宗教と万物献祭シリーズ02


伝統宗教における万物献祭②

このシリーズでは、宗教における供え物、献金、布施、喜捨などを一括して「万物献祭」と呼び、こうした行為が伝統宗教においても新宗教においても広く行われており、信仰者の義務あるいは美徳として高く評価されてきたことを明らかにしています。前回は、伝統宗教における万物献祭の第一の意義は、不幸の原因としての物欲、貪欲の否定にあることを説明しました。今回は、伝統宗教において犠牲や供物が救済の道として位置づけられてきたことを説明します。

貨幣経済が出現する前の万物献祭の形が「犠牲」や「供物」と呼ばれるもので、これはどんな未開の宗教にも見られるものです。宗教学という学問では、未開人の宗教を研究することにより、供犠(Sacrifice)が彼らの宗教生活においてどのような機能を果たしているのかを明らかにしようとしました。

2.未開宗教における「供犠」(sacrifice)の意義
小口偉一・堀一郎監修『宗教学辞典』(東京大学出版会)で「供犠」(sacrifice)の項目を調べると、以下のような解説があります。「ユベールとモース(Hubert, H. and Mauss, M.)[1964]は、あらゆる供犠に共通のメカニズムとして聖化――供犠される対象が俗的領域から宗教的領域へと通過する過程――があることを強調し・・・さらに供犠において聖化された事物の役割は、供犠者と、これを受け取る神霊との間の媒介という点にある。つまり神と人とは直接交渉しない。・・・このようにしてユベールらは、供犠を、媒介となる犠牲の聖化によって、それを行なう人間の状態、ないしかれがかかわりをもつある事物の状態を変化させる宗教的行為、と定義する」。

また、タイラーの研究では「未開宗教においては、供犠は神の怒りを宥め、好意を確保するための『贈り物』であると理解されていた。・・・神概念が発達した高等宗教になると、礼拝者はもはや見返りを期待せず、尊敬心から行われるようになり、供犠の意味は『自己否定』や『自己放棄』などの道徳的・宗教的概念に進化していく」と分析されており、ファン・デル・レーウの学説では、「供犠は贖罪行為であり、犠牲の死は供犠者の死を意味する」と解釈されていたことを紹介しています。(前掲書『宗教学辞典』より)
こうした研究成果は、統一原理の説く万物献祭の意義である①万物を神にお返しすると、②人間が万物を通じて神に帰る――に相通じるものがあります。

3.喜捨
喜捨は、本来は仏教用語ですが、これを広義に解釈して富める者が貧者・困窮者に自己の財を分かち与えることの意味にとれば、それは人類社会に普遍的に見出される倫理的・宗教的行為であると言えます。ヒンドゥー教のバラモン僧はあらゆる層の人から喜捨(dana)を受けましたし、またそうすることは施与者にとっても大きな功徳とされました。

喜捨を受け取る仏教の僧侶

喜捨を受け取る仏教の僧侶

仏教の出家者は無所有の理想に徹し仏道に専念するために、その生活の基盤を在俗信者の喜捨に置かざるを得ず、施与者にとってもそれは仏・法・僧の三宝を護持するということであり、また財物への執着を離れるという意味で功徳のある行為とされていました。

ユダヤ教では、旧約外典やタルムードにおいて困窮者に対して喜捨を行うことが神に対する義務であり功徳のある行為であり、また贖罪行為であると強調されました。財は神からの委託物であり、富める者はその財を貧しい者と分かち合う義務があるとされました。 またコーラン(9.60)では、貧者や困窮者を助けるために喜捨を出し財を分かち合うことが、信仰の証しとして、神への貸付けとして、贖罪行為としてくり返しくり返し強調されています。(前掲書『宗教学辞典』の「喜捨」の記述より)

4.布施
布施は、梵語では「檀那(旦那)(ダーナ)」といい、慈悲の心をもって、他人に財物などを施すことで、六波羅蜜(大乗仏教の最も重要な修行法)の一つとされます。Danaはもともとサンスクリット語で、ここから派生して、日本語の「旦那」という言葉が生まれ、「檀那寺」と「檀家」の概念も生まれました。英語ではDonation、Donorの語源となりました。

布施には以下の三種類があります。
①財施:金銭や衣服食料などの財を施すこと。
②法施:仏の教えを説くこと。
③無畏施:災難などに遭っている者を慰めてその恐怖心を除くこと。

仏教では布施を仏道修行として位置付けていて、それは単に財物を捧げることを意味するのではありません。それをよく表しているのが「無財の七施」という教えで、お釈迦様は、「雑宝藏経」というお経の中で、「財力や智慧が無くても七つの施しが出来る」ことを教えています。「無財の七施」とは、費用も資本も能力も使わないで実行できる以下の布施のことを言います。

一、眼施(慈眼施):慈しみの眼、優しい目つきですべてに接すること。
二、和顔施(和顔悦色施):いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対すること。
三、愛語施(言辞施):愛情のこもった、やさしい言葉を使うこと。
四、身施(捨身施):自分の体で奉仕すること。人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行すること。
五、心施(心慮施):自分以外の者に心を配り、心底から、共に喜び、共に悲しむことが出来るようになること。
六、壮座施:座席を譲ること。自分のライバルの為にさえも、自分の地位をゆずっても悔いないでいられること。
七、房舎施:他者のために、雨や風をしのぐ所を与えること。

このように、「供犠」「喜捨」「布施」などの概念は、伝統宗教において神と人との媒介、救済の手段、功徳を積む道、贖罪行為、修行――などのような宗教的意義を持つ行為としてとらえられていることが分かります。

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