米国におけるディプログラミングの始まりと終焉(1)


ダン・フェッファーマンによる2010年の論文

 今回より6回シリーズで、ダン・フェッファーマン国際宗教自由連合(ICRF)会長の論文「米国におけるディプログラミングの始まりと終焉」の日本語訳をアップする。理由は、本ブログのテーマである「洗脳」「マインド・コントロール」理論と新宗教信者に対する強制改宗は不可分の関係にあるからである。一言でいえば、違法な強制改宗を正当化するための手段として「洗脳」「マインド・コントロール」理論が利用されてきたということだ。この論文は、米国における強制改宗との闘争の歴史を、2010年7月21日にダンがまとめたものである。彼によると、その内容はリー・J・ブースビー弁護士著の「強制的ディプログラミングの終結により思想と両親の権利を支持するための白書と行動への呼びかけ」(2003年)というICRF文書に部分的に依拠しているとのことである。
(以上、訳者・魚谷俊輔のまえがき)

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 秘密の場所への監禁と少数派宗教団体からの強制脱会という犯罪は米国では事実上終結したが、この人権上の重大犯罪は現代の日本で罰せられることもなく継続している。この論文の目的は、日本および必要とあらばその他の場所におけるこの人権侵害を根絶するために有益な洞察を得るために、米国における「ディプログラミング」の歴史を概説することにある。このアプローチは主として法的分野に焦点を当てており、広報その他の関連した側面に関しては簡単に触れているにすぎない。

 最初に、米国での経験は日本での経験と全く同様ではないことを認識しておくべきである。
例えば:

  • 米国の法律制度は、日本の制度よりも地方自治体、州、連邦の裁判所の間の関係が複雑である。
  • 米国における初期の強制棄教業者の戦術はかなり早い段階で非合法であると認定されたが、これは部分的には、少なくとも4回刑事訴追で有罪判決を受けたテッド・パトリックなどの犯罪者の恥知らずな態度のお陰である。
  • 米国においては、「ディプログラマー」は多くの場合、拉致監禁という「汚い仕事」を直接行ったため、彼らを告訴するのは比較的容易だった。日本においては、とくに過去20年間、これらの強制棄教業者は主に「コンサルタント」として活動し、家族に助言を与えて信者を拉致させ、被害者が監禁状態に置かれた後にそれを「説得」しようとしてきた。
  • 米国において被害を受けた宗教団体が数多くまた多様であったため、教派の違いを超えた連合を形成するのが比較的容易だった。日本の状況はこれとは異なっている。
  • 日本では、意見を異にする人々の権利のために立ち上がることに誇りを持っているリベラルな左派の団体であるアメリカ市民自由連合(ACLU)のような、市民自由団体の伝統がまだ強くない。
  • 米国では、米国教会協議会(NCC)が強制棄教活動に最も強く反対する発言をしてきた団体の1つだが、日本では米国に比べて、キリスト教牧師、とくに主流派教会の役割ははるかに否定的なものだった。

A.米国におけるディプログラミングの起源

 国際的コミットメントと憲法修正第1条に基づく明確な判例にもかかわらず、米国における何千人もの人々が最も基本的な人権、すなわち自分の出自である家族の信仰と異なる宗教的信仰に改宗する、あるいはそれに帰依する権利を行使する際に、深刻な虐待を受けてきた。(注1)1970年代、80年代には、地方自治体の一部職員が強制棄教活動に手を貸すために州の権力と権限を行使した。(注2)日本と同じように、法的には成人であっても若者が親の願いに反する信仰を持つようになるときの、傷害、殴打、拉致、監禁などの重罪を含むこの明白な犯罪行為に対して、多くの検察官や裁判所が見て見ぬふりをした。

テッド・パトリック

 「ディプログラミングの父」と呼ばれたテッド・パトリックは、1971年に「チルドレン・オブ・ゴッド(神の子達)」と呼ばれる宗教団体を調査し始めた。彼は、「カルト」とか「擬似宗教」と彼が呼んでいた信仰から人々を抜けさせることこそ、自分の人生における使命だと結論した。これらの団体の多くは強固な共同体を営む共同生活を特徴としていたので、パトリックは人々をそこから離脱させる唯一の道は、彼らを「現実」に引き戻すために共同体から強制的に隔離するしかないと考えた。この行動を正当化するため、彼はこれらの宗教団体の信者たちがもはや自分の自由意思を行使できなくなっており、宗教指導者により「マインド・コントロール」を通して「プログラム」された状態にあると主張した。彼はかくして、信者らを「解放した」プロセスを説明するために「ディプログラミング」という言葉を造り出した。その手段は、信者を拉致し、本人の意思に反して秘密の場所に監禁し、彼らが圧力に屈して離教に同意するまで、その宗教的信念と実践を批判するというものだった。

 パトリックのテクニックは、米国において強制棄教という「零細産業」を生み出した。1971年から始まって1980年代を通し、宗教や心理学の職業的訓練を何も受けていない人々が、被害者のことを心配する家族から報酬を受けて自警団員として活動し、何千人もの信者を彼らの属する宗教共同体から連れ去った。パトリックは自著『子供たちを去らせよ』の中で、身体的暴力、秘密の場所への監禁、恥辱、食事や睡眠の剥奪などを駆使していることを認めているが、これらは「カルト」が用いている手段だと彼が非難したのと全く同じ戦術である。(注3)1979年までに、パトリックだけで、ハレ・クリシュナ運動、統一教会、チルドレン・オブ・ゴッド、サイエントロジー教会、ディバイン・ライト・ミッション、新約宣教師会、ワールドワイド・チャーチ・オブ・ゴッド、その他の信者約1600人を「ディプログラミング」したことを自慢していた。他にも何十人もの信仰破壊屋がパトリックと同じような活動を始めたが、彼らの多くは過去にパトリックに宗教団体を離脱するよう圧力をかけられた元信者だった。プロの私立探偵も同様に、様々な宗教団体、場合によっては一部政治運動の会員を拉致しディプログラミングすることにより、儲かるビジネスの機会を見出した。おそらくもっと問題だったのは、「マインド・コントロール」理論が広く受け入れられるようになり、一部の心理学者はある個人が特定の団体に加入したということだけで、会って見もしないのにその人を心神喪失状態にあると宣言したことである。一部の判事は、成年後見命令を発令して、警察がその個人を強制的に連行し、その家族やディプログラマーの保護監督下に委ねるよう要請することまでした。(注4)

 トーマス・ロビンス教授とディック・アンソニー教授は、なぜディプログラマーが自分たちの「ディプログラミング」活動を正当化するために、「洗脳理論」に飛びついてこれを利用したのかを、以下のように説明した:

ディプログラマーと反カルト活動家は、重要な問題は信教の自由ではなく思考の自由、すなわちカルトが信者に対して行っていると非難されている邪悪なマインド・コントロールからの自由であると主張する。しかしディプログラミングの対象になりうる候補者は一般的に、特定の宗教セクトに所属しているという理由だけで洗脳されていると見なされる。ディプログラマー、憤激した親、反カルト活動家の言い分が通るならば、カルトの成人信者は、自分たちが心神喪失状態にあるという主張に反駁するための事前の審問や、事前の精神鑑定なしで、ディプログラミングを受けることを強要されることになる。(注5)

(注1)強制なしに宗教を変える、宗教を受け入れる、信仰を持つあるいは持たない自由は、国際規範により保障された普遍的人権である。自由権規約人権委員会、総評22号(48)(第18条)、国連文書CCPR/C/21/改訂1/追加.4 (1993年); アルコット・クレシュナスワミ(Arcot Kreshnaswami)、宗教的権利および実践の問題における差別についての研究、国連文書E/CN.4/Sub.2/200 改訂 1, (1960年)を参照。

(注2)ディプログラミングを合法化する法律を制定しようとする州政府の試みがいくつかあった。ニューヨークは1981年に州としては初めてディプログラミング法案を提案した。同法案は州議会の両院で承認されたが、当時のヒュー・ケアリー州知事が拒否権を行使したため成立しなかった。カンザス、ニュージャージー、ネブラスカ、メリーランドの各州でもディプログラミングを合法化する同様の試みがあったが、失敗した。

(注3)テッド・パトリックは自著の中で被害者の1人に対する「救援」活動について以下のように記述している:

ウェスは車に対峙する姿勢を取り、手をルーフに乗せ脚を大の字に広げた。彼がそういうふうに身構えている間は彼を中に押し込むことはできなかった。私は速やかに決断を下さなければならなかった。私はウェスの両脚の間に手を伸ばして股間をつかみ強く握り締めた。彼はうめき声をあげ、体を折り曲げて、両手で自分の股間をつかもうとした。それから私は彼を叩き、車の後部座席に頭から押し込み、彼の上に折り重なった。-T・パトリック、T・デュラック共著『子供たちを去らせよ』、p.96(1976年)。

(注4)この論文では、新興宗教への改宗に関する「洗脳」理論の歴史については詳細に扱っていない。だが同理論はいくつかの米国の重要な訴訟事例で重要な役割を果たした。この問題に関する詳細な議論は、J・ゴードン・メルトン著の「洗脳とカルト、理論の発生と終焉」新宗教研究センター、http://www.cesnur.org/testi/melton.htm、2010年6月25日検索、を参照のこと。

(注5)セントラル・ミシガン大学のトーマス・ロビンス博士、連合神学大学院のディック・アンソニー博士、サンクチュアリー研究所のジェームズ・マッカーシー博士共著「抑圧の合法化」、『洗脳/ディプログラミング論議、社会学的、心理学的、法的、歴史的観点322』(デビッド・G・ブロムリー、ジェームズ・T・リチャードソン監修)(エディーブン・メレン・プレス、1983年)。

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