宗教と万物献祭シリーズ07


万物献祭の形状的側面(2)

このシリーズでは、宗教における供え物、献金、布施、喜捨などを一括して「万物献祭」と呼び、こうした行為が伝統宗教と新宗教を含む宗教一般において広く行われており、信仰者の義務あるいは美徳として高く評価されてきたことを明らかにしてきました。前回から、宗教団体におけるこうした活動を一つの「ビジネスモデル」として位置付け、信徒たちに対してどのように働きかけて「万物献祭」を行わせるかという方法の問題、すなわち形状的側面に関する分析を始めました。

前回は、島田裕巳著『新宗教ビジネス』(講談社:2008年)を参考にしながら、「ブック・クラブ型」ビジネスモデルを取り上げ、創価学会、生長の家、幸福の科学のビジネスモデルを紹介しました。今回は同書で紹介されているその他のモデルをまとめて扱います。

2.「献金型」ビジネスモデル
これは信者からの献金を主たる財源とする、最もオーソドックスなモデルです。

①立正佼成会
立正佼成会は信者数が公称429万人の大教団です。献金は「喜捨金」と呼ばれ、法座や本部礼拝のときに支払われます。少し古い資料ですが、教団発展期の教団収入の内訳は以下のようになっています。喜捨金の占める割合が高いことが理解できます。
1956年:喜捨金46.2%; 寄付金24.3%; その他29.5%
1957年:喜捨金61.5%; 寄付金25.6%; その他12.9%

②天理教
天理教の信者数は公称163万人です。天理教では、歳入のほとんどが御供金(神にお供えする金銭)で、これは賽銭箱に供える奉賽金を除いた、とくに教会や布教所、および信者から記名されたお供えを指します。

天理教は現在、約17,000の教会と約18,000の布教所を有し、これら教会と布教所が教会本部を頂点に組織上の本末・親子関係で結ばれています。末端の布教所や分教会で集まった金銭は、本末・親子の教会の系統に従って、分教会、大教会を経るなどして、最終的には本部教会に集約される仕組みになっています。本部への上納金は年間150億~160億で推移しています。

③真如苑
真如苑は信者数公称86万人の中規模教団ですが、現在も信者の数が増え続けている教団です。以前は「歓喜(かんぎ)」と呼ばれる献金が存在しましたが、最近(2008年頃)にこの制度を廃止しました。その意味で、以前は「献金型」ビジネスモデルであったがそこから転換を図った教団と位置付けることができます。

「献金型」ビジネスモデルの特徴としては、教団が急速に発展しているときには、信者たちは競って献金を行い、献金の額を信仰の強さの証しとして考えるので、多額のお金が入ってきます。その結果として、献金に際限がなくなり、生活を破壊するに至り、社会的批判を浴びることもあります。献金の額が信者の熱意に比例するため、発展期には多額の献金がありますが、活動が停滞するようになると途端に額が減る傾向があります。その意味で、献金型のビジネスモデルは安定性を欠いていると島田氏は指摘します。

教団が献金に宗教的な意味づけを与え、それによって信仰心を呼び覚ます際に効果的な手法が、建築物を建てることを目標として設定する方法です。建築物が完成した暁には、信者たちの努力がどのような形で報われたのか、目に見える形で示されるからです。神殿や本部が完成すると、そこには全国から信者が集まってきます。彼らは、壮大な神殿や本部の建物を目の当たりにして、感動します。そこに組織としての教団の力を感じます。しかも、巨大な宗教的建築物は、教団の力を外に向かってアピールするための格好のシンボルになります。そこで、新宗教団体はこぞって立派な総本山や本部教会の建物を建築しました。以下に示す写真はその代表的な例です。

創価学会の財務で建てられた日蓮正宗大石寺(正本堂)1979年12月撮影

創価学会の財務で建てられた日蓮正宗大石寺(正本堂)1979年12月撮影

天理教教会本部
天理教教会本部
立正佼成会大聖堂〈本部修養道場〉

立正佼成会大聖堂〈本部修養道場〉

世界真光文明教団「主座世界総本山御本殿」
世界真光文明教団「主座世界総本山御本殿」
崇教真光世界総本山(元主晃大神宮)

崇教真光世界総本山(元主晃大神宮)

霊友会本部「釈迦殿」

霊友会本部「釈迦殿」

真如苑の「応現院」

真如苑の「応現院」

阿含宗の本山

阿含宗の本山

幸福の科学「東京正心館」

幸福の科学「東京正心館」

 

しかし、多額の献金を集めて巨大な宗教施設を建設するやり方は、「高度経済成長期」のモデルであるとも言えます。高度経済成長時代が終わり、バブルがはじけたことにより、こうしたやり方は過去のものになっている、と島田氏は指摘します。

3.「スーパー・コンビニ型」ビジネスモデル
これは信者のニーズに合わせて多様なアイテムをそろえることによって「薄利多売」の集金システムを展開するビジネスモデルを指します。

阿含宗では、さまざまな回路を通して、信者の金が教団に入っていく仕組みが作られています。一つ一つの額はそれほど高くなく、むしろ額をおさえることで、信者が容易に金を払えるようになっています。献金の場合には特定の用途はなく、信者は教団の維持運営のために金を提供しますが、阿含宗の場合にはそれぞれ名目が違い、具体的な目的や目標が定められています。これは商売で言えば、「薄利多売」の販売形式に近く、スーパーやコンビニのやり方に近いと言えるでしょう。信者の側はそれぞれのニーズに応じて選別できるので、このモデルは教団にとって安全性が高いと言えます。

阿含宗の昭和63年の資料によると、以下のようにさまざまな名目でお金を集めるシステムを構築していることが分かります。信者はこの中から、自分のニーズに合ったものを選んで願をかけ、献金できる仕組みになっています。

①入行(入信)
入行費用(法具一式、会費3カ月分):48000円
身代わりの行(本人に代わって解脱宝生行をすること):33000円
修行者原簿登録料:1000円

②指導関係
ご指導願い御礼:20000円
因縁透視御礼:10000円
修行者座右宝艦御礼:20000円
命名御礼:20000円

③解脱成仏供養
不成仏霊解脱永代ご供養料(一体供養料):100,000円
水子解脱永代ご供養料:100,000円
永代ご供養料:100,000円
お塔婆慰霊供養(12か月分)6000円、(彼岸・お盆)1500円
不成仏霊供養梵篋(ぼんきょう=箱)金:2000円と寸志

④ご祈願
お手配願い:3000円以上
特別御祈願礼会員5000円以上、会員以外10000円以上
独鈷(とっこ)のお加持、無料
祈願護摩木修行添え護摩木一本100円
永代祈願量:100000円
瓦供養1枚3000円
写経一巻50円
朔日(ついたち)縁起宝生護摩講 年講費10000円

⑤ご霊体・お守り・お曼荼羅など
破地獄光明如意曼荼羅ー道場建立基金一口100000円三口以上
応供の如来様ご霊体:瓦供養一枚3000円を20枚
火龍さま・金龍さまご霊体:瓦供養一枚3000円を10枚
準胝(じゅんち)如来さまご尊像:20000円
その他の護摩札、お守り等(5000円~1000円)円

⑥年中行事
総本山献樹供養:10000円、30000円、50000円、100000円
道場建立基金一口100000円

もう一つ、「スーパー・コンビニ型」ビジネスモデルに分類できると私が感じたのは、幸福の科学の「祈願」です。その項目には、伝統的に祈願の対象になってきたものから、首をかしげざるを得ないような祈願の内容も含まれています。

先祖供養
個人供養
水子供養
経済繁栄祈願
発展繁栄祈願
成功祈願
学業成就祈願
悪霊撃退祈願
健康祈願
結婚祈願
子宝祈願
安産祈願
子育て祈願
家庭調和祈願
家内安全祈願
伝道成功祈願
職場ユートピア祈願
地域ユートピア祈願
交通安全祈願
風邪撃退祈願
悪質宇宙人撃退祈願
花粉症対策・強力ヒーリング祈願
強力ダイエット祈願
会社再建祈願
赤字脱出祈願
大黒天成長祈願
投資成功祈願
投資株高騰祈願/わが社株高騰祈願
千手観音救済経 他
幸福の科学お守り02 幸福の科学お守り

4.「家元制度型」ビジネスモデル
真如苑では、「接心」と呼ばれる霊的カウンセリングが行われています。接心の料金は一回1000円(学生は500円)で、相談接心3000円、特別相談接心6000円、鑑定接心8000円(最高額)など、目的やレベルによって金額が異なりますが、初めからきちんと明示されています。また、接心を行う側に回るためには、一定の修行をすることが求められています。それが「相承会座(そうじょうえざ)」で、「初座」「菩提会」「本会座」と段階が進んでいき、その度にお金を支払うシステムになっています。

真如苑信者の目的は「霊能者」になることです。接心を中心とした真如苑の新しいビジネスモデルは、華道や茶道、日本舞踊などの家元制度に似ています。家元制度では、弟子たちは稽古を重ね、次第に免状や資格を得て、上の位に昇格していきます。その際には、弟子は一定の金額を家元に支払わなければなりません。そして、免状や資格を得ることで、教える立場に回っていくのです。

真如苑の場合にも、信者は接心を受ける側であるとともに、修行を重ねることで、接心を施す側に替わっていきます。その修行を行う際にも金を支払う必要があるわけで、そこが家元制度と似ているのです。

ここで、「宗教と万物献祭シリーズ」全体の結論を述べてみたいと思います。
万物を献祭することによって救済を得るという考え方は、伝統宗教にも新宗教にもみられる普遍的な思想であり、一つの「宗教的真理」です。したがって、その原理原則は普遍であり不変であると言えます。

しかし一方で、どのような方法で献金を集め、どのように教団を運営するかは外的・形状的問題であり、教団ごとに多様性があると同時に、同じ教団でも時代によって変化します。これは人間の責任分担に属する問題であり、この部分で失敗して反省し、やり方を修正したり、新しいやり方を開発したりすることは十分あり得ることであり、固定されたやり方があるわけではありません。

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