アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳83


第10章 結論(5)

 それは、家庭がもはや安定した幸福な制度ではなくなっている世界であり、家庭は健全な社会を構成する基本単位ではなくなってしまっている。老人は孤独に、愛を受けずに死んでいく。赤ん坊は虐待され、人間関係は一時的で搾取的である。愛は性的欲望と解釈されてきた。それは共同体精神のない世界であり、人々の間の交流は機械的で、非人間的で、分裂している。駅の改札係、店員、仕事の同僚は、一日一緒に働いている人々の夢も、恐れも、希望も、孤独も知らない。ソープオペラの登場人物の方が、ときどきその生活を垣間見る程度の別区画の非個性的な人々よりも、もっと現実的で、関係があり、重要になっている。それは国と国とが権力と資源を求めて争っている不安定な世界である。核戦争、汚染、生態学的災害、飢饉、共産主義、第三世界での暴動、テロリストの爆撃、戦争、路上強盗は、おさまるどころか一層悪化している。政治家や官僚は腐敗し、扇情的なメディア報道は執拗に犯罪とセックスと暴力に焦点を当て、スキャンダルに飢えた大衆にみられる低俗な嗜好を満たしている。

 与えたくてうずうずし、奉仕したくてたまらず、犠牲になりたくて躍起になっている心を持ち、彼が信奉するよう教えられた理想のために、恐怖へと落ち込んでいく世界を救いたいと願っている若い理想主義者は、何をなすことができるだろうか? 年長者は最初は寛大に微笑むが、次第に苛立つようになる。いまや彼らは告げられる。あなたは分かっていない。なすべきことは何もない。あるがままの世界を受け入れることを学ばなければならない。成長して現実と向き合うことを学ばなければならない時期が来る。しかし、彼はそうした現実を受け入れたくないのである。

 もちろん、すべての者がこうしたものの見方をするわけではない。もっと楽しくて希望のある社会の側面に気付いている若者たちも数多くいる。しかしながら、相当な割合の人々が、こうした側面の多くを心配しているという事実は残るのである。彼らの実存に対する意識が表面に出てくるのは難しいことではない。こうしたことが現代社会の一部になっていることを否定する人々はほとんどいないであろう。その一部がどれだけ重要なのか、そしてより良い選択肢があるかどうかは、別の問題である。

 社会への幻滅は決して新しい現象ではない。最近の歴史をざっと見ただけでも、西洋社会では、中流階層の若者たちの一部が声を上げて拒絶するということの連続だった(注13)。1960年代後半、異議の主要な焦点は「資本主義の帝国主義的でブルジョワ的な構造」だった。アメリカや欧州の学生が、また若干異なる理由で日本の学生たちが、社会の構造を変革しなければならないと宣言した。社会の構造がデモやレトリックに直面しても驚くほど回復力に富んでいることが分かると、それを変えようという試みは、それを全面的に拒絶しようとい試みに取って代わられた。フラワーチルドレン(訳注:ベトナム戦争を背景に、平和と愛の象徴として花で身体を飾っていた、1960〜70年代のアメリカの若者たち)やヒッピーたちは社会からドロップアウトして、新しいカウンターカルチャーに入っていった(注14)。

 物質主義的で、非人間的で、定量的な競争社会に比べて、カウンターカルチャーは誰もが自分自身の権利で、自分自身の基準で、自分自身を掛け替えのない個人として成長させ、能力を発揮させてくれるものであると思われた。誰もが他者の基準に邪魔されずに、自分のやりたいことができる。誰もが平等であり、誰もがあらゆることを達成できると考えられた。しかし、カウンターカルチャーは一部の人々には競争社会からの避難場所を提供したが、成果主義の社会で育てられてきた多くの人々にとっては、それが提供したものは拒絶によって得られた初期の蜜月時代の、つかの間の休息でしかなかった。気が付けば挑戦を求め、なにかを「したい」と願いつづけているような人々は依然として、方向性の欠如と、ゴールや目的を失った人生に直面していたのである。個人は、すべてが自己の実存的選択であると思われる広大な選択肢の中で、身動きがとれなくなっていた。オープンで体系化されていないカウンターカルチャーの中で、リアリティーと人間関係はすぐに作られたが、彼らを強化し、一つにまとめる社会的圧力がないため、ちょっとした攻撃で彼らは崩壊していった。定義と境界線を拒絶することを選択し、絶対的真理を拒否することに誠実さが依拠している環境の中で、それでも自分たちが何者であり、自分たちがどこに立っているのかを知りたいと望んでいる者たちには、幻想と不満が待ち構えていた。自発性がもたらす自由は、無律法主義がもたらす不安に変わっていった。手段と目標の双方に制限がない限り、得られるものは何もなかった。何を達成したのかを知らせてくれる目印は何もなかった。解放された個人は孤独だった。彼はその孤独で、所属するところのない精神を、自力で進ませる何かに結びつけることはできなかった。

 理論上は、若者たちは自分たちが機会に満ちた社会に生きていることが分かっている。誰もが実績主義社会の階段を上っていく機会が均等に与えられているし、何事も許容される寛容な社会を享受する機会も与えられている。世界は彼らの思いのままである。しかし実際には、その自由を享受して価値あるものを見出すことができる者はほんのわずかしかいない。競争の激しい閉所恐怖症の競争社会では、真に価値あるものはごく希にしかない。広場恐怖症のカウンターカルチャーの中では、誰もが好きなだけ多くの価値あるものを持つことができる。だが、その結果として、どれも価値のないものになってしまった(注15)。

(注13)この説で述べられた点を詳しく知るには、次のものを参照せよ。E・バーカー「完全な自由は誰のためか:文鮮明師の英国統一教会に関する霊的な幸福の概念」、デビッド・O・モバーグ(編)『霊的な幸福』、ワシントンDC、ユニバーシティ・プレス・オブ・アメリカ、1979年に掲載;E・バーカー「英国における新宗教運動:内容と会員」ソーシャル・コンパス、第30巻第1号, 1983年。
(注14)特定の種類の学生活動の興隆と衰退についての貴重な記録としては、N・J・デメラ三世、G・マーウエル、T・アイトケン「理想主義のダイナミックス」サンフランシスコ、ジョシーバス、1971年を参照せよ。カウンターカルチャーの帰結に関する優れた分析は以下に見られる:B・マーティン「現代における文化の変容についての社会学」オックスフォード、ブラックウエル、1981年。
(注15)私が対比している状況は、ウエーバーの合理化の増大による「鉄格子」のビジョンとデュルケムのアノミー(無規範状況)という概念を用いている。次のものを参照せよ。M・ウェーバー「マックス・ウェーバーから:社会学評論集」H・H・ガースとC・ライト・ミルズ(編)、ニューヨーク、オックスフォード大学出版、1946年;マックス・ウェーバー「社会組織および経済組織の理論」編集・翻訳タルコット・パーソンズ、トロント、フリープレス、1964年;E・デュルケム「自殺:社会学における研究」G・シンプソン(編)、ロンドン、ルートレッジ&ケーガン・ポール、1953年。

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