アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳77


第9章 感受性(9)

探求者
アンやジェーンのようなムーニーの証言を読むと、彼らは時として「探求者」と呼ばれる者であったことは明らかだと思われる。すなわち、彼らは自分たちのすぐそばの環境では満たされないと感じていたニーズあるいは願望を満たしてくれるであろう何かを見いだそうと、積極的に試みていたのである。探求者であることの判別は、「ニード」あるいは「マインド・コントロール」の場合と同様に、「もしジョナサンが統一教会のような『風変わり』なものに満足感を見出すなら、彼はそのようなものを探し求めていたに違いない。彼は探究者だったに違ない」という形を取るときには、論点先取りになり得る。実際には、ジョナサンは「まさにそのもの」を探し求めていたということはありそうにないが、「なにかそのようなもの」を探し求めていたのかもしれない。

探求者はさまざまな装いで現れる。探求者という社会的な「役割」を演じているに過ぎない人々がいる。自己啓発や自己充足を求めている人々がいる。霊的啓発や霊的充足を求めている人々がいる。民主的あるいは革命的な方法によって社会構造を変えたいと望んでいる政治的な探求者がいる。宇宙の意味を理解したいと望んでいる哲学的な探究者がいる。神を見出すことや神に近づくことを望んでいる宗教的な探究者がいる。そして、うずくような真空状態を必死になって満たそうとしている、「意志未決定」の探究者がいる。ムーニーが束ねている特徴は、最後の二つのタイプを合わせ持っているという傾向である。

最初に以下の二つを区別しておきたい。まず個人的・私的な探求者がいる。これは自分の属する社会環境の中では満たすことができない何かを、通常は自分自身で探している人のことである。一方で、探求者の社会的「役割」とは、ある人が属する文化やサブカルチャーの中で得られたり、得られなかったりするものである。探求者の社会的な役割を演じるだけで、ある人がムーニーになることはないと思われる。

私は既に、いかに多くの若者たちが、宗教的な体験や感情について話せる人を見いだすことを難しいと感じているかを解説した。ストックホルム、ブリュッセル、リバプール、あるいはシンシナティにおいては、こうした問題があると論ずることには正当な理由があるかもしれないが、サンフランシスコではそうみなされることはないだろう。実際、そこにも多くの問題があるが、その理由は異なっている。スカンジナビアでは、探求者の役割は事実上存在していない。その文化はさまざまなやり方に対して極めて寛大であるように見えるかもしれないが、宗教や霊的な疑問を一般的な会話の中に持ち込むことが許されているという印象は受けない。それにもかかわらず、そのようなことを話したがっている若者たちがいるという多くの証拠を、私は見いだすことができた。外国人(スコットランド人)の宗教社会学者が、霊的な問題や究極的な意味について、それまで抑圧されていた感情や疑問の洪水を解き放つことは、困難ではなかった。(注22)英国、欧州のその他多くの地域、そしておそらく北米の大部分においては、これらの問題を誰に話すかについては、かなり慎重でなければならない。「あの世」について議論が許されていたり、あるいは推奨されていたりするグループを見いだすことは可能であるけれども。しかしながら、カリフォルニアでは「霊的な探求」は、「流行に敏感である」ことを見せたい人にとってはお気に入りの話題である。熱狂的な勢いで探求者の役割が演じられているのを観察することができる。(注23)しかし、「まっとうな」探求者は、あるステレオタイプのパターンに従わなければならない。西海岸で見いだされる大衆個人主義は、社会的慣例と化した自発性を享受しており、たまたま最新の流行を追っていなかったり、最新の霊的な表現を次々と使わなかったりすると、疎外感を感じてしまい、英国やスカンジナビアの個人的探求者と同じように、宗教的に「安全な」環境を見出せなくなってしまうこともあり得るのである。トレンディーなカリフォルニアの「サイコバブル」(注24)がムーニーを魅了するとは思えない。(訳注:「サイコバブル」とは、専門的な知識もなしに心理学用語を多用する言説のこと)これは探求者の役割を演じている人々が修練会に参加することはあったとしても、彼らが統一教会に魅了されることはないのと同様である。ムーニーになるということは、それが「流行っているから」からなるというようなものではない。

より私的なタイプの個人的探求者に目を向けると、ムーニーは自己啓発や霊的充足を望んでいたであろうが、サイエントロジーの信者が「クリアー」(注25)になろうとするようなやり方で、あるいは人間性回復運動(Human Potential Movement)の参加者が自己の内なる魂(注26)を探究しようとするようなやり方で、「直接的に」それを求めていたとは思われない。また、多くのムーニーたちは、神秘主義者たちやプレミーたち(訳注:ディバイン・ライト・ミッションの信者のこと)が「内的な知識」(注27)を受け取ろうとするようなやり方で、霊的啓発の探求のために時間を費やしたりすることに満足を見いだすような種類の人々ではない。ムーニーはより良い世界を望んではいたものの、なんらかの政治的な運動に携わっていたり、社会構造としての社会に関心を持っていたりした傾向はほとんどない。しかしながら、同時に、東洋の哲学を含め、哲学的な著作を探究しようと試みたムーニーも何人か(対照群よりも多く)いたようだが、彼らは哲学が抽象的であることに満足できない傾向にあった。言い換えれば、新会員候補者は、世界の改善を具体的な方法で求めることによって、間接的に自己充足を求めていたが、同時に、多くの同世代の者たちほどには政治的あるいは革命的な変化には興味があまりなかったという傾向にある。

(注22)N・G・ホーム(編)「宗教的恍惚」ストックホルム、アルムクイスト&ウイックセル、1982年を参照せよ。
(注23)マリン郡の探究者に関する面白い解説としては、C・マックファデン「シリーズ:マリン郡で暮らした一年」ニューヨーク、クノッフ、1976年を参照せよ。
(注24)R・D・ローゼン「サイコバブル」ロンドン、ワイルドウッドハウス、1978年
(注25)R・ワリス「完全なる自由への道:サイエントロジーの社会学的分析」ロンドン、ハインマン、1976年
(注26)D・ストーン「人間性回復運動」、C・Y・グロックとR・ベラー(編)『新しい宗教意識』バークレー、カリフォルニア大学出版、1976年に掲載
(注27)J・V・ダウンタウン・ジュニア「聖なる旅:アメリカの青年たちのディバイン・ライト・ミッションへの回心」ニューヨーク、コロンビア大学出版、1979年を参照せよ。

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