「カルト」概念の出現


そして、更にもう一つ加わった類型論が「カルト概念」です。ヨーロッパではキリスト教の枠内において、既成の教会に対立して出現する少数派の集団という意味で、「セクト」という言葉が用いられ、近代の宗教運動はほぼこの用語でカバーできるものと考えられてきました。しかし1970年前後にアメリカ合衆国を中心に、従来のセクトとは性格が異なり、特に非キリスト教的伝統に重きを置く宗教集団が活発な活動を展開すると、こうした団体が「カルト」と呼ばれるようになりました。したがって「カルト」という言葉は歴史的に見ると比較的新しい言葉で、もともとは東洋からやってきた神秘主義的な宗教、いわゆるキリスト教ではないものを「カルト」と呼ぶようになってきたのです。しかし、この宗教社会学的なカルト概念というのは、あくまで価値中立的なものであり、侮蔑的なものではありません。

これまで「カルト」というものを定義した宗教社会学者の主張は、大きく分けて2つのタイプに分けることができます。すなわち、「宗教社会学的なカルト概念」には大きく分けて2つが存在するのです。その一つは、緩やかな組織を特徴とするカルト概念です。これはハワード・ベッカーというアメリカの宗教社会学者が最初に提示したのですが、彼はこう定義しました。「カルトとは、緩やかで散漫な組織を持ち、明確な境界線がないことを特徴とする宗教団体だ」。

ですから、極めて初期の集まりですので、中央集権化された権威主義的な指導体制とか、明確な会員資格とか、統一された教義がないような集団です。イメージ的には、一人霊能者がいて、その人が心霊術をやって、その周りにクライアントが集まっている、あるいは占星術などを行う占い師がいて、それを信じている人の集団で、そこには神学もなければ祭司職も制度も何もない、そのような極めて初期の、宗教の生まれたての状況のことを「カルト」と分類したのです。

もう一つのカルト概念は、異質あるいは革新的な信仰を特徴とするものです。国や社会には主流の宗教文化があるのですが、その周囲の社会における支配的な宗教伝統と激しく断絶している教団のことを「カルト」と呼ぶ概念です。すなわち、集団としての構造的な要素ではなく、その世界観や信仰内容が主流の文化と極めて断絶している場合にこれを「カルト」と呼ぼう、と判断したのです。この分類によると、ヨーロッパに仏教やイスラームが伝わったとすると、仏教やイスラーム自体は非常に昔からある宗教ではありますけれども、その地では主流の文化と断絶した信仰なので、それらはカルト概念に含まれることになります。主流文化との関係で、カルトというものを定義しようとしました。このような2つの「カルト」の概念があります。以上が宗教社会学的なカルト概念、いわゆる価値中立的に、学問的な分析に基づいてカルトというのも論じたものになります。

次に「福音主義的なカルト概念」というものがあります。福音主義とは、キリスト教の中でも聖書を文字通り信じる教派のことです。こういった福音主義的なキリスト教の文献の中に発見することができるカルトの概念があるのです。彼らも「カルト」という言葉を使います。彼らは、キリスト教の福音主義的な正統から逸脱した異端のキリスト教団を指して「カルト」と呼んでいます。エホバの証人やモルモン教などがこのカルト概念に当てはまります。これらの宗教は一般的な日本人から見ればキリスト教の一種なのですが、福音派のキリスト教から見ると神学的には異端ですので、これが「カルト」ということになるのです。逆に、ハレ・クリシュナとかラジニーシ運動のようなヒンドゥー教を起源に持つものは「カルト」と呼ばれません。あくまでキリスト教の異端を、彼らは「カルト」と呼んでいるのです。

3番目に出てくるのが、「通俗的でジャーナリスティックなカルト概念」です。これはマスメディアや大衆的な文献に多く見られるカルトの概念を指します。彼らは主に、全体主義的で権威主義的な指導体制を持つ宗教集団を「カルト」と呼び、一般的にこの言葉は極めて侮蔑的に使われます。しかし、このような「カルト」の用い方は極めて危険であり、アンフェアであるということを多くの宗教社会学者が言っています。すなわち、学問的に「カルト」には、きちんと価値中立的な定義があったにも関わらず、マスコミによってこのような「カルト」概念が乱用されることにより、その専門的な意味が覆い隠されてしまったことを嘆いているのです。

こうした批判の代表的なのが、ジェームズ・T・リチャードソンというアメリカの宗教学者によるものです。彼は、「このようなマスメディアによるカルトの用法が結局意味しているのは、『カルトと自分とは相容れないものである。嫌悪すべきものである』ということだ。そのような『嫌いだ』という感情を、『カルト』という言葉で表現しているに過ぎない。また、このような「通俗的でジャーナリスティックなカルト概念」というのは、特定のグループを攻撃するためのラベルになり、社会的武器となってしまう。それによって、非常に政治的な言葉になり、もはや学問的に『カルト』という言葉が使いづらくなってしまった」と批判し、嘆いています。

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