シリーズ「霊感商法とは何だったのか?」11


霊感商法(7)

『原理講論』の宗教と、「霊感商法」の宗教は、その性質が著しく異なっている。『原理講論』は首尾一貫した意志を持つ唯一の神によって統括される秩序だった世界観を持ち、その神に対する信仰が救いをもたらすと説く「救済神信仰」を特徴とする。しかし霊感商法の描く世界はさまざまな霊がそれぞれに気ままな意志を働かせている無秩序な世界であり、神や仏に対する信仰よりも、先祖の霊やその他の邪霊によってもたらされる霊障を取り除くことに力点が置かれる、典型的な「精霊信仰」なのである。西山茂による新宗教の類型論を用いれば、『原理講論』が教義体系を重んじる「信の宗教」であるのに対して、霊感商法は、操霊によって神秘的な世界と直接的に交流することが重んじられる「術の宗教」なのである。霊感商法が出現したのが1980年代であったことを考えると、近代化が一段落して神秘的な「術の宗教」が流行した、当時の日本の宗教的雰囲気が、その性格の決定に大きく作用したとも考えられる。(注1)

霊感商法のトーカーたちの宗教性は、「拝み屋さん」と呼ばれる日本の土着の宗教者のカテゴリーに含めることができる。これは地方によっては「ユタ」とか「イタコ」とか呼ばれる口寄せに類似したものであり、相当に深い根をもつ民俗宗教的な営みである。近代都市においても、少し路地裏に足を運べばこのような人々を発見することができる。彼らは手相人相の類を見たり、各種の占いをやったり、しばしば依頼人の人生相談に応じて、カウンセラーや祈祷師の役割を果たしたりする。こういった人々が病気治しをしたり、不幸の原因を因縁で説明したりして新しい宗教を起こすというのは、日本においては典型的なパターンである。したがって霊感商法のトーカーたちの多くが、これらの民俗宗教や新宗教の影響を受けていたということは十分考えられることであるし、彼ら自身がミニ教祖的な素養を持っていたのかもしれない。

またある程度組織化の進んだ新宗教教団をみると、教団運営や布教・教化活動の前線における中間的な役職者として、霊能者や教師と呼ばれる人々が活躍しているのを発見することができる。中には真如苑のように霊能者が教団の公的な役職のなかに明確に位置づけられていて、修行を積んで霊能者になることが信者たちの中心的な目標となっているところもある。この他にも、円応教において修法(しゅうほう)といわれる独特の儀礼を行う「布教師」、希心会の「霊感者」、解脱会の「審神者(さにわ)」もしくは「仲介者」、霊法会の「発言者」などを挙げることができるし、大和教団、日本聖道教団、中山身語正宗などにも霊能者の役職を持った人々がいる。これらの新宗教が霊感商法のトーカーたちに対して直接的な影響を及ぼしていたかどうかは定かでない。しかしそれらが日本に古来より受け継がれてきた共通の宗教的基盤の上に立っている、ということは言えるであろう。(注2)

シンクレティズムは、信仰内容について大伝統による官僚的な支配が強力に働いているときには起こりえない。それは大伝統のコントロールの及ばない、民衆が自由な宗教的創造性を発揮できるフィールドでのみ起こり得るものである。したがって霊感商法のトーカーたちが自らの販売体験を通して、創造性をフルに発揮して独自の宗教体系を発達させていったということも十分考えられる。

いずれにしても、『しあわせ会』はこれらの土着の宗教概念を取り込むことによって大衆化路線を取り、しかも販売実績をあげるという明確な目標を持って顧客をケアーし、組織化していったために、その組織は急成長する結果となった。しかし『しあわせ会』のメンバーの多くは、最終的には顧客に「統一原理」を教えたいと願っていたので、次第に土着の宗教概念を橋渡しとし、さらには自由な創造性を駆使して習合を試みながら、分かりやすく噛み砕いた「統一原理」を教え始めた。このようにして、「統一原理」と日本の土着の宗教概念が習合した、独特な信仰体系をもった組織が出来上がり、成長して行ったのである。

こうなってくると、創価学会と日蓮正宗のケースと同じように、宗教法人の統一教会と、信徒の組織である『しあわせ会』の間に、ゲストの所属をめぐって軋轢が生じるようになる。その意味では、『しあわせ会』は統一教会の信徒の中に生じた「内棲宗教」的な性格をもっていたのであり、次第に統一教会としてはコントロールできない存在となっていった。このようになった原因の第一は、『しあわせ会』の活動は営業活動と密接に結びついており、そこに口出しすることは宗教法人がその目的外である営業活動にまで関与・介入してしまうのではないかという危惧があったことであり、第二にはそれが「全国しあわせサークル連絡協議会」といった全国的な組織にまで発展し、大きな力を持つようになったことである。

さらに、宗教法人・統一教会と『しあわせ会』の間には、既成宗教と新宗教の関係にも似た役割分担の分離を行うことによって、共存して行こうという関係が生じたために、その関係は一層複雑なものとなった。すなわち既成宗教から独立した新宗教が、自らの役割分担を信徒の生活指導的な分野に限定し、宗教儀礼を行う既成宗教の権威に挑戦しなかったように、『しあわせ会』は「祝福」という宗教儀礼を行う権威については、統一教会の領域を侵犯しなかったのである。すなわち、あくまで信徒団体である『しあわせ会』は、宗教儀礼である「祝福」を授けることはできない。したがって「祝福」を受けたい人は統一教会に改めて入会し、そこで祝福を受けてください、ということになったのである。
つまり『しあわせ会』に入会した人は、「統一原理」の教育を受けるけれども、そこでは祝福は受けられない。しかし「統一原理」を学べば祝福を受けたくなるのは自然の理なので、結果的に『しあわせ会』に入会した人は祝福を受けるために統一教会に入会することとなったのである。このため統一教会側としては、「全国しあわせサークル連絡協議会」の発展によって教会員が増え、祝福を受ける人が増加したのは喜ばしいことであったが、その半面、その人々の宗教的教育という、本来宗教法人が行わなければならない任務が信徒団体主導で行われ、その宣教活動に対して十分に指導性を発揮することなく傍観せざるを得なくなってしまったのである。

このような、「全国しあわせサークル連絡協議会」のメンバーであると同時に統一教会の会員でもあるという、「内棲宗教」的な二重性が、霊感商法というシンクレティズムを生み出す原因となり、それがあたかも統一教会自体の活動であるかのように社会から誤解されるようになった原因でもあった。したがって統一教会は、「連絡協議会」の活動の実態について、もっと早くからその詳細を調べ、はっきりと指導すべきであった。この点に関しては、教会は後手に回ってしまった。教会側から「連絡協議会」に厳しく注意したのは、霊感商法が社会問題化した後であった。

しかし結果的には「全国しあわせサークル連絡協議会」の活動は、「内棲宗教」から新たな宗教へと分派していくような事態には至らなかった。それは教会側からの注意を受けたハッピー・ワールド社と各販社が、昭和62年3月31日付をもって、誤解を生ずるような壷、多宝塔などの取引を一切中止する旨の報告書を、通産省をはじめ関係省庁に提出し、マスコミにもこれを報道してケジメをつけたからである。さらには平成4年には「全国しあわせサークル連絡協議会」の事務局も解散することによって、同組織は消滅してしまった。

(注1)「信の宗教」と「術の宗教」という類型を提示したのは西山茂である。
(注2) 井上順孝、孝元貢、対馬路人、中牧弘允、西山茂編『新宗教事典』弘文堂、1990年を参照

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