アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳78


第9章 感受性(10)

table12 統一教会の目標が「地上に」天国を建設することであり、またムーニーたちが共産主義を一掃することに献身していること、さらに文が信者たちに対して「宗教と政治の分離はサタンが最も好むところであり」、政治を非宗教的な人々の手に委ねるべきではない(注28)と語っていることを考えると、ほとんどのムーニーが政治的な探求者ではなかったということは、一見すると驚くべきことのように思える。事実、表12が示唆しているのは、ムーニーは入教した後に政治的な立場が「注ぎ込まれる」まで、異常なほど政治に興味を抱いていなかったということである。しかしながら、注目すべき点は、第一に、多くの場合、何かを注ぎ込むことが「できる」隙間がすでにあったということであり、第二に、ムーニーが何らかの非常に明確な政治綱領を受け入れたのであると信じることは、誤りであるということである。私のインタビューのスケジュールの中で、相手を本当に当惑させたように思われた唯一の質問は(中には多くの答えにくい質問が含まれていたのだが)、「あす首相になったなら何をするか?」というものだった。あきれるほど長い沈黙の後に、何回か「さあ、言ってみて」と催促すると、ポルノをなくすとか、すべての学校で「統一原理」を教えるよう主張すると言ったムーニーもいたが、大部分の一般のムーニーは、質問が間違っていると抗議した。変える必要があるのは、社会の構造ではなく人間の心だ、と彼らは説明した。

私は1960年代後半にロンドンスクール・オブ・エコノミクスの学生であったが、当時バリケードに立てこもっていた者たちは、誰もが社会全体をどのように変革するかを明確に知っていたように思えたので、こうした白紙回答にはいささか驚いた。私は対照群に対してはアンケートの中でそのような細かい質問はしなかったが、ムーニーではない多くの若者たちに、首相になったら何をするかを尋ねた。すると同じような無回答しか得られなかった。わずかに私の学生の数名だけ(彼らはやはり、私の大学の政治経済学部の学生だった)が、権力を持った者が実際に達成しようとするであろうことについて考えた様子を見せた。ムーニーたち(そして恐らくその他の極めて多くの若者たち)は、あまりにも政党政治に幻滅しているか、自分たちはどうすることもできない絶望的な状況にいるということを確信するあまり、もし彼らが物事を変える力を得たとしたら何をしたいのか(あるいは何がなされるのを見たいのか)を、敢えて考えたことなどないかのようであった。

table13  しかしながら、統一教会に入教した者たちは、自分たちのグループには指導者――メシア――がいて、彼が何をすべきかを知っており、コントロールしているのであり、GNPを高めたり、住宅環境や飢餓救済を向上させたりすることだけではなく、神の国を地上に復帰するというより高い目標にさえも、彼らがどのように貢献できるのかを教えることが「できる」と感じている。この信念が運動の「内部」でどの程度その通りに支持されているかについては、ここでは(そのこと自体に関する限り)立ち入ることはできない。しかし、修練会でそうした約束が提示されているのは確かである。表13は、ムーニーのコントロール(またはその欠如)についての感覚は、彼らが運動に加入する以前は、いかに対照群のそれに似ていたかを示している点で興味深い。(ただし、対照群の二倍のムーニーが自分の人生について「完全にコントロールしている」と主張していることもまた興味深い)。数名のムーニーは、回答の脇に特記事項を記しており、他人や世界をコントロールしているという彼らの現在の感覚は、何らかの個人的な力によるものではなく、彼らが神の原理に従って動いている運動の一員であることによるものである、と説明していた。

私は既に、数名のムーニーたちが統一教会に出会う以前にどのような宗教的探求をしていたかを描写したが、「意志未決定」の探究者という概念についてはいくらか説明が必要であろう。私の41ページにおよぶアンケートを仕上げる前に、私は20名のムーニーにアンケートの「試験的」草案に試しに答えてみるよう依頼した。この中には、ムーニー候補者の中に見いだされるであろう探求者のタイプと強さを測定しようとする質問がいくつか含まれていた。あるメンバーが、これらの質問に対する彼の答えについて議論する中で、自分は確かに何かを探していたが、自分が探していたものが何であったのかさっぱり分からなかった、という情報を自ら提供した。アンケートには一連の価値観や目標が示され、回答者はそれらがどの程度重要であったか、そしてそれらを積極的に達成しようとしていたか、あるいはそれらが達成されるのをただ望んでいただけであったのかを述べるよう求めた。私はこのリストに、「何か、しかし何であるかは分からなかった」という項目をつけ加えることを決めた。驚いたことに、何よりもこれがムーニーと非入教者と対照群を区別している「理想」であることを私は発見した。表14が示すように、ムーニーは対照群あるいは非入教者よりもはるかに多く、これが重要であると考え、それを積極的に求めていた傾向がある。しかし表14には、余白に「そうだ!!」といった熱狂的なコメントをつけ加えたムーニーの数や、「何?」「理解できない」あるいは「全くばかげた質問だ」と書き込んだ、対照群の混乱した者たちの数は示されていない。

table14

(注28)世界基督教統一神霊協会「文鮮明師と統一教会会員に関する、韓米関係の調査についての1978年10月31日付の報告書に対する、我々の回答」ニューヨーク、世界基督教統一神霊協会、1979年、p.40

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