。

 一方、こちらのエルサレム教会の群れはやはりユダヤの伝統を守ろうとするわけです。しかしディアスポラ教会では、ユダヤの伝統なんていうものはもう古いんだと、キリストによってそれは乗り越えられて、世界に出て行くんだということで、ユダヤの律法を軽視または否定するようになり、この二つの群れの間に軋轢があったということが聖書の中に書いてあります。

 やがてこのエルサレム教会がどうなるかというと、AD66年に「ユダヤ戦争」といって、ユダヤ民族がローマに対して反旗を翻す戦争を起こすと、ローマ帝国がこれを武力で制圧することによって、AD70年にエルサレムが陥落して、ユダヤの国が滅びてしまいます。このことによって、エルサレム教会は壊滅状態、いわば消滅した状況になるわけです。そうすると、今日まで残っているキリスト教の群れとは何であるかというと、このディアスポラ教会、ローマ帝国の中にユダヤ教の伝統とは関係のない形で宣教されて広がっていったこの群れが、キリスト教の主流となっていくということなんです。

 これを分かりやすく統一教会に当てはめるとどうなるかというと、このエルサレム教会は韓国統一教会になります。韓民族の伝統のもとにお父様が生まれ、韓国語をしゃべって韓国人の感性で教会を運営していたとします。これがオリジナルの教会の伝統です。ところが中国の侵略によって韓国が滅びてしまい、同時に韓国統一教会もなくなってしまったらどうでしょうか? でもその前に海外に宣教師を送っていたので、アメリカに西洋人たちを中心とする統一教会が存在していたとします。アメリカは中国によって滅ぼされなかったので、生き残ったアメリカの統一教会が主流になったとすれば、これは本当にメシヤの伝統を相続した統一教会といえるのかと言えば、それは疑問ですよね。韓国の伝統や韓国的なルーツから切り離されて発展した西洋的な統一教会が、本当の統一教会といえるのかということです。これと同じように、ユダヤ教的なルーツから切り離されてヘレニズム化されたキリスト教が、本当のイエス様の伝道を相続したキリスト教といえるかどうかは疑問があるわけです。でもとにかく、イエス様は死んでしまったし、ユダヤの国は滅びてしまったので、こちらのヘレニズム化されたキリスト教の方が主流にならざるを得なかったのです。

 このようにしてキリスト教は、ユダヤ教という民族宗教の壁を超えて、このディアスポラ教会を中心として世界宗教に発展していったということなんですね。そしてこの世界宗教へと発展していく過程の中で、ローマの根本的文化であるヘレニズム文明との出会いがあって、ヘレニズム文明を吸収していくことによってキリスト教はさらに普遍的な性格を持ち、大きくなっていくということになるわけであります。

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