シリーズ「霊感商法とは何だったのか?」28


結論

 27回に及んだこのシリーズも、今回が最終回である。私なりに、「霊感商法」の問題に関する一つの結論を提示したい。

 統一教会は、土着化に失敗して宣教が進まないキリスト教の諸教派の中では、最も健闘している教団の一つである。その成功のポイントは、キリスト教信仰と東洋思想の融合にあり、特に家庭倫理や家族主義の強調と共に、先祖の救いという日本人の宗教性の中核部分に神学的な意義付けをなしたことにあった。

 しかしながら、このような融合にはプラスの側面だけでなく、マイナスの側面もあった。その代表例が「霊感商法」であり、私はこの現象を、統一原理の教えと日本の土着の宗教文化が融合することによって起こったシンクレティズムであると分析した。これは、統一原理の「蕩減」の概念を「先祖の因縁」に引き寄せて解釈することにより、その本来の意味を歪めてしまうという弊害も生み出した。

 天地正教は、霊感商法が日本において社会的批判を浴びた後に、「霊石愛好会」を経て創設された、弥勒信仰に基づく仏教教団であったが、これは本質的には統一原理の仏教的解釈と展開による土着化の試みであった。それは一定の成功を収める可能性を秘めていたが、結果的には1999年に消滅してしまった。しかしながら、先祖供養や霊障からの救いに代表されるような、土着の宗教的欲求に応えるための別の装置がそれに代わって準備されたわけではなかった。

 統一教会の教義は基本的には聖書に基づくキリスト教的なものであり、そのままでは日本社会に土着化するのは難しい。したがって、先祖の救いや霊障からの解放といった土着の宗教的欲求に答える要素がなければ、日本の土壌において教会を発展させていくことは難しいのである。現在、「霊感商法」や「天地正教」を通して満たそうとした日本土着の宗教的欲求を現在満たしているのは、清平役事である。清平役事は、「霊感商法」や「天地正教」のように日本土着の宗教伝統と統一原理の習合の結果として生じたものではないし、これらとの間には直接的な因果関係はないが、それらが満たそうとしている宗教的欲求は非常に近いものである。清平役事は、霊障からの解放、先祖の救いと解放、病気の癒しという特徴を持ち、これらは日本土着の宗教的欲求に応える内容を持っている。

 統一教会において、日本文化への土着化の要求が何によって満たされてきたのかを時系列的にまとめると、以下のようになる:
1958年から1970年代まで:シンクレティズム以前の草創期
1980年から1987年まで:霊感商法の時代(シンクレティズム)
1988年から1998年まで:天地正教の時代(統一原理の仏教的表現による土着化戦略)
1998年から現在まで:清平役事の時代(大母様による先祖の解放)

 清平役事は、霊感商法や天地正教と異なり、天の摂理によって出発したものであり、教会の正式な公認を受けた宗教行事である。権威という観点から見て、清平役事はそれ以前の土着化の試みよりもはるかに確固たる基盤と安定性を有している。その意味で、日本土着の宗教的欲求は、清平役事において最良の落ち着きどころを与えられたとみることができる。しかしながら、清平役事は現時点では統一教会の信仰を前提としたものであり、原理に導くための「入り口」としての機能を果たしているわけではない。今後、原理を知らなくても先祖の解放や病気の治癒といった分かりやすい具体的な恵みから清平につながり、その結果として統一原理のみ言葉を学んでいくような、「信仰の入り口」としての機能を清平役事が持つようになったときには、より大きな土着化の力となることであろう。

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