シリーズ「霊感商法とは何だったのか?」02


土着化に成功した統一教会、そしてそのマイナス面

一方、同じ東アジアの国でも、隣国である韓国におけるキリスト教の土着化は、相当程度の成功を収めていると言える。韓国統計庁が2005年に発表したところによると、韓国のキリスト教人口はプロテスタントが18.3%、カトリックが10.9%で、合計すると人口の約3割を占め、特に都市部での躍進はめざましい。これを1%以下という日本のキリスト教徒の人口比に比べれば、韓国と日本におけるキリスト教の社会的地位は雲泥の差と言ってよいであろう。日本は西洋諸国よりも韓国との歴史的つながりが深く、文化的親和性が強い。その韓国にキリスト教が土着化したということは、日本のキリスト教もそこから何か学ぶべきものがあるはずだと考える日本のクリスチャンは多い。

韓国のキリスト教は、在日韓国人のコミュニティーを中心に日本にも広まっている。しかしその信仰はなかなか民族の壁を越えて日本人の間にまでは広まって行かない。韓国生まれのキリスト教の中で、民族の壁を越えて広く日本人の間にまで広まったのが統一教会である。日本統一教会の教会員の数は、1995年の文化庁統計によれば47万7千人である。(注1)たとえ実数はこれを下回るとしても、これは韓国生まれのキリスト教会の信者数としては驚異的な数字である。このことは、キリスト教が日本に土着化するためのモデルとしては、統一教会が最も有望株であることを物語っている。

それでは統一教会がキリスト教を日本に土着化させることに成功したポイントはどこにあるのだろうか。それはキリスト教信仰と東洋思想のみごとな融合である。その神観や人間観には陰陽思想などの東洋的伝統が受け継がれているし、何よりも家庭倫理や家族主義がその神学の中心に据えられていることは、東アジアの文化圏では受け入れやすい。もちろんキリスト教にも家庭倫理は存在するが、こと救いに関しては個人主義的な傾向が強く、生涯独身の修道生活の方が世俗の生活よりも高尚なものであると考えられてきた。

さらに重要なのは先祖の問題である。先祖崇拝や先祖供養を受け入れるかどうかは、長い間キリスト教宣教師たちの大問題であった。一応それを「文化・風習として、否定はしない」という寛容な態度をとったとしても、神学的には積極的な意味を見いだせず、救いの問題と直結させるような神学的展開はできない。一方で、統一原理は血統と罪の間に密接な関係を見いだしているから、仏教で「先祖の因縁」として理解されてきた内容を、神学的に整理し、包含することができる。そして「神に対する信仰」と「先祖の供養」を矛盾なく一つにまとめることができたのである。つまり統一教会の提示したキリスト教は、日本人にとって分かりやすく、受け入れやすいものであった。日本における統一教会の成功は、このようなキリスト教と東洋の宗教伝統の融合にあったとみることができる。

しかしながら、このような融合にはプラスの側面だけでなく、マイナスの側面もあったことは否定できない。それは、統一原理の教えと、日本の土着の宗教文化が融合することによって起こるシンクレティズム(syncretism)である。

シンクレティズムとは何だろうか。それは意識的にせよ無意識的にせよ、互いに異なる教理や実践(祭儀など)が接触し、それらが相互に影響して重層的な結合現象を起こすことであるとされている。この言葉の訳語としては習合、混淆、重層的信仰、折衷主義などがあるが、本論文では以下、シンクレティズムの訳語としては「習合」を用いることとする。(注2)

この現象は、「霊感商法」と日本社会から呼ばれて非難される一連の現象において特に顕著であり、1980年代以降の日本の教会員の信仰に大きな影響を及ぼした。この流れはその後、「天地正教」と呼ばれる弥勒仏を信仰する新たな宗教団体を生み出し、統一原理の仏教的表現への可能性を開いたが、最終的には統一教会に合併吸収される形となり、法人としては形の上で存続しているものの、現在は事実上存在しない。

天地正教の道場
「かつて北海道帯広市にあった天地正教本山道場の天聖所」

しかし、統一教会の教義は基本的には聖書に基づくキリスト教的なものであり、過去において既成キリスト教会の日本宣教が失敗に終わってきた先例からも分かるように、そのままでは日本社会に土着化するのは難しい。したがって、「先祖の救い」や「先祖の因縁からの解放」といった土着の宗教的欲求に応える要素がなければ、日本の土壌において教会を発展させていくことは難しいのである。天地正教消滅以降は、日本の土着の宗教性からくる欲求は宙に浮いた状態となり、それは別のところに求められなければならなくなった。私の見解としては、結果的に、そのような日本の土着の宗教的欲求を受け止める役割を果たすようになったのが、清平役事であるということになる。清平役事は、「霊感商法」や「天地正教」のように日本土着の宗教伝統との習合の結果として生じたものではないが、それが満たそうとしている宗教的欲求は非常に近いものである。

金孝南長老の肉身に再臨した大母様による霊分立の役事が清平修錬院で本格的に始められたのは、1995年1月19日であったとされる。 これは天地正教が消滅する以前のことであり、しかも、ちょうどその頃から二代目教主・新谷静江が「弥勒仏は文鮮明師ご夫妻である」と宣言して、天地正教につながった信者たちにメシヤを受け入れさせる方針を強く打ち出していることから、天地正教の代わりに清平役事が始まったという考えは時系列的に成り立たない。すなわち、天地正教の消滅と清平役事の出発の間には、直接的な因果関係はないのである。

にもかかわらず、天地正教の消滅によって満たされなくなった先祖供養や霊障からの救いに代表されるような日本土着の宗教的欲求は、次第に清平役事において満たされるようになり、日本から多くの統一教会信者たちが清平を訪れるようになる。しかし、「霊感商法」の問題を扱う上においては、そこには直接の因果関係がないので、このシリーズにおいては、清平役事は扱わず、日本における統一原理の土着化プロセスを分析する上で、「霊感商法」と「天地正教」を取り上げ、それぞれの歴史的経緯と宗教的意義を明らかにしようと試みることにする。

(注1)Wikipedia「世界基督教統一神霊協会」より。
(注2)野口誠「シンクレティズム」(小口偉一・堀一郎監修 『宗教学辞典』東京大学出版会、1973年、p.407-8)

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