シリーズ「霊感商法とは何だったのか?」16 蕩減と因縁(4)


2.蕩減とは何か?
「蕩減」という言葉は日本語にはない。岩波書店の『広辞苑』を引いてもこの言葉は出てこない。これは日本語では「とうげん」と発音するが、一般的な日本人がこの音から連想するのは、陶淵明の「桃花源記」に出てくる、俗世間を離れた理想郷の「桃源郷」くらいであろう。韓国語の『原理講論』にたびたび登場するこの言葉を翻訳する際、それに該当する既存の日本語を当てはめることはせずに、韓国語の漢字をそのまま導入し、発音を日本式に変えるという判断がなされた。これは日本語と韓国語の構造が極めてよく似ており、漢字という共通の基盤を持っているが故に可能なことであった。
これが英語に訳されたときには、Indemnity という訳語が選ばれた。この言葉の意味を英語の辞書で確かめると、「弁償」「賠償」「損害保障」「損害賠償」といった意味が並べられている。アメリカではこの Indemnity という言葉は保険の用語として使われることが多い。したがってアメリカ人としては、この言葉を宗教用語として用いることには奇異な印象を受けるという。つまりこの Indemnity という言葉が英語という言語体系の中で持っている語感の故に、「蕩減」という概念の本来の意味が正確に伝わらず、誤解されることが多いというのである。

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 一般的なキリスト教の概念で「蕩減」に近いものを挙げるとすれば、懺悔や罪滅ぼしのための苦行を意味する penance を挙げることができるであろう。実際、カトリック教徒が神父に罪を告白し、罪滅ぼしのための行(ぎょう)を行う姿は、統一教会の信徒たちが蕩減条件を立てる姿と非常に似たものがある。しかし蕩減条件を penance と訳したのでは、一般的な西洋人には統一教会とキリスト教の区別がつかず、統一原理における「蕩減」という概念の独自性や斬新性は理解されないであろう。このように宗教概念の翻訳というものは非常に難しい問題をはらんでいるのである。

信徒の罪の告白を聞くカトリックの神父

信徒の罪の告白を聞くカトリックの神父

日本語の『原理講論』においては、意味不明な「蕩減」という言葉がそのまま用いられたので、日本人がその意味を知るためには『原理講論』の説明に耳を傾けるほかはなかった。これは「帳消し」とか「弁償」とかいう言葉に訳されることによって、日本の信者たちが、その言葉が日本語として持っている意味を「蕩減」の概念に読み込むのを避けることができた、という意味においては幸いなことであったかも知れない。しかし、その半面、「蕩減」という概念は日本人にとっては全くの新概念であり、しかもそれが統一原理の体系全体にとって極めて重要な意味をもつ概念であったために、その真意を理解させるためには多大な労力を要することとなった。すなわち、「蕩減」とは何かを理解させるためには、信徒たちに『原理講論』を精読させ、聖書や信仰生活上の出来事を例に取って、その意味を体験的に理解できるように生活指導をしなければならず、それは多くの努力と時間を要したのである。したがってそれを日本の土着の宗教概念である「先祖の因縁」に置き換えて、てっとりばやく説明しようという試みが現れたのは、ある意味で無理からぬことであった。
それではこの「蕩減」とはいかなる意味なのか、『原理講論』の説明に耳を傾けてみることにしよう。

どのようなものであっても、その本来の位置と状態を失なったとき、それらを本来の位置と状態にまで復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足る何らかの条件を立てなければならない。このような条件を立てることを「蕩減」というのである。……堕落によって創造本然の位置と状態から離れるようになってしまった人間が、再びその本然の位置と状態を復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足る或る条件を立てなければならない。(ロマ5:19、コリント前15:21)。堕落人間がこのような条件を立てて、創造本然の位置と状態へと再び戻っていくことを「蕩減復帰」といい、「蕩減復帰」のために立てる条件のことを「蕩減条件」というのである。そして、このような蕩減条件を立て、創造本然の人間に復帰してゆく摂理のことを蕩減復帰摂理というのである。〔後編・緒論(一)蕩減復帰原理〕

要するに蕩減とは、罪滅ぼしをすることによって人間が堕落する以前の状態に戻るということを意味しているのである。したがって「蕩減」の概念を理解するためには、統一原理における罪や堕落の概念を理解しなければならないということになる。なぜなら「蕩減」は罪の解決方法として提示されているからである。

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