紀藤正樹著『マインド・コントロール』の批判的検証06


このシリーズでは、紀藤正樹著『マインド・コントロール』を批判的に検証しているが、紀藤氏による「マインド・コントロール」の定義は、その時代の社会通念や一般的な社会常識を前提とした「法規範」や「社会規範」にその根拠を置いており、そこから大きく逸脱している場合には、これを「マインド・コントロール」と判断して問題視すべきであると主張している。

そうなると、「マインド・コントロール」は科学的に定義される概念ではなく、政治的概念であることになる、というのが前回の私の結論であった。それは同一の行為であっても、その国の政治状況、法規範、社会規範の違いによってまったく異なった評価を受けるので、それに基づいて定義される「マインド・コントロール」なる概念には普遍性がないからである。

こうした「マインド・コントロール」概念がいかにいい加減なものであるかは、国際社会において普遍的な概念として定義されている「人権」と比較することによって明らかになる。現実には世界にはさまざまな文化的背景をもった国々があり、その国の政治状況、法規範、社会規範は異なるのであるが、「人権」という概念はそうした文化や国ごとの差異によって相対化されることを拒否し、世界共通の普遍的概念であることを標榜しているのである。

国際社会に対して人権の内容を具体的に示した歴史的文書が「世界人権宣言」(1948年)である。それは自由権的諸権利(第1〜20条)、参政権(第21条)、社会権的諸権利(第22〜27条)、一般規定(第28〜30条)などを具体的に定めている。しかし、「世界人権宣言」は一つの歴史的宣言であって法的拘束力がないので、同じ内容を条約という形で表現し、法的拘束力を与えたものの一つが「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(ICCPR)であり、別名で「自由権規約」「B規約」などと呼ばれている。
自由権規約の締約国は167か国あり、この規約を守る義務がある。ちなみに日本は1978年に自由権規約に署名し、1979年に批准しているので、この規約を守らなければならない。しかし、こうした人権規約に署名し批准したとしても、実際には守らない国も存在するので、それをチェックするために、普遍的定期審査(Universal Periodic Review)や自由権規約人権員会(Human Rights Committee)などの審査システムが存在し、4年や7年に一度のペースでその国の人権状況をチェックされることになっているのである。
通常はジュネーヴの国連欧州本部で開催される国連人権理事会の場で、国連加盟国の人権状況が審査され、人権侵害が行われれていると判断された国には改善を求める勧告がなされる。その際の審査基準は、例えば「信教の自由」という人権なら以下のように明文化されているので非常に明確である。

・世界人権宣言第18条:「すべて人は、思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する。この権利は、宗教又は信念を変更する自由並びに単独で又は他の者と共同して、公的に又は私的に、布教、行事、礼拝及び儀式によって宗教又は信念を表明する自由を含む」
・自由権規約第18条:「何人も、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由を侵害するおそれのある強制を受けない」

中国、北朝鮮、イスラム教諸国は、普遍的定期審査や自由権規約人権委員会の場で、信教の自由が保障されていないとしばしば非難される。国連は世界政府ではないので、状況を変えさせる「強制力」がないのは課題だが、少なくとも「それはその国の文化なんだから外から見てとやかく言うのは余計なお世話」などとは言わずに、ちゃんと批判する。
これは、「信教の自由」という人権が、民族、国家、文化の違いを超えた「普遍的価値」であると信じられているためである。しかし、「マインド・コントロール」にはそのような普遍性はない。したがって、国連の場で「マインド・コントロール」などという曖昧な概念を訴えたとしても、却下されるのがオチである。
一方、信教の自由は基本的人権の一つとして認められているので、統一教会の信者が信教の自由を侵害されていることを具体的な証拠をもって主張すれば、国連はその主張を取り上げることになる。それは「人権」や「信教の自由」が、その国の文化や政治的状況、あるいは特定宗教がその国で多数派であるか少数派であるか、あるいは国民に受け入れられているか不人気であるかにかかわらず、万人が平等に享受しなければならない普遍的権利であるからだ。

2013年7月、国連の自由権規約人権委員会に対して、2つのNGO(「国境なき人権」と「全国拉致監禁強制改宗被害者の会」)から、拉致監禁強制改宗の問題に関する報告書が提出された。その結果、2013年10月に行われた自由権規約人権委員会で、日本政府に対する質問事項が決定され、その中に「国家によって捜査されず、起訴もされていない拉致、強制改宗および強制棄教の事例に関する報告に対してコメントしてください」という質問事項が含まれることとなった。その結果、この質問に対して日本政府は2014年7月までに調査をして回答を準備する義務が生じたのである。
2014年3月中旬に、この質問に対する日本政府の回答が規約人権委員会のウェブサイトにアップされたが、それは以下のような内容であった。(原文は英語で、翻訳は筆者が行った)

181. 我々は記述されたような事例を一切知らない。
182. 一般的に、刑法ならびに法令に違反するような行為が発見されたときには、捜査当局は証拠ならびにそのような事件を対象とする法律に基づいて、その事件を適切に処理する。
183. 法務省の人権機関は、人権侵害の主張を受けて、宗教および信条に基づく差別も含め、人権擁護委員法ならびに人権侵犯事件調査処理規程に基づいてあらゆる必要な調査を行い、事例に応じて適切な手段を講じる。

私は初めてこの文章を読んだときにあきれてしまった。拉致監禁・強制改宗の問題に関する国際社会の関心は確実に高まっており、特に国連の人権監視機構によって問題が認知されるようになってきているにもかかわらず、日本政府はこうした問題の存在を認めようとせず、あいも変わらず「鉄面皮」のような官僚的答弁を繰り返したのである。

2014年7月24日、自由権規約人権委員会は日本の人権状況に関する「最終報告書」の中で「委員会は、新宗教運動の回心者を棄教させるための、彼らに対する家族による拉致および強制的な監禁についての報告を憂慮する(2条、9条、18条、26条)。締約国は、全ての人が自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由を侵害するおそれのある強制を受けない権利を保障するための、有効な手段を講ずるべきである」と明言した。これは同委員会が新宗教信者の拉致監禁強制改宗問題に関して憂慮しており、日本政府に対して対策を講ずるよう勧告したということである。これは拉致監禁強制改宗の問題を解決する上で、歴史的な一歩であった。

統一教会に反対する「全国霊感商法対策弁護士連絡会」にとって、国連の勧告はよほどショックだったと見えて、同組織は同年8月1日にこの勧告に対する「懸念」を自身のウェブサイト上に掲載した。それは、「今後統一協会などカルト的宗教組織に悪用されかねない事項が含まれていることについて、当連絡会は深く懸念する。また、このように唐突に要請がなされたことは、同委員会の調査不足、認識不足を示すものとも言えるもので、大変遺憾」と述べているが、「信教の自由」という普遍的価値の前には単なる悪あがきに過ぎず、まったく説得力はなかった。

少々内容が紀藤氏の著作から外れてしまったが、要するに紀藤氏の主張するような「マインド・コントロール」の概念は、国や文化の違いによってコロコロ変わる普遍性のないものなので、国連の場では一切相手にされないことを理解していただければ幸いである。

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